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明慧ネット「古参記者」の反省
    
2010-05-31  Kaiwind  筆者:逵玉娟    

逵玉娟と言い、女性、今年43歳、専門学校卒業。本々は河南省南陽市の百貨店で会計を務めていましたが、1996年から法輪功を学習し始めてから、法輪功の明慧サイトのファンになり、同時にこのウェブサイトの「古参記者」となりました。2000年から2004年にかけて、このサイトに『南陽における法輪功大法』、『信仰を堅持したわが家は迫害を受け、夫と娘が違法に懲役7年を言い渡された』、『河南南陽大法弟子于風琴が受けた迫害』、『河南南陽市における法輪功学習者追及迫害事実』、『13名の河南南陽市大法弟子が違法に懲役を言い渡された』等20余本の記事を「発表」した。次に、私の明慧サイトへの投稿経緯を紹介しよう。

1967年5月に、私は新疆カシュガルの普通の労働者家族に生まれ、小さい頃から、性格が単純で、優しく、大人しく、勉強が大好きだった。1989年10月に、父親と共に、原籍の河南省南陽市に帰って、当時皆に羨ましがられた南陽市デパートに就職し、会計を務めていた。その翌年、私は結婚して、子供を産んで、一家は幸せな生活を送るようになった。

ところが、いつの間にか、父は法輪功に溺れ、私に法輪功を学習するように必死に説得してきた。法会を何回も「傾聴」して、聞き慣れた結果、私も法輪功の忠実信者となった。

2000年7月20日、私は他の南陽法輪功学習者4人と一緒に車をチャーターして北京に向かった。天安門広場で横物を掲げ、静座して煉功したため、南陽に送還された。北京から帰郷して、自分が一段と「レベルアップ」ができ、功力も高くなり、さらに「円満」に近づいてきたと思った。ちょうどその時、自分の体得を作成し、鄭州へ馬楽という人に送付し、ウェブサイトに掲載してください。これによって「レベル」が一層向上すると、法輪功学友の劉麗に勧められた。冷静さを失った私はその調子に乗って、学校で身につけた知識への自信を持って承諾した。

静まり返った深夜に、できるだけより多くの知識をマスターするために徹夜で勉強した私は信じられないほど明慧サイトのために記事を書き始め、興奮のあまり、自制心を失ってしまった。私は一気に二回にわたって北京を訪れた経歴を全部書き出してから、すぐ鄭州の馬楽に送付した。やがて私の文章が明慧際とに掲載された。「嬉しいニュース」に接し、私は興奮のあまり小躍りしていた。それは自分の心血と知恵の現われだと思った。わたしは矢も盾もたまらず住まいに近いネットカフェへ調べに行った。ウェブサイトを開くと、疑惑が解けなくなり、『河南南陽大法弟子于風琴が受けた迫害』が元々私が北京に行った経歴なのに、母親の経験とされた(母は北京に行ったことがない)。読めば読むほど、文章には修正された個所が多く、自分が書いた文書ではなくなり、警察がいかに私や北京を訪れた法輪功学習者を殴ったり、いかに手錠を掛けられた私の頭を蹴ったりした内容など、根も葉もないこともたくさん付け加えられた。これは全部彼らが勝手にでっち上げた内容であった。これら内容を見て、私は気持ちが悪くなり、真っ赤な嘘じゃないかと思った。私は劉麗を尋ね、「どういうことなのか、私たち学習者は真善美を追及しているじゃないか。どうしてうそをついたの」と責めた。彼女は非常に落ち着いていて、「娟ちゃん、あなたは大法の弟子である以上、何とかして大法に貢献すべきだよ。あなたがやったことは師父が見ている。あなたが誠意をもっているかどうかは師匠が記録している」と冷静な調子で言った。そして、彼女はさらに、「あなたの文章は、明慧サイトで芸術的に処理されたが、それも大法を守るためだよ。明慧サイトの文章は全部このように作成されたのだ。あなたはいち早く考え直さないと、功力は台無しになるよ」と言った。私はなんとなく頷いた。劉麗は不思議なように、ウェブサイトの給料と言いながら、私に50元を手渡して、ニヤっと笑った。

その後、毎日明慧サイトに掲載された文章をよく閲覧した結果、劉麗の言った通り、「迫害」を摘発する文章はいずれも血生臭く、とんでもないものばっかりであったことが分かり、私は考えが急に開け、ようやく納得できた。勇気を出しながら、「迫害」を暴露する文章を書くと、「奇妙な考え」や「ネタ」が次から次へと涌いてきて、相次いで明慧サイトに「時限爆弾」を出し続けた。成績が目立ったため、明慧ネットに「古参記者」に任命され、重点的に「育成」する対象となった。

取材と文章に溺れたため、心の中には、夫や子供の位置がなくなるだけでなく、彼らを「護法」の邪魔ものと見なすようになった。ある日、夫が外出し、私は一心不乱に文章を書いているところ、息子がやってきて、宿題を指導してくださいと言った。私は頭ももたげなかった。小さな息子はかわいそうに私の裾を引きながら、涙をこぼしながら、「お母さん、お父さんがいないから、宿題の指導をしてくださいよ。先生に怒られたくないから」と呟いた。「出て行け!邪魔するな!」私は叫びながら、息子を蹴り飛ばした。寝室のドアにぶちあたって息子のおでこから、血が幼い顔からながれてきた。この様子をみて、私は怒りがまだ収まらず、「このばか、考えの筋道は遮られたよ!絶対許さない!」と叫びながら、箒を手にして息子をこっぴどく打ちつけてやった。息子のしゃがれた叫び声が夜中の静かさを破った。障害を取り除くために、私は夫との離婚を決心した。離婚証明書を持った私は夫と子供を捨てて、明慧ウェブサイトの記者となった。

2004年、法律に違犯したとして私は刑罰の判決を下された。刑務所の幹部や警察に指導を受けて、私は徹底的に法輪功から解放された。2008年、刑務所での服役態度がよかったため、私は刑期を繰り上げて釈放された。心を入れ替えた私が久しぶりに南陽に帰ったが、状況はすっかり変わってきた。前夫がすでに再婚した。家を失った私は仕事もなく、涙をこぼしながら一人で灯し火疎らな白河沿いを徘徊していた。

周りに頼りになる人がいないうちに、地元反邪教組織のボランティアたちは支援してくれた。彼らは私のために仕事を連絡し、最低生活保障の手続きを取り、デパートの体制改革への参加を斡旋してくれたため、私は企業から改革保障金をもらった。苦境から脱出で。

  
 
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