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「門徒会」、我が愛児の命を奪った野郎

2016-05-04 ソース:kaiwind.com 作者:李明堂(口述)文刀(記録)

 

壮壮が生きている時の写真

李明堂と申します。男性、44歳です。四川省雅安市天全県武安村1組に住んでいます。

もともと,私は幸せな家族をもっていた。両親も健在だし、わが夫婦二人も仲良いし、特に1997年6月に、息子の壮壮の誕生は、多くの幸せをもたらしてくれた。だが、こんな幸せな生活はは母が「門徒会」に参加したことで、すっかり変わってしまったのだ。もっとも残酷なのは5歳の息子の命まで奪われたのだ。

これは2002年夏のことであった。私は妻の李小琴と一緒に麦を刈り取るため出稼ぎ先から家に帰った。ある朝、私たちは畑仕事をしている時に、急に母の声が聞こえてきた。「ほら、堂ちゃん、堂ちゃん!早く仕事を止めて来てくれ、よく聞いてね、小琴も。」頭を上げて見たら、母が麦畑のそばにある桐の木の下に立っていた。右の手が肩に掛けていた袋をずっと叩き続けて、左の手を振って合図して、私たちをそばまで呼ぼうとしていた。家に帰った日から、母はいつも朝早く出て、夜遅く帰ってきたようだから、どうしてそんなに忙しいのと聞いてみたら、すごいことをやってるよと教えられた。まさか今日はそのすごいことを詳しく説明してくれるのかと思って、妻とともに鎌を置いて、母のそばまで速く歩いていった。その時、母は肩に掛けた袋の中から赤い布に包まれたあるものを取り出して、ことごとしく私達に言った。「この数年間、君たちは出稼ぎに行ったり、家で畑仕事をしたりして、お疲れさんだから、いっそ母さんと一緒に教会に入ろうよ。楽しいことがいっぱいあるからさ」といってくれた。それを聞いて、何だよ、今日のような文明時代でも、教会に入るなんかおかしいじゃないかと思った。そうしたら、母は引き続き次のことを言った。「君たち、よく聞いてね。三贖キリストに入って、その信者になったら米でも、小麦粉でも、お金でも、肉でもほしいものなら、何でもあるよ。一生食っても食えないほどだよ。何より、大切なのは神様が見守ってくれることなんだ。、そうしたら、どんな病気にもかからなくなるよ。たとえ病気になっていても、診察をうけたり、薬を飲んだりしなくても済むんだよ。神様に祈るだけで、すぐ治るから。それから死んだ後も、天国に行って、極楽の世界に行ける。ほら、これ砂?頭に住む「何仙姑」(本名は何啓仙。迷信を信じる人で、いつもぶつぶつ何かを話しているから。「何仙姑」と名付けられたという)が神様の御指令に従って、君たちに送るプレゼントだよ。」

袋を開いて見ると、二冊の本であった。それぞれは『優しい母性愛』『閃く霊程』というもの。「ただ本二冊じゃないか。宝物だと思ったのに。」と私は呟いた。母は不機嫌になって、「中学の学歴を持っているなのに非常識だな。、これは、普通の本じゃないよ。これはね、「経書」というんだよ。中に書いたのは「経文」……」と言ったが、私は口を挟んでこう言った。「母さん、知ってるだろう。あの「何仙姑」のことはね、いつも精神異常な人のように何かを言い出すから、あんな人の言った話でも信じられるのか」と。母は私を止めた。「やめなさいよ。「何仙姑」は普通な人間じゃない。彼女は修行で正果を得たものだから。ああいうあちこちに奔走するようでも、食い物も着物も何の心配もなく、裕福な生活を過ごしている人だよ。神様が彼女の身に宿っているからこそ、世の中のすべてもわかているすごい人なんだよ。」私はおかしいと思って、帰りの途中妻に確認をした。「ねえ、小琴、今日の母、何かおかしいと思わない?」妻も疑う目で私を見て、小声で「私もそう思うよ。」と言った。

翌日の朝、母はこっそりと私に教えた。今はちょうど「新人募集」(新しいメンバーの募集)の絶好のチャンスだから、母さんと一緒に入会手続きをしに行こうと。それは何か、まったく分からないから、その場で断った。すぐ不機嫌になった母が、小琴の話がまだ終わていないうちに、大声で「お前たち何をつぶやいているの。よく聞いてくれ。何仙姑は言ったよ。地球はもうすぐ爆発するから、地球の末日はもう遠くない、神様を信じる人だけ守られるが、信じない人は、地下18階の地獄まで落ちるって。その時だと大変なことになるよ。生きることも、死ぬことも簡単にできないよ」と言った。母の言った事がますます不思議になるから、私は小琴に「麦の刈り取りをやめて、母と一緒に帰ろう」と言って、母を連れて家に帰った。

家に着いたら、父が壮壮と一緒に庭で遊んでいた。小琴に壮壮を連れてご飯を作らせて、そして父に問った。「父さん、私たちが出稼ぎに行ってから、家に誰かが来たのか」。父が言うことに、「はい!このことと来たら、すぐ頭に来るよ。数カ月前に、あの何仙姑が家に来て、私とお母さんにこう言った。うちの家族は人口が多いから、神様の保護が必要だ。そうでなければ、大難があるかもしれない。そして、外にいるお前夫婦二人も逃れられないって。俺は信じないから、彼女と口論した。それで、彼女は、神様が人間世界を監視しているとか、神様の光は人を災難から守るとか、、災難を逃れるために、門徒会に入るしかない、三贖キリスト様を信じるしかないとか。また、毎日の朝夕とも神様に祈ったり、外に行って福音や見証を伝えなければならないとも言った。

ますます屁理屈になるなあと思うから、彼女を追い出したが、あいつは本当にずうずうしい人だなあ。、数日の後、私が外で畑仕事をしているうちにまた来た。ほら、お母さんは勧誘されてしまったのではないか。」

父の話がまだ終わっていないが、そばにいる母は怒りだして大声で父を叱った。「この馬鹿野郎、自分が教会に入らなくても、神様を信じなくてもかまわないが、よくも神様に失礼なことを言ったなんて、天罰を受けるのよ、それでもいいのか?」母は袋からある本を取り出して私に渡して、「堂ちゃん、このじじいのでたらめを信じてはいけない。よく見て、これ何仙姑からのノート。中には詳しく書いてあるよよ」と。

私はそのノートを受け取ってちらっと目を通した。そこに、歪んでいる字で書いてあるのは:張ばあさんの家の豚の脂はどう食べても食べきれないこと。李ばあさんの家の米がまた増えたこと。陳じいさんの家の卵は日増しに多くなっていること。黄家溝の潘デブは門徒会のメンバーになってから、猫背がだんだん縮んでしまうこと。李家岩の彭つんぼは三贖キリストの信者になってから、雷の声も聞けること。王河?の大男である郭さんが外で見証を宣伝してから、歪んでいる頸椎がまっすぐになったこと……これを読めば読むほど怒るようになった。はっきり言うと、これは全部うそじゃないかと私は思った。そこで、母に「お母さん、騙されたよ。ノートに書いてあるのは全部うそだよ。例えば、張ばあさんの家の豚の脂はどう食べても食べきれない、それは張ばあさんはベジタリアンで、脂っぽいものなら一切食べたくないからじゃないの。李ばあさんの家の米が増えたのは雨水がかめに入ってしまったため、米が膨らんだからだろう。陳じいさんの家の卵は日増しに多くなったのは、飼った鶏が卵を多く生んだからだと思う。そして、あの潘デブの猫背がだんだんよくなったのは、いま痩せたからじゃない?痩せたら、猫背は自然に小さくなるんだから」と。話しがまだ終わっていないうちに、母に横から口を出して、大いに叱られた。「馬鹿野郎、この老いぼれと同じ頑固な奴だなあ。神様のご指令にも聞かないお前らは、これからはきっと地獄に落ちて、さんざんひどい目に合うんだよ」と。母はノートを私の手もとから奪って、急いで部屋に入って、コンとドアを閉めてしまった。

今年の十月、農繁期が終わったごろ、私たち夫婦二人はまた出稼ぎの支度をしようと思った。出かけるときに、わざわざ父に言い付けた。「お父さん、知ているだろう。母は昔から迷信を信じて、今はなんか三贖キリストの信者になってしまった。もともと頑固な人だから、ほっといてあげようか。体が健康なら何でもいいよ。家のこと、お父さんによろしくね。」と。「まあ、それは大丈夫。ただ、お母さんは三贖の信者になってから、毎日何仙姑の後についてあちこちに行ったりして、数日も家に帰ってこないことはよくあること。これが心配なんだよ。。いつか何かあるような気がしているけど。」父の話を聞いて、小琴は父を慰めた。「お父さん、心配しなくていいのよ。出稼ぎ先はそんなに遠くないし、お父さんはよく壮壮の面倒を見るだけでいいのよ。万が一、家に何があったら、近所の人に頼んで、私たちに知らせてください。すぐ帰るから」。父は小琴の話を聞いて、気持ちが良くなりそうで、胸に抱されている壮壮を私たちに別れのあいさつをさせた。

悲しいことはやはりあった。それは2002年12月13日のことである。小琴と昼ごはんを食べようとしていた時に、お隣さんの劉兄さんの電話があった。「明堂、明堂、壮壮は大変な急病にかかったよ。壮壮を病院に送るかどうかにつ、おじさんとおばさんがずっと喧嘩してたよ。速く帰ろうよ」。休み届けを出して、小琴とすぐ家に慌ただしく帰った。着いたら、壮壮はもう意識不明な状態に陥った。母の邪魔をものともせずに、私は壮壮を抱いて町の病院へ走っていった。あそこでお医者に上の県の病院に送ろうと言われた。その途中で、壮壮の呼吸はますます速くて短くなって、それから、だんだんその呼吸も薄くなったことに気が付いた。やっと県の病院にたどり着いて、医者の診察を受けたが、お医者さんは頭をふって「お父さんですね。これは急性盲腸炎による腹膜積水です。今のところはもう間に合わないです。この子は血圧がゼロになっています。呼吸も、心臓も働かなくなりました。残念ながら、ご愁傷さまでございます。」と。

お医者さんの話が終わるやいなや、小琴は慟哭し始め、私も胸を刺されるような思いになった。何で早く子供を病院まで送らないのと父を責めたかったが、父が病院の廊下の隅に蹲って、自分の頭をひどく殴っていたのを見た。

その後、父と近所の人から、その一部始終が分かった。壮壮が病気で亡くなった前の日の夕方に、台所で料理を作っていた父が、急に壮壮の泣き声を聞いた。外へ出かけて見に行ったら、壮壮が庭に転んだのを見た。彼を助けて立たせて、何があったのと聞いたら、壮壮は腹を撫でて、腹が痛い、眠りたいと言った。父が壮壮を一言慰めてから、彼を抱いてベッドに置いた。ちょっと転んで、腹が痛くなったくらいなら、ちょっど寝てていいと父が思っていた。だが、夕ごはんを作り上げて、壮壮を起こそうとした時に、壮壮が体を曲げて、寝汗をかいているのを見つけた。そのの顔を手に当ててみたら、とても熱かった。そこで、すぐに壮壮を抱いて、町の病院に行こうとしていた。庭に出ると、外から帰ってきた母に会った。孫が病気になったから、病院に行こうと母に教えたが、母はかなり怒りそうに言われた。「余計な心配するな。壮壮が病気になったのは門徒会に入らない、三赎キリストの信者にならないからだ。これが神様からの試練だ。速くこの子をベッドに横にさせて。ちょっと壮壮に生命水を飲ませて神様に祈って、すぐ治るから」と。父も子供の転倒事件は日常茶飯事のようなことだから、大丈夫かもしれない、そして、もう暗くなったし、明日病院に行っても間に合うと思ったから、父が壮壮をまたベッドに抱き戻った。その時、母が鞄からタオルを取りだして、壮壮の頭に被った。そして、床に跪いて、「神様よ、ハリルヤ、お願いします。我々が犯した罪を許してください。これから、二度としませんから。」と祈り始めました。

その翌日の朝、壮壮は回復どころか、熱が出たり、ぶつぶつと何か言ったりして、意識不明なままであった。これを見て、父が母を大いに罵った。「この鬼ばばあ。神様に祈ったら治ると言ってたよね、じゃ、どうしてますますひどくなったか?早く出ていけ、おれ、壮壮を病院に送る」と。母が立て上がって「このじじい、ばかだな。朝から私の祈祷を邪魔に来たな、神様の天罰が怖くないの?」と。罵りながら、父が壮壮を抱くことを止めようとしていた。お互いに譲らないうちに、父は叫び始めた。「この悪党め、天罰をうけるべきのはお前だ。毎日毎日ぶらぶらして、だらしない人と一緒に遊んだばかり」と。二人が大喧嘩している、その声を聞いてそばに来た劉兄さんとほかの近所の人が頻りにはやく壮壮を病院に送ろうと催促したが、母はどうしてもオッケーを出さなかった。大変なことになると劉兄さんは思って、私に電話をかけたのだ。

今まで、十数年が立った。母はその後門徒会を脱離したが、我が可愛い子はもうなくなった。これに思いつく度、私は門徒会を恨んでたまらなくなる。なぜなら、門徒会は私たちの幸せな生活を永遠に破ったからなのだ。

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