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李洪志との近距離的接触
    
2010-05-20  Kaiwind  筆者:張文博    

私は張文博と言い、吉林省四平市鉄西区に住んでいる。90年代の初めに中国で気功が流行した際、私は各種の気功に大変興味を持ってきた。

1994年夏、私は妻と一緒に、河北省邯鄲市へそっちで商売をしている母親を見舞いに行った。ある日、私は一人でマーケットへショッピングしに行った時、ある人が宣伝ビラを配っている。李洪志大師が邯鄲を訪れ、法輪大法を伝授し、その場で功を授けたり、診察したりするため、くれぐれもこのような絶好のチャンスを逃さないようにとの内容であった。ずっと前からこの名声が高く、一度も会ったことのない同郷人に会いたいため、私は邯鄲市労働者文化娯楽センターに到着し、10元で入場券を買った。伝法大会がまだ始まっていない。入り口の壁に李洪志の大きなポスターが貼ってある。何群の人が法輪功の物品を売っている。『転法輪』が一冊10元、功法ディスクが一枚10元、李洪志の写真は1枚50元であった。

労働者の文化娯楽センターに入ってみたら、来た人が非常に多く、中でも年寄りの人が多数を占め、担架を担いできた人もあった。演壇の真ん中に一脚のテーブルが置かれている。煉功服を着た従業員は皆忙しそうに立ち回っている。間もなく、李洪志は多くの人に取り囲まれながら演壇に上がってきた。オレンジ色の煉功服に普通の白い靴を履いて、分髪を取って、身長は170センチぐらい、中肉中背で、非常に元気そうに見える。

李洪志は腰を下ろすと、すぐに講義を始めた。「河北省邯鄲市気功協会のお招きで伝法しに来たが、講義は3日間しかしない。私は1951年5月13日に生まれ、その年から全覚大師から独創的な修練法門を教わり、直ちに圓満を達成し、物品運搬、物質固定、身隠し等各種の入神の功法を身につけてきた。その後、山を下りるまで仏門の師父から修練大法を教わった。私の功能は釈迦牟尼を数十万倍上回っている。あなた達が困難に遭った際、李洪志師父と呼んだら、私の法身はすぐに来る」と言った。聴衆は皆舌を鳴らしながら賛嘆し、自分が今度むだ足を踏まずに、本当の「大師」に出会ったと思っていた。

一頻り自己紹介をした後、李洪志は功を伝え始めた。彼はすべての人を起立させ、掌を彼に向けて両手を挙げさせたまま、「掌に温かい気流が流れていることを感じただろう」と聞き、「私が功力を10分間あなた達に伝えたが、病気に罹った人なら病気が追い払われ、病気を持っていない人なら、体が丈夫になる」と言った。私も李洪志に言われたとおりにやってみたが、天気が非常に熱く、会場の中はとても蒸し暑い感じだけで、掌には何の感じもなかった。

続いて李洪志はまたいくつかの煉功動作を伝授したが、ずいぶん昔のことだったため、具体的にどのように手まねをするかは私がはっきり覚えていない。ただし李洪志が私達のために「開天目」をしてくれたことは印象深い。「開天目」の前に、李洪志は「昔、明の時代に、一人の修行者がいたが、蛇に取りつかれた。後になって、蛇は修行者の体を占有して、人間の形を成してきた。本性が改めにくいため、彼は再度一匹の大きな蛇と化して、ごたごたを起こしてくれた。行過ぎだと思って、私はそれを手につかんで、非常に大きな化功を以って、それの下半身を水に溶けたが、それの上半身は逃げた……昨年、それは再度私を妨げようとした。それがずっと悪事をし、私の伝法を破壊したため、私は徹底的にそれを消滅した」と語った(この法会に参加した後、私は同僚の『転法輪』からこの「化功」についての描写を読んだが、内容は法会での紹介より一層真に迫った。見たところ、李洪志が自分の「化功」について非常に得意そうである。彼は至る所で広く宣伝するだけではなく、本の中にも書き入れた)。自分の「高い功力」を紹介した後、李洪志はまたみんなに、目を閉じ、人差し指と中指を挙げて眉間を指すと指示し、意念で功を発して私達のために「開天目」を手伝ってくれた。私も彼の指図どおりにしたが、依然として天気の暑さを感じるほか、別の感じは何もなかった。

功を発した後、彼は現場で病気を治し始めた。最初に上がってきた人は関節炎の患者であり、李洪志はまず掌でぽきんと患者の関節を敲き、手を引き上げる際、親指と中指で花をつかむ格好もしていた。敲きながら、「彼の炎症のところに功を発してあげている」と李洪志は言った。天気が暑いため、まる30分間以上敲いた後、李洪志は汗が出始めた。この時、あの患者は「あまり痛くなくなり、大分よくなったよ」と繰り返して言った。李洪志が発した功にあまり感じがしなかったが、病気治療から見て、彼は本当の腕があるだろうと私は思っていた。しかし、私をびっくりさせたことにはその後に発生したことである。

関節炎患者の「治療」が終わった後、もう一人のきはいが上がってきた。この患者は50歳そこそこ、脊柱が湾曲して、大きく後方に突出し、背に大きな風呂敷包みを背負っっているようである。彼は演壇に上がると、李洪志に自分の猫背を治療してくださいと頼んだ。李洪志は「こうしよう。みなさんはしばらくお待ちください。彼の世話をしなければならないため、治してあげよう」と言った。李洪志はちょっと診て、この人の背中に向けて発功し始め、手で揉んだり敲いたりして、目がくらむばかりの動作であり、まったくカンフー映画に登場した武功の達人が他人を治療すると同様であった。患者の猫背には何らかの変化が現れていないため、李洪志は膝を患者の脊柱に当てた。突く度に患者は痛いと叫んだりした。やむを得ず、顔中に汗がだくだく流れた李洪志は取りやめるしかなく、患者に演壇を降りさせた。李洪志はみんなに、「先ほど治療したきはい患者は“業力”がはあまりに大きかったが、彼の猫背はほとんど良くなり、しばらくしてまっすぐになる」と言った。私の傍で一部の人が小さな声で取りざたし始め、「大師でさえ大したことはないね」、「ほらを吹くだけだよ」といった内容であった。

この時、一人の担架に横たわった患者は演壇に運ばれてきた。この患者は歩けないため、たぶん危篤状態だろう。李洪志の身に纏った黄色の煉功服は汗でずぶぬれになった。彼は担架に横たわったきりの人を見て、「あなたの病気は前生に作った、あまりに大きい罪業によるものだ。今あなたの業を消却するならば、長い時間を必要とする。時間が長くかかると、みなさんは嬉しくないだろう。先に下りよう。功を授け終えた後、単独であなたの病気を治療しよう」と言った。そこでその患者はまた下に運ばれた。演壇の下では、取りざたする人がさらに多くなり、一部の人が現場を離れ始めた。

李洪志は再び演壇で講演し続け、大抵「人間の病気は前生に作った罪業であり、煉功して病気を完治させることができることを信じるよう。薬を止め、病気を治療せずに無視していけば、治療してあげる人が現れる」といった内容であった。「大師」の「神功」も大したことがないと思って、聞き続けたくないため、私は会場を離れた。

会場を出た後、まだ早いと思って、私は労働者文化娯楽センターの入り口あたりでぶらぶらして、時間を潰すために何かを買おうとした。やがて法会が終わり、皆は列を成して出始めた。何人かが担架を担いで労働者文化娯楽センターから出てきて、小さなワゴン車に乗って離れた。まもなくきはい患者も労働者文化娯楽センターを出てきたが、猫背は相変わらず湾曲している。彼はしばらくためらって、バスに乗って立ち去った。

 

凱風サイト,2009-9-01)

  
 
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