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トウ歓歓:父がなくなった時は60歳だけだ(写真つき)

2012-10-26 作者:トウ歓歓

トウ歓歓と申します。今年は29歳、一人娘だ。重慶市南岸区広陽鎮明月沱151号4-4に住んでいる。私の父はトウ富寿と申します。1952年1月2日生まれ、中学卒で、もともとは重慶造船場修理部26ワークショップの旋盤工だった。

父の遺影

トウ歓歓と申します。今年は29歳、一人娘だ。重慶市南岸区広陽鎮明月沱151号4-4に住んでいる。私の父はトウ富寿と申します。1952年1月2日生まれ、中学卒で、もともとは重慶造船場修理部26ワークショップの旋盤工だった。

父親は仕事にまじめで、腕もよかった。毎年工場の模範職員と選ばれ、重慶市労働模範に当選したこともあった。母親もいい妻だった。家族は幸せな生活を送っていた。

1996年の時に、父がよく息が苦しく、体が無力だと話していた。時には、咳と喘息もあった。病院で検査を受けると、肺気腫の初期症状だと言われた。まずタバコをやめ、つらい仕事をしないようにと勧められた。初めのごろ、お医者さんの言うとおりに、薬を飲み、症状は悪化しなかった。

1998年の初め、父親の工場で法輪功を修練し始めた人がでた。修練したらすべての病気が治るといううわさもあった。父は病気を治すために『転法輪』とテープを買い、家で修練し始めた。

当時、私はまだ15歳の少女だ。初めのごろ、法輪功がいったいなんだを知らなかった。普通の気功で、体を鍛えることにいいと思った。法輪功の弊害はあとで知るようになった。初めの頃、修練は体を鍛えることだと思った。しかし、彼はだんだん教義を信じ、夢中になった。腹の中に「法輪」があると感じ、李洪志が語った「生、老、病、死はすべて業の報いだ。薬のみはただ業を抑えるだけで、業はだんだん重ねる。問題の解決にならない。修練すればこそ、業を消すことができる」と信じるようになった。

修練してから、父は薬飲みをやめた。夜明け前におきて修練し、仕事への熱意も冷めた。早く家に帰り、家事もやらなく、『転法輪』を読むばかりしていた。

父は別人のように変わり、悲観的になった。樸訥になり、毎日読経、座禅、修練ばかりしていて、私たちとしゃべらなくなった。私と母は疑うようになった。なんで修練者をこんなに変な人にならせたの。修練をやめようと勧め、お医者さんの意見を聞き、飲むべき薬は飲み続いてほしいって、しかし、父親は私たちの勧めを受け入れなかった。

1999年、法輪功は政府によって取り締まられた。私と母が法輪功の修練者がいわゆる円満を追求してなくなったテレビニュースの生臭い画面を見て、驚きながら怖がった。法輪功に夢中しないようにと勧め、世の中に薬を飲まなくても直る病気も、天に昇ることもないと説得した。このままだと、病状が悪化するが、父はなかなか泥沼から離脱できなかった。前のように毎日外で修練するわけにはいかなかったが、家で修練し続けていた。

2005年、父は階段に登るときに、息が切れそうになり、咳もやまなかった。みんなよく休みをとり、夜遅くまで修練しないようにとアドバイスをしたが、彼はぜんぜん受け入れなかった。症状は修練がうまく進まないから、業が消えていないと思った。身体検査を受けた際に、お医者さんに、肺気腫が治療しないと悪化し、肺がんになる可能性もあると言われた。父は法輪功のことばかり考え、お医者さんの警告を真剣に扱わなかった。工場の経営が悪いので、彼は早期退職をし、毎日法輪功を修練するばかりしていた。

2008年7月のある夜、私たちはみんな外へ踊りをしにいった。父は一人で家で修練した。帰ったら、倒れた父を見た。東港病院まで送り、救急措置を受けさせた。お医者さんによると、呼吸が通じないによる昏迷で、病状は重度肺気腫に進展した。父は病院で治療を受けされた。病状はコントロールされた。しかし、退院してから、父は相変わらず法輪功を修練していた。

2011年末、父は病気が再発した。私たちは息苦しい父を病院に送り、目が覚めた父はどうしても治療を受けたがらなかった。退院したいばかり言っていた。父がこっそり退院することを防ぐため、私と母は順番で父を見守った。しかし、父は毎晩おきていて、部屋で座禅と修練をしたり、経文を暗誦したりしていた。倍ぐらいの努力を払い、治療を受けた罪を償還しようとした。薬を捨てることまであった。私たちはこんなことを知り、怒りを感じていた。母は涙がでるほど怒っていた。

2012年1月29日午後1時、母が食事をしに行く際に、父は点滴のカテーテルを抜き、修練をしようとした。しかし、座禅の姿勢をまだ整っていないうちに倒れた。まだ救急措置の用意をしているうちに、あの世に行った。年はただ60歳だけだった。

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