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方旭:やはり、百花斎放のほうが

2009-04-28 ソース:CRI

方旭は梨園最も有名な「裘派花臉」の1人?方栄翔の孫で、祖父と同じ、「淨」の役柄です。方栄翔は「裘派花臉」の創始者?裘盛戎の自慢の弟子でした。40年代、方栄翔は義勇軍京劇団に参加して、1950年慰問団と共に朝鮮に行き、8年間ずっと朝鮮にいました。そして、1958年に復員して山東省京劇団に入り、亡くなるまで勤めました。方栄翔は1982年、山東省京劇団を率いて、日本で二ヶ月間公演し、日本人観客の好評を博したほか、『東方芸術の至宝』と呼ばれていました。そのときに演じた演目は『鍘美案』だったそうです。方栄翔の生涯で、現在の舞台で活躍している孟広禄、康万生などを含めて27人の弟子を取りました。家族の薫陶を受けて、方旭は3歳の頃からテープを聞きながら歌い始めました。

「そういえば、方さんはそのときから京劇の世界に入ったと言えるでしょう?」

「そうとも言えますが、勉強ではなく、ただ祖父の真似をしただけです」と、方旭はちょっと照れた顔をしました。

「おじいさんは、方さんをプロの俳優として育成したがりましたか?」

「実は、自分が京劇に生涯を捧げた年長者たちは、子孫末裔を京劇の世界に入らせたくないと思います。何故というなら、彼たちはその中の苦しみと切なさを誰よりも知っているのです。しかも、梨園の世界には『千生万旦一淨難求』(優れた『淨』の役者はほかの役柄より最も少ない)という見解があって、『淨』の役者の成功率が最も低く、今、全国には本当に秀でた『淨』の役者は指折り数えるほどわずかです」

「では、方さんはどうしてまたこの道を歩み始めましたか?」

「5歳のとき、祖父が心臓病で亡くなり、祖母は祖父への思いを抱いており、家族の芸術を継承する子孫の今後の舞台に活躍する姿を見たがりました。そういうわけで、僕は唯一無二の人となっていました。ちょうどその頃、僕はある少年京劇コンテストで一等賞を受け取り、ますます京劇と切れない縁を結ばれました」

「方さんの手ほどきの演目は何でしたか?」

「それは『赤桑鎮』でした」

「かなり難しい『包公劇』でしたよね、理解できましたか?」

 

「全然理解できませんでした」と、方旭は白い歯を見せました。「セリフなどが理解できませんでしたが、物語のあらすじが大体わかっていました」

「その少年京劇コンテストで演じたのも『赤桑鎮』でしたか?」

「いいえ、『鍘美案』でした」

「本当に『包公劇』が好きですよね」(『赤桑鎮』と『鍘美案』も包公を主人公とした演目です)

「そうです、包公は僕が最も好きな人物です。包公の剛直、厳格に法律を守る所は、いつでも人々が見習うべきだと思います」

「その後、ほかの俳優たちと同じく、劇曲学校に入りましたか?」

「はい、そうです。11歳のとき、両親に連れられて中国劇曲学院の付属中学校の入学試験を受けました。そして思う通りに、中国劇曲学院の付属中学校に入って、正式に京劇の勉強が始まりました。そこを卒業した後、当たり前のように中国劇曲学院に入り、続けて勉強しましたが、反抗期もありました」

「それはいつですか?」

「中学にいたときです。クラスメートと一緒にあちこちで遊んで、勉強のことがすっかり忘れたときもありました。それこそ、大学に入って、もっと自身の文化の素養を高めるよう求めていました。京劇の俳優にとって、文化の素養がなければ、演目や人物への理解が難しくなると思います」

「それは確かですね。で、ほかの俳優から聞きましたが、方さんが描いた隈取はとても美しくて、人物の性格がきちんと表れられます。何かコツががありますか?」

「それは僕に過分のお言葉です。実は、何事も慣れればこつが分かると思います。まず、ちゃんと演じる人物と演目を理解しなければならなくて、そして自分の顔の特徴をきちんと分かれば、何回も繰り返して試したらきっと上手くなると思います」

「初めて自分で隈取をしたのはいつですか?」

「16歳のときです。それは主人公ではなく、端役でした。かなりの時間をかかって、やっと完成したら、鏡を見て自分もびっくりしました」

「どうしてですか?」

 

「まるで厚く泥を塗ったようで、見られないほどでした」

「隈取をするとき、一番つらいことは何ですか?」

「目が疲れることだと思います。細かい所をじっと見つめなければならなくて、隈取をする度に目が大変疲れます」

「一番時間をかかる隈取はどの人物ですか?」

「『連環套』の竇尓敦の隈取をすると、僕は一時間半かかります」 

「現在の『十浄九裘』(10人の浄のうちには9人は裘派です)の状況に対して、どう考えますか?」

「裘派の創始者とした裘盛戎先生は空前絶後の俳優だと思って、もう1人の『裘盛戎』が現れることが不可能です。ならば、京劇という芸術の発展から見れば、やはり百花斎放のほうがいいと思います。昔、『銅錘花臉』の流派は裘派だけではなく、また金少山の金派などがありましたが、継承者がいなくてとうとう消えました。それは京劇にとって、とても残念なことではないかなあと思います。そのほか、『架子花臉』の郝派や侯派などの流派の継承者も少なくて、これは京劇の役者にとって目の前に迫っている問題だと思っています。本当に京劇を発展させたいのなら、百花斎放にすることは大事だと僕は思います」

こんなに優れている若い役者たちがいて、京劇の未来を楽しみしている私は思わず笑顔が浮かべていました。(楊)

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