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于華:治療拒否で死亡した義姉のことに目が覚めた(写真付き)

2012-09-29 作者:于華

于華はスタイルをよくさせるため、法輪功の練習をし始めた。一緒に法輪功をやった人と恋になり、結婚した。義姉は法輪功練習点の担当者だが、高血圧があるのに、薬も飲まず、病気発作の時、治療も拒否したため、病死してしまった。義姉の夫がショックで老人ホームに入り、義姉の娘は落ち込んで故郷から離れた。この悲劇をみた于華と夫はようやく目を覚め、法輪功から抜き出した。

 

于華といい、1979年に生まれ、河南省安陽市殷都区に住んでいる。現在は安陽市ある百貨店である浄水器の代理をやっている。

 

1997年、私は安鋼技術学校に入学した。ある日放課後、安陽市安鋼映画広場を通りかかった時、たくさんの人が集まって、音楽のリズムに従い、座禅をしながら功を練習していた様子を見た。好奇心を持ってよく観察した。私は美しさを大切にしたガールなので、自分のスタイルや素質をよく注意を払っていた。その時、法輪功の練習者から練習すれば、以上の点が鍛えられると聞いたので、自分はうれしくて、すぐ近所の売店から丸いクッションを買ってきて、練習者のチームに参加した。

練習する間、現在の夫と知り合いになった。彼は格好良くて、仕事に器用だったし、わたしに非常にやさしくしてくれた。お互いに法輪功を練習していたという共通趣味があったので、恋に落ちてしまった。うまく一致することで、当時彼氏の姉李荷花はこの練習点の担当者で、姉もほかの同修も私の悟性が高い、勉強が早いと褒めてくれた。恋の分もあって、私は法輪功しか眼中にいなかった。学習などを全部脳の後ろに捨てた。したがって成績が落ち、安鋼に入社できなくなった。しかし、あの時の私は法輪功に溺れて、反省するどころか、法輪功をやり続けると決心を固くした。

1999年7月、国が法輪功を取り締まった後、ほとんどの同修は練習を止めた。私と夫は「一心不乱に修練」を続け、家庭や仕事にまったく気にしていなかった。天津にいる両親は私が家でうろうろしていた状態をわかってから、お金を援助してくれて、私を安陽市一百貨店国美電気デパートに浄水器の代理の仕事をやらせた。しかし、法輪功に溺れた私は運営する気はなかったので、ビジネスは初期段階で数万元の損をしてしまった。

その状態は義姉李荷花が病気になり、治療を拒否し、「円満」に死んだまで続いた

李荷花

李荷花、1956年に生まれ、高校卒業。安陽市ある国営企業から定年した。彼女は高血圧を持ち、1996年法輪功が体を鍛えられると信じてしまったため、練習を始めた。その後は安鋼映画広場法輪功練習点の担当者にもなった。李洪志と法輪功組織の「歩き出そう」思想に唆され、彼女は湯陰県の法輪功デモに参加したことがある。国は法輪功を取り締まった後、彼女は鄭州、北京などところに行って、「法を守る」デモに参加した。

法輪功を練習してから、李荷花は薬を飲まなくなった。2005年のはじめ、彼女の高血圧がひどくなり、脳出血になった。しかし、彼女は家族にいかに説得されても、病院に行きたがらなかった。彼女は大きな声で:「師匠は側にいてくれている。師匠は私を助けてくれる。」と叫んだ。しょうがなく、家族は泣きながら、縄で彼女を縛って病院まで運ばれた。お医者さんの救命措置で、命はようやく助けられた。リハビリの時、彼女は治療に協力しなかったため、病状が一方悪化し、全身不随になった。2007年6月、発作した李荷花はもう一度家族に病院まで運ばれた。しかし、「師匠」李洪志から守ってもらえず、51歳の若さで他界した。

李荷花の死後、彼女の夫はあんまりにもショックで、やつれていった。今でも老人ホームに住んでいる。活発で明るかった彼女も落ち込んで、遠いところへ行ってしまいました。

私と夫は自分の目で法輪功のせいで義姉の家族がボロボロになったのを見た。法輪功を練習して14年間以来、自分がもらったことと失ったことをもう一度考え直してみて、法輪功を疑い始めた。法輪功邪教の縛るから逃げ出し、正常の人間に戻ってきた。夫は職場でよくできて、毎日は気持ちよく働いた。私は商売を真面目に運営し、家族は前の幸せに戻った。

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