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誰が凶手か?(写真つき)

2012-10-24 作者:雲舒

 

高さんの遺影

隣人の高さんというおじいさんは離休(建国前に革命に参加して退職した)老幹部だ。性格が穏やかで、毎日ニコニコしていた。妻とよく物事を相談するいい夫だ。高さんの妻はもともとお医者さんで、善良で陽気な人だった。子供がほかの都市で結婚してから、二人は幹部休養所に入所した。高さんは中年に高血圧や冠動脈の疾患にかかり、ずっと薬を飲んで病状をコントロールしていた。妻は毎日彼の面倒をみて、お世話は行き届いていた。

1995年の秋、高さんの妻は法輪功に夢中になった。毎日早起きして出て、夜遅くまで帰る彼女は神秘さを帯び、別人のようになった。他人への態度が冷淡で、敵意さえ感じられる。挨拶すると、ちゃんとする返事もなかった。彼女との仲も遠くなった。高さんはよくさびしくて、うちのところによく来て、顔色も憂鬱で、笑顔が全然なかった。

1996年夏のある夕方、高さんの家から激しい喧嘩の声が伝えてきた。行くと、高さんは門の前で体が震え、息も荒く、あまりの怒りに話すことさえできなかった。リビングルームの中で、薬、カルタ、本が散らしていた。高さんの奥さんは落ちた薬を足で踏み潰し、高い声で「薬を飲まないといっただろう」と叫んでいた。

高さんの妻が法輪功を修練してから、『転法輪』に書いてある「病気は業の力だ」、「薬と注射で病気を治そうもない」を信じた。彼女は高さんに薬を飲まさせなく、修練させて業の力を消すのだ。

当日の午後、高さんは体の具合が悪いと感じ、お医者さんを呼び、検査を受けたら、血圧は200ミリまで達したを発見した。お医者さんは高さんに薬を飲ませた後、彼は少し元気になった。

妻が帰ったら、薬を見つけると怒った。彼女は狂うように叫び、薬を散らしまくり、足で薬の粒を踏み潰し、すべて下水道に捨てた。

これから、妻は高さんの行動を制限し、診察、薬飲み、お医者さんの訪問を一切やめさせた。ある日、お医者さんが来て、高さんに薬をあげた。妻はその場で薬を奪ってゴミ箱に入れた。「これは薬ではない、ごみの中のごみだ。大法を修練すればこそ長生きし、健康を保つことができる」と話した。

仕方がない高さんは医療カード、カルテ、転院カードを衛生所のお医者さんのところに預けた。たまにはこっそり外で薬を飲んでいた。

しかし、妻の目は行き届いた。高さんが薬を飲むことに気づいたら、すぐやめさせる。ある日、よろよろと衛生所に来た高さんは顔色が赤く、「先生、めまいを感じている。もうたまらないよ、早く降圧薬をくれ。」とお願いした。お医者さんは薬を取り出したら、高さんは奪うように薬を手に入れ、水も飲まないまま飲み、すぐ離れた。高さんの後姿を見て、みなさんはとても悲しかった。戦争の時代に銃弾を恐れなかった彼は、妻の前で薬を飲むことさえできないなんて、かわいそうだ。

高さんは体が悪化する一方だ。もともと彼がいた職場の担当者は焦り、何回も家にきて高さんの妻を説得しようとした。しかし、彼女は一歩も譲らなく、「法輪功は宇宙で一番いい大法だ。大法の助けと師父の守りで、私の家族はきっと幸せになる。王さん、あなたは私より数十歳も若いのに、私の前になくなるかもしれない。私は修練者だ。あなたたちは常人だ。これから、うちに来て、ここを汚さないでください!」と座禅をし、修練を始めた。

幹部休養所の条件がとてもよく、電話一本だけで、洗濯、掃除、水運びなどの家事はお手伝いさんがこなしてくれる。しかし、高さんの妻はお手伝いさんをぜんぜん来させなかった。だれが手伝うと、かえってきっぱりと断られる。彼女は法輪功ばかり修練し、家事はすべて高さんに任せた。

2003年冬のある午後、3時ごろ、高さんはウォーターサーバーの水を替えようとした。スタッフは水を門の前においた。高さんは水をいれた容器を提げ、階段に上ろうとしたときに、ふと躓いてショックとなった。衛生所はすぐ近く、お医者さんを呼ぶボタンもあるのに、高さんの妻は使おうとしなかった。私がこのことを聞き、駆けていくと、高さんはすでに部屋の地面に置かれた。

高さんの妻は私たちを部屋から押し出し、四、五人の修練者を自宅に呼んだ。お医者さん、隣人、職場の担当者がみな駆けてきた。彼女はドアを開けなかった。ただ友達と高さんの周りに座りこみ、呪文みたいなものを繰り返した。一時間が過ぎ、高さんはぜんぜん反応がなかった…二時間のあと、やはり変わりがない。

最後、職場の担当者はドアをぶつかり、高さんを救出すると決めた。しかし、もう手遅れで、高さんはもうなくなった。

いまでも、高さんの最後の顔は忘れられない。目が瞑っていない、怒って何を見ている顔をしているだ。目じりの涙がまだ拭かれていなかった。

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