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生命を奪う“お祈り”

2017-01-17 ソース:kaiwind.com 作者:永珍

 

“俺が悪い、もし小八が生きていたら、家はこんなに空っぽではないし、お前もこんなに疲れなかっただろうに。”陳連鎖は鬢(びん)がゴマ塩になり、背中も曲がってしまった妻の韓香春を見やって恥じ入るように言った。

陳連鎖、蒙古族、1955年10月生まれ、脳血栓患者、内蒙古興安盟科右前旗阿力徳尓蘇木新立村の人。家の18ムーの畑は彼と妻韓香春の収入源であった。家計の足しにするため、60の坂を越した韓香春は、仕方なく若い人に混じって日雇いもしていた。妻が年なのに働きに出掛けるのを見ると、陳連鎖の心は沈み、何時も門徒会に殺された一人っ子の陳小八を思い出す。

病を治すため、門徒会に入る

1998年、陳連鎖はリューマチを患い、足に痛みがあった。これを治すため、彼は東奔西走し、薬もいろいろ飲んだが、何時もその場限りで根本的な治療になっていなかった。雨が降る度、彼の足は天気予報より正確で、その痛みは耐え難いものであった。2001年10月、親戚の家に遊びに行くと、白塔布那という人に会った。白塔布那は彼にその足は不治ではないと言った。方法はあるが、治そうとすれば陳連鎖は自分の言う通りにしなければならない、と言う。陳連鎖は内心疑ってはみたが、しかし足の痛みがひどい事もあり、半信半疑であった。親戚の家を出て白塔布那と一緒にその家に来た。白塔布那の家で、陳連鎖は壁の十字が描かれた白い布に惹きつけられた。白塔布那は陳連鎖に対し、これは“霊丹妙薬”であり、多くのやっかいな病人を治し、白血病すらも治った、と言った。この時隣家の呉銀花もやって来て自ら話し出した。呉銀花は、自分は元々ひどい白斑病だったが敬虔にお祈りをしたため今は治った、そして陳連鎖に対し、効き目があるか否か試してみれば良い、お金もいらないし、万一良くなったら儲けものだ、更に言うと、三贖キリストを信じれば、病気が治るばかりか幸せな事に働かずとも食料も自分で増やせる、と陳連鎖に強く勧めた。足の痛みによる長年の苦しみと、治療費が家計を圧迫して来た事を考え、陳連鎖は嬉しくなり、宝を手に入れた気分になって、白塔布那に付いて祈祷を行なった。心理作用からか、足の痛みも少し軽くなった気になり、白塔布那から貰った『閃光の霊程』などの書物を持って帰宅し、白塔布那の家の十字旗を真似て手作りし、大事に部屋の壁に掛けた。こうして、中途半端であいまいなままに、陳連鎖は門徒会に入り、その道を突き進んだ。

病を良くするため、福音を伝える

入会直後、陳連鎖は未だ半信半疑で時々祈祷するだけだったが、白塔布那が再びやって来て、効果を得たいなら誠心誠意行なう事が必要で、必ず毎日、出来れば家族も一緒にやる、こうすれば短期間で効果が現われる、と言った。陳連鎖は祈祷での治療を疑ってはいたが足の痛みはどうしようもなく、最後の努力のつもりで、韓香春、陳小八と共に祈祷を始めた。祈祷による注意力の分散と、気持ちの作用により、陳連鎖は足の痛みが少し緩和したように感じられた。これにより三贖キリストに対する信心が深まり、心身ともに打ち込むようになった。妻の韓香春は純朴でただ夫に従う女性であった。従い、陳連鎖の決定に不服は無く、夫が祈祷を要求すればそうして全力で夫を支えた。こうして陳連鎖は後顧の憂いなく全力を祈祷に投入した。2003年末、白塔布那の教唆により、陳連鎖は家々を回って“福音”を伝えるようになった。2004年から、家事の全てと農作業の負担を全て妻と僅か18歳の陳小八に押し付けるようになり、母子は煩雑な農作業に息つく時もなくなり、息子の陳小八は父親のやり方に強い意見があった。しかし母親は、お父さんの病を治すためにはもっと頑張らなければならない、と説得した。やっと青春期に入った子供には世の中の事も判らなかった。母親が父親を支持しているのに母親を愛する息子としては母親を支持しない訳にはいかなかったのである。そのため陳小八は父親の行為を黙認した。もちろん陳小八の幼い心には、何時も父親の病が早く良くなり、以前のように一家で働き、一緒に生活し、布教になど出掛けないように、との願いもあった。母子の能力には限りがあり、農作業の経験も無く、田畑の管理もおろそかになり、2004年秋になると、陳連鎖の家の収入は激減し、陳連鎖の信心によっても、増収や食料の自動増加といった実際の収益はなく、陳家は経済危機に陥った。しかし陳連鎖は眼が覚める事無く、却って自分が家に居ないために妻と息子が十分に祈祷しない事が収入減の原因だと考えた。そこで彼は妻の韓香春と息子の陳小八を白塔布那に預けて牧畜の手伝いをさせ、局面の打開を図ったので、家族全員が門徒会の泥沼におちいってしまった。

“祈祷治療”で令息が亡くなる

2005年の春節、本来各家庭は楽しむのに、陳連鎖の家はごたごたしていた。最初、息子の陳小八が12月29日夜に突然原因不明の腹痛に襲われた。陳連鎖は慌てて妻子と聞きつけてやってきた白塔布那達6人と一緒に祈祷を始めた。祈祷は大晦日の深夜まで続き、全員疲れ果てたが、陳小八の容態は好転しなかった。始めは何とか我慢していたのが転げ回るようになり、これからは言う事を聞いて良い子になる、と母親に助けを求めた。息子のひどい様子をみて母親は涙が溢れ、苦しむばかりだった。元日の朝、韓香春は白塔布那の反対を押し切り、陳連鎖に息子を村の衛生院に連れて行かせた。しかし一行が衛生院に着いても当直医師の趙百歳による救急が間に合わず、陳小八の呼吸は停まってしまった。当直医師趙百歳は診断後、これは急性虫垂炎で死亡したもので、もし治療が間に合えば本人は死亡しなかった、と述べた。白塔布那達はこれを聞くと逃げ去り、こうして楽しいお祝いの日に、陳連鎖は唯一の息子を亡くしたのである。陳小八の死後、陳連鎖は長い間動かなかったが、気持ちを抑えようにも怒りは強く、結局血圧が上がり、脳梗塞を突発し、入院した。

新立村の反邪教ボランティアは陳連鎖の状況を理解してから、主体的に反邪教宣伝資料を持参して陳連鎖に対して心理面をほぐし、家族に対して経済的援助を行ない、門徒会の本質を徹底的に認識させた。しかし後悔先に立たず、息子の陳小八の生命と引き換えに父親母親の復帰とはなったが、肉親の慰めを得る事は出来なかった。こうして陳連鎖はただ一人の息子を失い、自分は重病を患った。祈祷は幸福な生活をもたらさず、取り返しのつかない事になった。

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