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一筋「修練」の結果、精神異常(写真付)
    
2015-03-02  kaiwind.com  筆者:卲永安    

 

陳進海は農家の庭から奪った衣類を背負いながら、道を歩いている 

卲永安です。陜西省漢中市南鄭県響水鎮花園壩村(現在は五里店村という新しい名前に変えました)の村主任です。今日は、村の村民陳進海は法輪功におぼれ、練習をした後精神異常になったという本当の物語りを皆さんに話します。 

陳進海、男性、今年は58歳、高校卒業。昔の彼は、皆から羨ましがる三人家族を持っていました。その後、思わぬ出来事で、現在は息子(既婚)だけを持っています。彼の学歴は高校卒業ですが、それは一昔、ほとんどの人が文字さえ読めなく、あくまで中学校卒だったといった時代に、彼は村の人々に賢い「インテリ」だと思われました。集団経済のとき、彼は村の会計をやりました。土地請負制になってから、彼は自分で資金を集め、村でフォーの加工工場を設立させ、魚池も請負しました。彼は工場を運営し、妻は魚池を運営していました。家族は大金儲けになったとはいえないが、豊かな毎日を過ごしていました。村の人からみれば、幸せな家族でした。 

20046月のある日、陳進海は糧食加工の作業を終わり、工場を閉めようとしたとき、扉の後に、黄色のカバンがあることに気付きました。周りに一人もいなかったので、ひょっとしたらそそっかしいお客さんの忘れ物かもしれないと思い、床から拾って机に置きました。変なことで、数十日間が過ぎても、受取人はこないでした。彼は他人によく尋ねたが、自分の忘れ物と言った人はいないでした。 

ある大雨の日、工場のお客さんは一人もいないでした。陳進海は暇すぎて、カバンの中に何が入ったのか知りたくなってきました。開けると、「転法輪」という本とチラシ数枚が入っていました。好奇心に駆動された彼は、外の雨音に伴い、「転法輪」を読み始めました。読めば読むほど、彼は李洪志が書いた「法輪功は最高の仏法だ」「心性を修む」「良い人になる」という内容に引き込まれました。同時に、李洪志が描いた円満後、ほしいものなら何でも手に入れられます。天国では、部屋が黄金で作られる、樹木も金色です。その世界に誘惑された彼は、暇さえあれば、「転法輪」をよむようになりました。 

一ヵ月後、一人の男と一人の女がきました。男性は梁といい、女性は張といいました。彼らは神秘そうに、最近、なか本を読んでいるのではないですかと陳進海に尋ねました。陳進海はそうですと答えました。彼らに暗示された上、陳進海は自分が「転法輪」を読んだ後の感想を話しました。最後に、男の人は自分がその本をわざとそこに置いたと言いました。陳進海がいい人だと思い、チャンスを与えようとしました。他人がもらおうとしてもあげませんでした。その後、男の人は陳進海に印刷した資料を上げました。それは師匠の経文でちゃんと読みなさいと陳進海に言いました。 

あれ以来、陳進海は昼間がいくら忙しくて疲れても、夜は必ず本を読みました。時々、工場に加工作業のない隙間を利用して読みました。徐々に、彼は力を全部法輪功の練習に入れました。加工を求めてきたお客さんを相手にしなくなりました。加工の量が小さい、自分がほとんど儲かないケースについて、加工する余裕がないとお客さんに言いました。昔仕事に対する熱心を完全に失ってしまいました。徐々に、商売も前より落としました。 

以前、加工工場が閉店後、陳進海は妻の魚池管理に手伝えしました。法輪功を練習してから、彼は魚池へ行く回数は少なくなりました。後ほど、思い切って行かなくなりました。妻は疲れて家に帰ると、陳進海が必ず「経文」を写しているか、「転法輪」を読んでいるのを見ました。妻はそんなでたらめなものを信じないでくださいと勧誘しましたが、彼はいつも言い返しました:「法輪功は人間の大法だ。一人練習すれば、全家族は恵まれる。私は君たちを幸せな生活を過ごさせる」陳進海自分の言葉でいいますと、「私は大法と出会ったのは遅すぎだったので、修練を急ぎ、昔無駄にした日々を追いかけないといけない。」 

200411月、陳進海の息子は結婚式を挙げました。その日の午前中、陳進海は会場にいましたが、午後から人がいなくなりました。彼は人を避けて法輪功を練習しに行きました 

20058月、ある日の夜天気は非常に蒸し暑いでした。たまたま妻は病気で数日間で横になったままでした。そんな天気で、魚は酸素不足で窒息死をしやすいので、妻は陳進海に、夜は早く家にある酸素補充機を魚池へ運んで、魚に酸素を増やしてくれと注意しました。陳進海は言い返しました:「大丈夫だ。私は大法の弟子で、師匠の法身に守られていました。ほかの人の魚が死んでいても、うちの魚は死なない」。思わなかったことで、翌日、魚池は全部魚の死体でした。数年間の貯金は瞬間台無しになりました。 

妻は過労とショックをうけたため、病状が重くなりました。たまに血を吐いたりしていました。親戚は彼に、妻を病院で検査受けさせようと勧誘しましたが、彼は言い返しました「それは彼女の業力が重過ぎるからだ。常人の病院は効かない。師匠は治してくれる。二度言われると怒るぞ」こうして、妻の病状は置きっぱなし、病院の検査も受けられなければ、治療も受けられないでした。 

2006年の春節、みんなは年明けを喜んで祝っているとき、妻は家で病死しました。いまでも何の病気か知る人はいません。 

20084月、他人の紹介で、陳進海は再婚しました。洗濯とご飯を作ってくれる人ができたので、彼はもっと修練に溺れました。時間がたつに連れて、彼の精神に異常がでたことを他人が少しずつ見つけるようになりました。昼間なのに、彼は妻に「夜遅くなったくせにどうせい寝ないのか」みたいな文句を何回も言いました。時々、彼一人は泣いたり、笑ったり、自分と会話したりしていました。人にあったら、師匠が自分の体に憑依している。自分が神になっていると他人に言っていました。 

2009年、陳進海は完全に精神異常になりました。いつも和尚の服をきて、ぼろぼろの麦わらぼうしをかぶって、黄色の雨靴を履いて、昔赤軍みたいにゲートルを巻きつけて、あちこちにぶらぶらしていました。村の人はお祝いをしているとき、陳進海は急に飛び込んで、おいしい料理が置かれたテーブルをひっくり返したりして、相手の気分を台無しにさせました。陳進海はおなかが空いたら、他人が持った食べ物を奪って食べました。子供や老人を問わず、よく他人を殴りました。通学の道と学校の入り口のところで陳進海は生徒を殴ったことは何回もおきました。そのために、村の婦人、子供と老人はいつも彼を避けました。昔やさしい陳進海とはまったく別人のようです。彼は精神異常になったため、再婚の妻は絶望して四川省の実家へ戻りました。息子は陳進海が自分の妻を殴ることを心配して、陳進海をとどめることはできませんでした。 

現在、陳進海は法輪功を練習したせい、山に伏し野に伏す狂ったこじきという悲劇な結末を収めました。 

  
 
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