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中国古代における科挙のカンニングについて

2016-06-30 ソース:news.cn

 

  資料写真

科挙とは古代中国で官僚登用試験を指す。隋王朝(飛鳥時代にあたる)から始まり、明、清時代において、盛んとなった。

清朝乾隆帝の時期、中国の総人口は約三億六千万人。そのうち、科挙一次試験の合格者は秀才と呼ばれ、トータルで約百万人。二次試験の合格者は挙人と呼ばれ、トータルで約18000人。三次試験(最終試験)は三年に一度、全国の挙人から最優秀者1400~1500人を選んで、都の北京に召集し、ペーパー試験と面接試験を受けて、合格者は「進士」と呼ばれ、300~400人しか登用されなかった。進士として、政府高官への立身出世が可能となり、ご本人の名前も孔子のお寺にある碑に彫られ、歴史に名を残し、インテリの最高名誉ともいえるだろう。

残念ながら、秀才資格を取得しても、地方公務員(学校教師)になれるが、まだまだ特権階級に昇格できない。挙人資格を取得すれば、最低限度町村の紳士として、税金の分は免除され、官僚登用されなくても、一生涯の左団扇が保障され、収益性は非常に高かった。だからこそ、二次試験において、カンニングは一番酷かった。

科挙制度は千年をかけて、清王朝の時代において、非常に熟成し、カンニングを防ぐ手段も着実だった。受験生の氏名を糊付け、筆跡によって人物判断を防止するために、試験生の書いた原稿を謄写し、謄写文を試験官に見せることが仕来りだった。こんな厳しい規制に対して、カンニング何か、可能なのか?「上に政策があれば、下に対策があり」というのは古くから中国人の智恵ともいえるだろう。科挙の内容は「八股文」と要請され、文章の格式と字数までも決まったもの。受験生はもし、予め試験官にキーワールドさえ約束すれば、謄写や糊付けが全く障害にはならない。

 

黒竜江省民族博物館の「中国科挙文化展覧」(資料写真)

假に以下のことは事實とすると、平成28年東大法学部の入学試験に準え、受験生の湯文傑氏は学長に手紙を郵送し、内容は次ぎの通り。 ○○学長先生東大新入生湯文傑氏は、先生から借金1000万円、金利を含め、年末までに1100万円を返済することを承諾いたします。別紙に「三二茂育、五一忠誠」と書いてある。隠語の意味は第三段落の二行目に必ず「茂育」、第五段落の一行目に必ず「忠誠」という文字が出てくる。文章の格式は全部決まったので、謄写後の文章においても、キーワールドの位置が変わらない。試験官と受験生の間に、このようなキーワールドによって、簡単に識別できるだろう。もし、試験に合格すれば、東大新入生の湯文傑氏は当然学長に借金1100万円を返済しなければなりません。落第すれば、この湯文傑は東大新入生の湯文傑氏ではないので、借金返済することは成り立たない。双方にとって、デフォルトリスクは一切なし。笑い話のようかもしれないが、清王朝の時代において、事実でした。

カンニングのほかに、科挙は不合理なところも沢山あり、1905年に廃止されるようになった。

  

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