廣英と申し、今年44歳、学歴は中学卒、家は陜西安康市の都心部に住んでいる。法輪功の話題になると、心には複雑な感情が一杯ある。悔しかったこと、恥かしかったこともあれば、幸いだったこともある。悔しかったことは十数年間の人生を無駄にしてしまったことだ。恥ずかしかったことは家族に会える顔がないことだ。幸いだったことはようやく本当の自分を取り戻したことだ。
20代の時、子宮筋腫にかかった。体の都合が常に悪くて、何回も医者に診てもらっても、著しい効果はなかった。1996年春、区の編み工場で勤務をしていた。通勤の道はある公園を通っていた。朝早く公園に来た人は音楽を流して、グループになって練習をやっていた。私は側にそれを見ていた時、練習者は寄って、やさしく紹介してくれた:これは法輪功というものだ。全国ではやっている。練習は無料だし、病気も治せる。真面目に練習すれば、メリットはいっぱいある。彼らの話は当時子宮筋腫に悩んだ私にとって、まるで覚せい剤みたいなものだった。
あの時、会社の利益はあんまりよくなかった。思い切って薄い給料を練習服に使っちゃった。毎日早起きして、練習の場所に行って、ほかの練習者と一緒に練習していた。病気を治すため、一生懸命だった。ほかの練習者との交流が自然に多くなってきた。注意力を自分自身の病気のことから練習のことに移ったため、不適な感覚はなんとなく消えてしまった感じがした。その錯覚があったから、やはり練習する甲斐があると信じて、ますます法輪功の沼に落ちて行った。
練習点の担当者は、法輪功の練習のポイントは法を勉強すること、心性を修練することと罪業を消すことだと言われた。練習者から「法輪功」を購入し、数日間で全部読み上げた。「いい人になる」、「真善忍」、「失わなければ、得られない」、「名、利、情」を捨てようなど内容は当時私の心境にびったりだった。天へ飛ぶ梯子を見つけたと思った。その後、時間を作ってよく読んで、ノート五つを使って「転法輪」を二回も写した。暗記できた内容が何章もあった。すべての時間を法を勉強し、写し、暗記することに使ったので、頭の中に、「徳、業力、法身、次元、白昼に天国へ飛ぶ、円満」などの内容ばかりになった。特に困ったことがあれば、それは試練だとおもって、白昼に天国へ飛ぶことを考えて、自分の心理調節をしていた。
2003年、娘は受験生になった。毎日早起きをして、夜遅くまで起きて、勉強は大変だった。私は全く娘の受験生活を世話しようと思っていなかった。洗濯、料理などを夫に押し付けた。夫は昔、足を怪我したことがあったので、動きは不便だった。売店の経営をしながら、娘の受験生活を世話して毎日は大変だった。夫と娘は法輪功の練習に大反対だった。最初はやさしく助言されたが、私は相手にしていなかった。後、二人ども私の前で膝ますいて、涙を流しながら私に頼んだ。私はこれは師匠が与えてくれた家庭の関が乗り越えられるかどうかという試練だと思った。将来、白昼に天国へ飛べることと円満になることを考えて、捨てられないものはない。
こうして、法輪功にますます溺れた。2006年4月2日に、練習者は朝早く私の家に来て、ある物を渡してくれた。師匠の新しい経文、お守りとDVDなので、これを配布してくれ。これで人が助かられ、早く円満できるといわれた。あの日、大衆を救う大切な責任を感じて、師匠の要求は私の行動基準だと思った。翌日に、私は自ら八百屋へ野菜を買いに行ったが、目的は資料の配布だった。最初のDVDを配布したら、断られて、警察に通報すると言われたので、慌てて逃げた。
母は隣の県の農村に住んでいた。4月19日は母の誕生日なので、これは資料配布の大チャンスと思った。バスに乗って、母が住んだ村に降りた。資料を持って、村の住人に配布しようと予定した。歩きながら、正念を発した。ほぼ一キロを歩いた。ある部屋の扉は閉めただけ、鍵をかけていない状態だった。それは師匠が用意してくれた「縁のある人」とすぐに意識した。密かに二階を上って、ビニール袋で包んだ資料を窓際に置いた。非常に緊張した。緊張すればするほど、心が乱れていた。あちこちから見られたような気がした。慌てての中、窓際に置いたスコップを「コン」倒した。私は非常に驚いた。その時、人の足音が聞こえた。あるおばあさんは歩きながら言った:「バカ猫!まだいたずらをしちゃって!」私は注意力を集中し、両手を合わせて、正念を発しながら、心の中に絶えずに「とまれ、とまれ」と叫んだ。おばあさんが止められると、私は逃げられると思ったから。しかし、正念を発しても、全く効果なかった。おばあさんはドアを推して出かけた。白昼に天国を飛ぶことを思い出した。数年間練習してきたから、飛べるだろう!手すりを持って、飛び降りた。絶対飛べると思ったが、二秒もない間、二階から一階の豚小屋に落ちた。非常に痛かった…
おばあさんは私のことを泥棒だと思った。しかし、私に何も取られていなかったし、女性なので、すぐに家族を呼んで、私を救った。彼らは疑いながら私をみた。非常に恥ずかしかった。人を救いに行ったくせに、救われた。最もつらいのは、信じ込んだ正念はいざのとき、全く効果がないし、期待した天国への飛ぶことは体を傷だらけにさせた。善良の村人は事実を了解した後、私を慰めてくれて、家まで送ってくれた。母の誕生日祝いの旅はけがの旅になってしまった。
あの飛び降りたことは、円満の夢から目を覚ました。白昼に天国へ飛ぶという幻も解除した。家に横になった私は、自分の行為を冷静に考え直した。10年間の練習は何も得られなかっただけではなく、夫、娘に非常に申し訳なかった…そう思った私は思わず大声で泣いた。夫と一緒に病院で検査を受けた。子宮筋腫はひどくなったので、医者さんは子宮を切る手術を勧められた。
これで、十年間の練習は結局子宮を失った。