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法輪功練習者は死体を囲んで、功を十日間発した(写真付)
    
2011-07-25  Kaiwind  筆者:徐武文    

遼寧省大連市の法輪功練習者毕代紅は消業という邪説を信じ込んで、子宮がんにかかっても治療をせずに、37歳で他界した。驚いたことで、毕代紅が死んだ後、同じ法輪功に溺れた夫王成陽と練習者趙雪などは師匠李洪志に祈って、毕代紅を生きさせるように「転法輪」をささげながら、彼女の死体を囲んで功を十日間発した。

毕代紅,女性、1968年5月に生まれ、家は大連市沙河口区泉涌街にある。1992年大学から卒業してから、大連経済技術開発区の湾里小学校の先生を勤めた。

若々しくて綺麗な毕代紅


1995年8月、毕代紅は大連経済技術開発区にある外資企業に勤めた張格軒と結婚して、よい夫婦関係だった。通勤しやすいため、夫婦は開発区で部屋を借りた。自分の努力で会社の近くに自分の部屋を購入する計画を組んでいた。

張格軒は頑張り屋だった。夫婦の共同目標を実現させるため、会社で一生懸命働いた。まもなく総経理アシスタントとして昇進した。キャリアアップと収入のアップをした張格軒はますます忙しくなり、家の中でいつも毕代紅だけだった。こころのやさしい張格軒は毕代紅に寂しさを感じさせないため、よく公園や海辺に行って、体を鍛えながら友達を作ろうと勧めた。

1997年の夏、仕事が終わった毕代紅は公園へ散歩に行った。数人が法輪功を練習しているのを見つけて足を止めて様子を見た。数日間もそうだったので、練習点の責任者趙雪は彼女を発見し、声をかけた。趙雪は毕代紅の寂しさをわかってから、法輪功を練習すればすべての悩みはなくなるので一緒に練習しようと誘った。あれから、毕代紅は法輪功の練習を始めた。

時間の経つとともに、法輪功に対して、好奇心だけではなく、溺れてしまった。毕代紅は毎朝起きてから、昼休みと夜退社後は練習をし、すべての個人時間を練習に使った。よく練習するため、「転法輪」「洪吟」を購入してきて、暗記したり、感想を書いたりしていた。練習が進んだ結果、仕事や家庭に対して無関心になってきた。頭の中に法輪功以外はなくなった。張格軒の仕事とお金を稼いで自宅を購入する件についても関心がなくなった。毕代紅は毕代紅の変化に気づいて、一生懸命助言したが、毕代紅はまったく聞き入れなかった。

1999年の春、毕代紅は妊娠した。張格軒は赤ちゃんに気をつけて法輪功をやめようと注意したが、毕代紅は聞かなかった。早く次元を向上させるため、毕代紅はVCDとテープレコーダーを購入し、毎日それを見ながら練習をしたり、李洪志の説法を繰り返して聞いたり、心得を書いたりしていた。何か「法理」を「悟ったら」、雨の日も晴れの日も関係なく、自分の考えをレベルアップさせるため、ほかの練習者と交流しに出かけた。張格軒は我慢できなくなり、毕代紅に言った:子供のために、私と法輪功の間で一つ選んで。毕代紅は猶予もせずに言った:分かれてもいい。法輪功から離れていはいけない。

1999年五月連休の前、毕代紅は一人で実家帰った。中学校の先生をした父親毕軒林と母親杜巧雲は驚いて、なぜ一人で帰ってきたのかのを聞いた。毕代紅は離婚したと答えた。杜巧雲は確認するためにすぐ婿張格軒に電話を入れた。張格軒は本当だ。毕代紅は法輪功に溺れて家を捨てたと言った。杜巧雲は毕代紅に一体どうなっているのかと聞いて、毕代紅は答えた:法輪功は人生最高の目標だ。法輪功のために、すべてを捨てられる。あれから、毕代紅は親の家で住んで、法輪功をれんしゅうすることを人生最大の内容とした。

1999年7月、国は法輪功を取り締まった。これに対し、毕代紅は非常に不満だった。彼女は親からの助言を無視し、妊娠のままで三日間連続に法輪功が政府に囲んだ「法を守る」イベントに参加した。その後、ほかの練習者と一緒に北京で「法を守る」ために行った。10月、毕代紅は息子を産んで、毕洪と名前を付けた(その後は王洪と変えた)。親はこれでようやく法輪功から離れられると思ったところ、子供を生んでから一ヶ月未満で、毕代紅は練習者と一緒に再度北京に行って、「法を広げる」に行った。北京から帰ってきた毕代紅は子供のお世話をするのではなく、子供を親に預かって、「真相」を話しに出かけ続けた。孫のお世話をするため、お母さんはしょうがなく定年手続きをした。

毕代紅の長期間欠勤で、しばらく学校から辞めさせられた。仕事のない間、毕代紅と趙雪など法輪功の幹部らは一緒に法会を行ったり、法輪功練習者を集めて心得を交流させたり、印刷設備を購入して法輪功のチラシを印刷していた。2003年5月、「真相を話し」に外出した毕代紅はある男と小さいな女の子を家に連れてきた。この男は王成陽といい、湖南の人で、1971年にうまれた。法輪功を練習したため、離婚された。小さな女の子は4歳の娘だった。同じ趣味があるため、二人はすでに結婚してしまった。毕代紅の頑固な態度に対し、親はしょうがなく、縁談を納得した。

二人の子供を持ち、生活が貧乏で、自宅がないなどを考えて、毕代紅の親は四人を自分の部屋に住んでもらうしかなかった。支度を支えるため、毕代紅の父親は塾を作り、中学生、小学生を募集し、教育してあげることでお金を稼いだ。しかし、毕代紅夫婦は親のこころを感謝しないだけではなく、法輪功練習者を塾に募集し、重要な担当を任せた。塾で法輪功の集会を行ったり、塾に参加した生徒に法輪功を宣伝したりしていた。もっと腹立つのは、毕代紅と王成陽はまだ未成年の自分の子供に法輪功の練習を教えた。二人の子供は親の教育で、法輪功を練習するだけではなく、隣人も法輪功を誘った。

2004年の冬、杜巧雲は毕代紅が痩せつつ、顔色もよくないことを見つけ、体の具合はよくないじゃないかと聞いた。毕代紅はこの半年以来、お腹はよく痛み、生理も乱れていた、常に血が出ていると答えた。杜巧雲は毕代紅を病院に診査してもらい、子宮がんと判断された。

杜巧雲は毕代紅が子宮がんにかかったことを王成陽に伝え、毕代紅を入院させようと勧めた。あの時、毕代紅も病院へ行こうと思ったが、王成陽はどうしても同意しなかった。彼は言った:毕代紅には罪業がある。ちゃんと練習すれば、すべては直れる。もし師匠の話は聞かないと、いままでの努力は台無しにして、円満はできない。王成陽にそそのかされ、毕代紅は病院で治療を受ける念頭を消した。早く法を得られ、常人以上になるよう、痛みを我慢して練習を続けた。病気が治るため、毕代紅は練習の程度を強めた。親から何を言われてもまったく聞かなかった。

親から邪魔されないように、2005年3月、毕代紅と王成陽は二人の子供をつれて家から出た。2005年9月半ばごろ、毕軒林と杜巧雲はようやく毕代紅の新しい住所を見つけた。小さい王洪はおばあさんに言った:ある日、お母さんは練習をしたとき、急にベッドから床に落ちた。声をかけても起きなかった。お父さんはお母さんを友達のうちに連れて行った。前日、お母さんのところに連れてもらった。お母さんは寝込んだまま、ずっと横になっていた。お母さんをキスしたかったが、臭くて。

王洪の話を聞いて、親はまずいと思った。王洪に案内してもらって、毕軒林と杜巧雲は華商ウィ—ン住宅区に駆けつけた。2号楼三単元2楼1号のドアを開けてもらった瞬間、臭さは感じた。王成陽と趙雪など5人の法輪功練習者は毕代紅を囲んで「転法輪」を支えながらつぶやいていた。そのとき、毕代紅は数日間前に死んでしまった。この場を見た杜巧雲は倒れて、毕軒林に病院まで送られた。

後の調査で、王成陽と趙雪は毕代紅が死んだことを信じられなくて、練習者を連れて、功を発してやった。毕代紅が生きられるように師匠に祈った。しかし、彼らは十日間の功を発して、李洪志にも十日間祈った。毕代紅の死体が臭くなっても、目が覚めなかった。

隣人張桂芳は毕代紅の葬式に参加した。彼女の話によると、毕代紅の死体はすでに変形し、臭くなった。張桂芳は筆者に言った:死んだ人さえ安らぎがもらえないなんて、法輪功は怖い。

  
 
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