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魔がさされた劉宝徳は両手を焼いた(写真付き)

2011-04-22 ソース:Kaiwind 作者:白雲飛

   
 
劉宝徳の焼かれた両手

吉林省磐石市で友達に会った時、劉宝徳と言った早期法輪功練習者の話を聞いた。彼は法輪功の練習で夢中になり、自分は神になったと思ったから、かまどの燃焼口(注①)に潜り込み、焼身自殺で天国へ入ろうとしたが、結局指7本を焼いてしまい、一生涯の悔しみになった。私たちは現地取材をすることを決めた。

劉宝徳は1964年7月21日に生まれ、磐石市紅旗嶺鎮十里村麼金場屯の住人だ。息子一人と娘一人はそれぞれ吉林省長春市と白山市での大学で勉強している。家には、宝徳と妻二人だけが残って、数十ムーの百姓仕事で生活を支えていた。以上の状況は劉宝徳の幼馴染、かつ現在この村の村長謝永奎から了解した。

2009年10月ある日の午前中、私たちは村長謝永奎に連れられ、紅旗嶺鎮十里村麼金場屯にある劉宝徳の家に辿りついた。彼の家は村の一番南側にあった。数軒ボロボロのかかし建ての部屋はトンモノコシの畑に囲まれていた。案内してもらわないと、なかなか探しにくい場所だった。あいにく部屋の鍵がかかっていた。劉宝徳と会えなかった。家の外で30分も待ったが、会っていなかった。後、通りかかった村の人は劉宝徳と妻が一緒にトンモノコシ刈りに山へ行ったそうで、いつ帰ってきたのかわからないよと教えてくれた。私たちは午後にもう一度来るようにしました。しかし、午後になっても、劉宝徳と妻は依然帰ってきていなかった。とても残念でした。村長謝永奎は言ってくれた:私は宝徳のことをよく知っているので、何でも聞いて。そして、私は村長と劉宝徳の話をしゃべり始めた。

村長謝永奎は言った:多数の麼金場屯住人は朝鮮族だった。劉宝徳は珍しく漢民族であるのに、他人にやさしかったので、周りの人々と仲好かった。しかし、彼は体が弱くで、病気に悩んでいた。1998年4月、体を鍛えるため、他人に唆されて法輪功の世界に入り、間もなく練習に溺れた。毎日は練習ばかりして、百姓仕事を全部捨てた。子供の勉強状況にもまったく気を付かず、法輪功の練習に夢中になった。ただ三か月間で、劉宝徳は魔がさされ、自分が神になったと思いはじめ、天国へ行く道を探し始めた。

村長としゃべっている間、劉宝徳の妻梁淑芬が帰ってきた。私たちの目的をわかったら、怒っていった:うちの宝徳は法輪功を練習しない限り、障碍者になるはずはなかった。法輪功のせいで、家庭は痛ましい状況になった。劉宝徳の練習様子を思い出すと、梁淑芬は言った:劉宝徳は1998年4月から法輪功の練習を始めたのだった。その後、ますます夢中になり、ついに魔がさされた。

あの年7月9日夜のことだった。宝徳はご飯を作るため火を付けた時、自分がすでに神になったと思ったので、焼身自殺で天国へ入ろうと決めた。私と二人の子供が気づいていない時、彼は素早く手と頭でかまどの燃焼口の中に潜り、焼身自殺で天国へ行こうとした。異常の音ときつい匂いは私と二人の子供の注意を引かれた。私たちは泣きながら宝徳を火の中から引っ張り出して、火を消した。後は隣人の協力でボロボロに焼かれた宝徳を吉林省江北化工病院のやけど治療室へ運んだ。しかし、劉宝徳は治療を拒否した。これで治療のタイミングを見逃した。彼は病状が回復していないうちに、家族とお医者さんの強い反対を無視し、家に帰って法輪功の練習を続けた。そのため、焼かれた指は感染され、悪化し一方だった。その結果、家族は劉宝徳を吉林市駐軍第222病院のやけど治療室と吉林省樺甸市やけど治療室に連れられて診てもらったが、劉宝徳は治療を拒否したため、骨髄炎になり、指の切断手術をせざるを得なかった。元々健全の両手は今親指二本と人差し指一本しか残っていなく、基本的な労働能力を失った。

注①:「かまど」は東北農家でご飯を作る場所だ。元々は土で作ったものだが、今はレンガ造りプラスセメントのほうが多かった。長さは1メートルぐらい、高さは0.5から1メートルぐらいで、上に料理用の大きい鍋が載せている。普通のかまどはオンドルとつなぎ、冬になると、料理を作る同時に、部屋とオンドルへ温かさを提供できます。

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