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彼らは死者を“勝利獲得の旗”の下に置き4日間祈祷して復活を図った

2017-01-18 ソース:kaiwind.com 作者:郭 楊

2005年12月24日、河北省呉橋県西岳村の張伝江は妻の李秀菊に治療薬の服用をさせず、心臓病が突発して村の電柱の根元で死亡した、享年僅か50歳。

張伝江は何故妻の治療を阻止したのか?これには“門徒会”と称する邪教から説明しなければならない。

張伝江、1960年生まれ、左官屋として働き、人夫の棟梁もやり、普段は数人の労働者を率いて方々で働き、生活はまあ豊かであった。2002年5月、妻の李秀菊に冠動脈心臓病が発見されると、夫婦は隣村の女性“門徒会”が祈祷で病気を治すとの誘いの下、“福音”により“門徒会”に加入し、元々迷信を信じがちであった張伝江は、“神”を祈祷する方法で妻の病を治そうと思った。隣村の女性数人の指導の下、夫婦は壁に十字旗を掛け、常に『閃光の霊程』、『復活の道を論ず』等、“門徒会”の書籍を読み、医者が処方した薬も飲まず、毎日“神”に祈っていた。

始めの頃、張伝江はしょっちゅう働きに出て、畑仕事もしていたので、夫婦は時間がある時だけ門徒会組織の各種活動に参画していた。その後、“布教するほど良い事も多くなる”に影響され、張伝江はだんだん左官の仕事を放棄し、何ムーもある畑も荒れてきたが、頻繁に出掛けて福音を伝道していた。しかし、2年以上祈祷と伝道を続けても、妻の冠動脈の病気は軽くならず、却って重くなってきた。この時にはもう張伝江は泥沼に深入りして抜けられなっていて、妻は疑いを持ってはいたが、夫のこだわりを見ても騒ぎは避けたく、自分でも病院には行かなかった。

張伝江は妻の薬を足で踏みにじり、妻の心筋梗塞による突然死を誘発

2005年農歴12月24日、村の人達は皆正月の準備をしていたが、妻は朝から息切れする感覚があったので、張伝江が祈祷している隙にこっそり家を出てとにかく村の衛生室に行き、医者に診てもらい、薬を持って帰って家に隠しておき、張伝江が注意していない時に飲むつもりだった。しかし薬を持って衛生室を出て間もなく張伝江に出会ってしまい、妻が薬を持っているのを見るとそれを奪い取って地面に投げ捨てて足で踏みにじった。そして大声で“自分が家で頑張って祈祷しているのは何のためだ?お前の病気が早く良くなるためではないか!何も知らないくせに神の意志に背き、薬で神に対抗しようとは、一家に罰があたって欲しいのか?”と叫んだ。そのため周りの村民はますます増え、妻の顔色はますます悪くなり、豆粒のような汗がしたたり落ち、胸を押さえて電柱に寄り掛かりゆっくりと倒れ込んだ。皆はそれぞれ助けようとしたが、20分後、衛生室の医師と救急隊員も確認し、張伝江の妻は冠動脈病が引き起こした心筋梗塞で亡くなった。

妻の遺体は“勝利獲得の旗”の下に置かれ、4名の“門徒会”信徒が祈祷し、死者の復活を願って4日間に及んだ。

李秀菊の死亡は若い内だったので、現地の習慣からしても早急に埋葬すべきであり、加えて年末でもあり、更に急ぐべきであった。仲間の皆が葬儀を相談し、李秀菊に喬帷子(きょうかたびら)を着せようとすると、張伝江が出て来てそれを止め、祈祷で再度妻を復活させると強く主張した。皆がいろいろ勧めたが張はそれを聞き入れないどころか皆に対してもっともらしく“妻には‘悪鬼’が取り付いただけであり、ちゃんと祈祷すれば神は必ず‘悪鬼’を追い払ってくれて李秀菊は必ず生き返る”と言った。皆は荒唐無稽だと感じたがそれ以上どうしようもなく、また張さんの家の事でもあり、これ以上口は挟めない、と引き上げてしまい、李秀菊の事には関わらなかった。

その日。張は自分の村と近くの村から4人の“福音伝道”の“兄弟姉妹”を集めた。4人はやって来ると、他の人間を遠ざけて門を閉じて復活を祈祷する準備を始めた。先ず李秀菊の遺体を“勝利獲得の旗”の下のオンドルに置き、綿で死者をしっかりと覆い、オンドルの炉に薪を入れて加熱し、寒い12月にもかかわらず、室内は異常に暖かくなった。こうした準備を経て張が演じる門徒会復活祈祷劇が始まった。

 

門徒会信徒の家に掛けられた赤い十字“勝利獲得の旗”

数名の“門徒会”信徒が『復活の道』、『復活の信心を論ず』等の書籍を持ち、何時もの集会同様、先ず頭に白いタオルをかぶり、オンドルに膝まづいて祈祷を始めるが、各自口の中で“主よ、神よ、恩主、恩主、三贖キリスト、平安を賜われ、アーメン!三贖に感謝!三贖に感謝!”と唱える。5人は精神を集中して額を地につけて祈祷し、時に“経書”を用いて綿に包まれた遺体を打って“悪鬼”を追い払う。早く李秀菊を復活させようと、飲まず食わずで昼夜の別なく祈祷して全く休まず、時にはお互い気合を入れて“各自が証明できる経験だ”と言い合っていた。

こうして4日目の28日、遺体からは異臭が出始め、年を越そうというのに李秀菊の葬儀の事は何も進まず、村人達は騒ぎ出した。張の長兄と家族はそれを聞いてたまらず、皆で門を無理に開いた。部屋の中の様子は驚くべきもので、5人の中で少し若い張を除く4人はオンドルに突っ伏し、眼は落ち込み無表情に遺体を眺めていた。綿に包まれた遺体からは鼻につく異臭かしたが、一人張だけは元気で“勝利獲得の旗”に三叩九拝し、“神のご加護を、神のご加護を”とつぶやきながら一心に“神”が妻の体内から“悪鬼”を追い払うよう求め、横で怒っている長兄を一顧だにしない。後日一緒に祈祷した信徒は当時を思い出して、毎回の食事はマントウの一つも食べられず、“命の糧”だけで昼も夜も祈祷を続け、体力も消耗し、年上の4人の“兄弟姉妹”はこんな辛さに耐えられず祈祷もやめてしまったが、比較的若い張伝江だけは“神を拝んで魔を追い払う”事を続けていた。張伝江の長兄はこれを見て腹を立て、思わず張にビンタを張って驚く皆を残して部屋を出て行ってしまった。この時張は既に何も解らなくなっており、顔を腫らしたまま“勝利獲得の旗”に頭を下げ続け“神に贖罪、神に贖罪”とぶつぶつ言うのみであった。

最終的に、異臭を放つ李秀菊の遺体を見た家族と村人の叱責の中、張伝江はしぶしぶ復活の幻想を放棄せざるを得ず、李秀菊は村人によって強制的に葬られた。この事から10年が経ったが、今でも人々の話題になっている。

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