張清雲といい、女性、福建省永安市出身、今年は34歳だ。1996年、北京の大学で勉強した間に法輪功の練習を始めた。1999年前後、故意ではなかったが、北京で李洪志「洪吟」と「米国での説法」の組版と校正に参加した。1999年上半期、北京地壇の「法輪大法検討会」と密接した本屋で実習したことがあるので、法輪功の書類、音声製品の出版、発行と販売ルーツがよくわかり、李洪志はこれを利用して巨大な財産をかき集めた事実も完全にわかった。
1994年の末頃、李洪志は「私の本を読んだり、説法ビデオを見たり、テープを聞いたりすれば、同じ効果が収められる」と言った。つまり、まずもっと勉強になれとみんなに言って、次は法輪功組織を通じて書類、ビデオ、テープ、VCDなどをたくさん作りだし、法輪功練習者内部で販売して、巨額な利潤を手に入れることだった。
1998年と1999年、私は北京で「法輪大法検討会」のメンバーや地域幹部と知り合いになった。その中に、総政歌舞団から定年した元幹部陳玲は華齢出版社が発行した上製版「転法輪」の校正係であった。彼女は北京での初期弟子で、李洪志と直接連絡をしていた。1999年のはじめ、学校冬休みの前、陳玲に、家で「洪吟」と「米国での説法」を一緒に校正しようと声をかけられた。
陳玲の家で、ほかのメンバー二人と会った。一人のおばあさんは北京農業大学の定年教授で、もう一人の男性メンバーはどこかの定年幹部だった。陳玲と私を加えて、全部は四人で始まった。最初は印刷する紙版の原稿を校正する作業だが、原稿はどこから持ってきたのかを聞きたくても聞く勇気はなかった。原因は李洪志はメンバーに「口を修める」と要求したからだった。知るべきではないことに対し、聞いたり言ったりしてはいけない。陳玲の家で校正する間、李洪志からの電話がかかってきたこともある。やはりわれわれが仕事している様子は師匠が見ていると思って、四人は興奮した。紙の原稿の校正が終わってから、フィルムを作るためほかのメンバーに持たれた。フィルムは外の協力業者が作ってもらった。時間が急いでいるため、翌日の夜、陳玲の夫と一緒にフィルムを取りに行った。フィルムを作る場所はわが学校の図書館であることに驚いたが、何も聞かなかった。フィルムを取ってから我々は最後まで校正作業を続いた。陳玲は他のメンバーに成品ができたと連絡し、ある女性メンバーが取りに来た。後の話で、彼女は張暁潔といい、長春出身で今北京で勤務していて、法輪功の幹部であることがわかった。我々は陳玲の家で昼と夜との区別なく仕事を続けていた。当時は神聖と興奮な気持ちであった。陳玲は、こうやって直接大法のため、師匠のため奉仕できることは我々のお福である。もし他人に知られたら「顕揚心」があるということになるので、このことについて口を修めて、誰にも言わないでくださいと私に注意した。
あの頃の私は法輪功に何年間も溺れたから、「なぜ」を聞かなく、思わないことに慣れてきた。したがってこのことについて、数年間ずっと口に黙って、法輪功と李洪志の秘密を厳守していた。今考えると、李洪志の本、特に外国での説法は法輪功メンバーは録音や録画の中から一文字一文字で書き出し、整理、校正、出版したものだ。李洪志は「功徳無量」を言ってあげるだけで、その人たちは感激してたまらなかった。
後、于長新が披露したことを読んで、以下の裏事情がわかった。法輪功の原稿は最後に彼を通して出版社に渡して出版される。このプロセスではすべての法輪功メンバーはただで、されにお金を立て替えてて参加した。例えば、「米国での説法」の入力、組版は陳玲の息子が担当した。彼は数人のメンバーを組んで、自分の会社の設備を利用し、数日間連続的に作業して出来上がった。全員の食事代、交通代とフィルムを作る費用はメンバー自払いことであった。李洪志は一文さえ払っていなかった。このことから、李洪志は組織的にたくさんの本を違法出版したことはどれほどの法輪功メンバーを搾り取ったことは明らかになった。
1999年3月から、わたしは北京地壇の「文華書店」に実習を始めた。マネージャーは李小兵といい、北京法輪功の幹部であった。彼女の妹李小妹(1999年天津教育学院を包囲攻撃事件の組織者)は「法輪大法検討会」の幹部であった。本屋は検討会用書の直接販売店と言ってもよろしい。当時、北京と周辺地域の法輪功資料は全部「文華書店」から提供したものだった。その中に、書類もあるし、音声ビデオなども含まれた。「文華書店」が発売した法輪功資料はほとんど徐祥蘭という人が雲梯した「武漢深深集団」と許金良が運営した「山東科技文化中心」と関連していた。私の記憶では、わが本屋のメンバーは定期的に武漢に行って本を購入して、東風トラックで北京まで運んできていた。1999年に新たな発売した「洪吟」もそうだった。本屋は本に印刷した値段のままメンバーに売った。何冊購入してもディスカウントはなかった。表はメンバーや補導員は本屋で本を購入しているように見えるが、実際書店の責任者、職員は全部法輪功メンバーであった。しかし、顧客はそれが知らなかった。「常人」が運営した普通の本屋に買っていると思った。こうやって「合法運営」のふりを見せかけた。
1999年6月のある日、李小妹が来店した。李小兵は彼女に11万元を師匠へ渡してくださいとこの耳で聞いた。当時の私は不思議に思った。どうして本屋は師匠にお金を渡すのか。私は本屋が購入した資料をそのままメンバーに売っている。メンバーに奉仕する義務があると思った。李洪志はメンバーからお金を取ってはいけないと言ったから、私は本当にみんなが大法のために無料に奉仕していると思った。後の私は当時の考えはどんなに甘かったことがわかった。徐祥蘭、許金良などの披露ごとを読んで初めて分かった:実際、検討会から出版社、そして本業者、最後本屋まで、ずべては法輪功メンバーが管理をしていた。すべての段階は李洪志と契約していた。本屋は直接お金を李洪志に振り込んだ以外、李洪志は徐祥蘭が経営した深深集団との契約では、深深集団が販売した法輪功資料は売上の8%を李洪志に支払う条件があった。李洪志は許金良との契約では、許金良は販売した音声製品売上の10%を李洪志に支払うことを決めた。
李洪志は国内で発売した法輪功書類について2万元の原稿費用以外何ももらっていないと言っている。しかし、原稿費用は出版社で支払うべきなお金で、本業者と本社はどうして費用を払っていたのか。徐祥蘭たちの白状によると、李洪志に払った費用は、契約に決めった控除金以外、原稿費用、校正費用なども別途払った。しかし、李洪志は自分で本を整理、校正したりはしていない。すべてはわれわれ法輪功メンバーがやった作業だった。われわれの中に、誰でも李洪志から一文の給料をもらったことはない。李洪志はメンバーの苦労してもらったお金を湯水のようにつかっている。これはまさにメンバーに対する搾り取りのではないか。
それに、1996年から、新聞出版署は「転法輪」など法輪功関連書類を出版することを明らかに禁じた。その後、私たちが買った資料は李洪志がメンバーに指示して違法な印刷工場でつくった違法書類なんだ。たくさんのメンバーが騙された。李洪志はこうやって全部の税金を逃し、巨大な財産をかき集めた。
(Kaiwind.com, 2010-08-06)