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鄭素霞は円満を求めて服毒し自殺(写真付)

2012-10-08 作者:郝林

 

鄭素霞の遺影

 

2004年8月3日、河南省濮阳県王称堌郷魏廟村で悲しいことが起きた。村民鄭素霞は農薬を飲んで自殺した。

7年後、凱風網の記者はこの村に来て、鄭素霞の家族や隣人を取材した。

もともと、鄭素霞の家族は幸せだった。勤勉で家事に長じる鄭素霞は、夫の両親に親孝行をし、育児にも熱心だった。家中もきちんと整っていた。夫の魏成恩は素朴な人間で、可愛くて綺麗な娘一人は小学校に入学した。夫婦二人は田植えのほかに、小規模な養豚場を経営していて、年に数十頭の豚を売っていた。暮らしが豊かな家族は、村人に羨まれていた。

1997年、長い間の労働で、30歳を越えたばかりの鄭素霞は首筋、肩などの痛みを感じ、手足も思いのまま動けなくなった。郷の病院へ診察を受けるある日、隣村の曹麗娟は彼女に、法輪功を修練すれば薬を飲まず、入院せずにすべての病気が治るといわれた。曹麗娟の勧誘で、鄭素霞は法輪功を修練し始めた。関連の本と録音テープをも買った。

始めのとき、鄭素霞はただ家で本を読んだり、テープを聴きながら練習したりしていた。友達と一緒に修練するのはまれだった。彼女はだんだん本の中の「円満」に引き込まれ、健康を手にするだけでなく、魂を浄化し、「佛、道、神」になり、円満を求めるようになった。

妻の影響を受け、夫の魏成恩も鄭素霞に追従し、修練し始めた。幼い子供をつれて修練の活動に参加することまであった。夫婦二人は法輪功に夢中し、毎日家で法輪功を修練するばかりしていた。畑は荒廃になり、養豚場も倒産に追い込まれた。ただの二年間で、夫婦二人は養豚場経営で貯めた3万元をすべて法輪功に使った。娘も両親と一緒に修練するために、通学嫌いになった。遅刻から、不登校に至り、成績も落ちた。しかし、鄭素霞は師父に従うほうが、勉強するよりも出世できると考えていた。

夫の70歳に近い両親から見ると、鄭素霞はみんなに羨まれる嫁だった。彼女は姑のために、おいしい料理を作ったり、汚れる服を洗濯したりしていた。二人の体の具合が悪い場合、鄭素霞は煩わしさを厭わず看病し、何の文句もなかった。しかし、今の彼女は別人のようになった。家事も畑仕事もしないばかりでなく、娘や夫の両親のお世話も見ないようになった。夫婦は修練の話をするほかに、交流をしない。隣人や親戚との往来も絶えた。閉じこもって修練するばかりしていた。

1999年7月、国は法輪功を法律にそって取り締まった。しかし、完全に泥沼に陥った夫婦はなかなか身を抜くことができなかった。彼らは師父の「円満は近いごろにくる」という話を聞き、自分が修練に精進し、「名、利、情」を捨て、師父の教義に従ってやるなら、修練の力を突破させ、自分を向上させ、円満に達し、家族がみな天国に昇り幸せになると確信していた。

2002年末、夫の魏成恩は自分を向上させ、円満を求めるために、李洪志の新しい経文を信じ、両親と子供を捨て、家を出て法を広めることにした。その後、消息が途绝えた。

法輪功で家族が崩壊していくことをみて、夫の両親とほかの親戚はみな鄭素霞に修練をやめるように勧めた。しかし、円満を求めることに溺れている鄭素霞は異見をまったく聞き入れなかった。自分を説得しようとする人はただの常人で、本当の修練が分からないと考え、彼らを円満に達する途上の「魔」とみなしていた。義父母も過激になった鄭素霞を説得できなく、途方に暮れた。村の隣人も彼女と付き合わなくなった。

その後、鄭素霞の精神がもっと変になった。いつも、ただ一人で座り込み、黙っていて、眼が呆然と何かを見ている。時には「師父は私を待っている。そろそろ円満になるよ。天にのぼって、仙人と佛になるよ」とかのおかしい話をする。

2004年8月3日、鄭素霞は自分を部屋に閉じ、農薬を飲んで自殺した。死ぬときに、懐に『転法輪』を抱えている。鄭素霞は円満に達する夢を持ち、いわゆる天上りの道を辿っていった。年は39歳だった。

息子は家出し、嫁は自殺した。いま、二人の年寄りは孫娘と一緒に孤独な暮らしを送っている。自分の息子、お嫁を思い出したら、二人はいまでも法輪功を憎み、涙も出ないほど悲しい気持ちだ。

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