柳懐麗は結婚前に慢性気管支炎を患い、痛みに苦しんで大小の病院で診察を受けたが効果が無かった。1988年4月、隣村の張霞が謎めいて言った、“私は‘法輪功’という修行を知っている、修行さえすれば、薬も注射も不要でどんな病気も治る、あなたの咳の病も必ず治る、私の村では皆やっている。”柳懐麗はこれを聞いて一銭も使わず病気が治せると喜んだ。
時間がある時張霞の家に行って皆と座禅を組んで修行を始めた。数日で動作を全て覚え、1ヶ月半経つと気持ちが良くなって病の痛みも本当に緩くなった気がした。張霞は『転法輪』という書物を渡して、“ただ‘修行’するだけでは不十分だ、この本を読んで続ければ病気はきれいに無くなる。”と言ったので、柳懐麗は本当だと思い、『転法輪』を買った。
しばらくして、本を読み修行に打ち込んだ柳懐麗は李洪志の邪説に心を奪われ、特に“病は何世代もの業力が原因であり、業力を消さないと病は根絶出来ない。薬は役に立たず、治すには‘消業’が必要で、‘消業’には‘師父’の言う通り修行しなければならない”の通りだと決心し、更に真剣に修行した。一人の真面目で善良な正直者が鋤(すき)も持たず、何の農作業もしない“法輪功”の陶酔者となり、田畑は荒れ放題、治療薬も全部捨ててしまい、家族が怒っても“薬が何よ、気分が悪いのは消業して身体を浄化しているからで、‘法輪功’は長年待っていた縁で、幸せが来て災難が消える、皆も修行しないと後悔する。”と反駁した。
1999年、国が法に基づき“法輪功”を取り締ると、周囲の多くの村人は真相が判りどんどん“法輪功”と縁を切ったが、柳懐麗はそうではなく毎日李洪志の絵に対して拝み線香を上げ座禅修行を続けた。家族が何度もやめるよう説得しても、“私の修行に関わらないで”と言うので、家族も彼女の好きにさせるしかなかった。
彼女はあまり身体を動かさず、大部分の時間李洪志の本を読み、食事も不規則で、2001年になると、柳懐麗の身体には異常が見られるようになり、しょっちゅう発熱して胸部に痛みがあり、ひどく咳込んだ。夫は腹を立て、それでも病院へ行くよう勧めたが、彼女は、痛みは師父が私を試していて、心性を高める”昇級”の機会であり、“勉強、修行が足りず”、“布教不足”から来たものだ、と言った。
それから数年、彼女は全精力を修行と“勉強”に注ぎ。仲間と“偉い御弟子さん到来”を叫び、“真相を語り”、こっそりビラを貼り、邪教の言論を撒き散らし、いわゆる“心性向上”、“昇級”の機会を逃さなかった。しかし柳懐麗の身体はだんだん悪くなり、胸の痛みと咳込みは全く軽減されなかった。
2003年10月のある日、柳懐麗の祖母は彼女の顔色が悪く、痩せて咳ばかりしているので、可哀想に思い、沢山の咳止め薬を買い、病院で検査するよう勧めた。しかし彼女は軽蔑した視線で“あんたは‘常人’で大法の奥義が解らない、大法の弟子は病気しない、これは‘師父’が私に‘消業’してくれて‘昇級’させてくれる、私の修行は‘細胞一つ一つに蓄えられ’完全に‘身中の病原菌を殺す’事が可能で、‘師父’の‘法身’が消業を助けてくれて‘法輪’が自動的に体内の悪いものをやっつけてくれる、病気になるはずが無い。”と言い、祖母は修行を邪魔する“魔物”だから出て行ってくれ、と言うので、祖母も彼女にここまで固執されるとどうしようもなかった。
2004年2月、柳懐麗の病状は悪化し、眼は落ちくぼみ、刺激性の空咳、痰には血が混じり、息切れがひどく、顔面と頸部に水泡が出来、最後には痛みで生活も出来ない程になった。家族は何度も病院行きを勧めたが、彼女は依然として“師父”が試練を与えていると言い張り、恐れた家族が病院に連れて行こうとすると彼女は自殺すると脅した。
説得が無理な状況で、家族は柳懐麗を無理やり病院に連れて行ったが、長期間医療を拒み、治療が必要な時期も逃し、医者の診断結果は末期の肺癌であり、胸に大量の水がたまり、癌細胞が既に肝臓腎臓に転移していた。医者の全力治療も彼女の命を引き留められず、2004年3月21日死亡、享年40歳であった。