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私はひっそりと門徒会に溺れた父親を葬った

2017-04-07 ソース:kaiwind.com 作者:楊生樹

私は独身で53歳、今は病院のベッドにいるが、数日前危うく部屋で餓死しそうになり、幸いにも村長が発見して病院に送り込んでくれ、地獄の入り口から引き返して来た。  

私は農村家庭の生まれで、家は陝西省安康市漢陰県蒲渓鎮南窯村3組である。父親は入り婿である。私の印象では、父親は家の中であまり実権が無く、家の事は母親が決めていたが、長期間の抑圧からか、父親の性格は生まれつきの吝嗇で、村の人達との関係も良くなかった。  

1985年冬、母親が病気で世を去り、父親と私、それと田圃の真ん中にぽつんと孤立した三間で青瓦と土の家だけが残った。母親がいなくなり、何事でも母親に頼っていた父親はもっと寡黙になり、家事や料理といった生活の重荷は全て私にかぶさって来た。その頃、私は多くの若者同様、美しい未来に向かっていた。家には男二人だけではあったが、私は毎年計画的に家庭を整理手直ししていた。それだけではなく、隣村に女友達もでき、生活は好転したが、父親は門徒会にはまってしまった。父親は昼間外出して福音伝授を行ない、夜は教会の仲間と家で祈祷を行ない、時には家が人でいっぱいになり大騒ぎであった。女友達はそれを嫌い、結局分かれてしまった。父親の門徒教狂いも近所に広まり、その後はまともな家の娘が嫁いで来る事は無かった。  

皆は成長し、村で私と同年代の人の子供も大人に育って来たが、私は依然独り身だった。父親は気にするようでもなく、何時も通り信心を続けていた。1993年秋、父親が勿体ぶって私に、嫁を取ろうと思うが、その女は信心仲間で綺麗な人だが一つ条件があり、それは相手も必ず門徒教である事だ、と言った。父親の話しを聞き、考えてみたが外部の嫁探しは難しく、信心して綺麗な嫁を貰うのも良いのではないか、と思い、私は思い切って門徒会に入会し、翌年の春順調に結婚した。一家三人が信徒であり、加えて家屋も辺鄙な所なので、教会は私の家を地区の根拠地とした。父親は年を取ったので外には出ずに教会の雑用を行ない、私と妻は毎日外出して活動した。  

同年の冬、父親は野菜を洗う内に綿靴が湿って風邪を引き、数日祈祷したが治らず、急性肺炎となって一週間後に高熱と痙攣で世を去った。父親が亡くなったその夜、近所の門徒会信徒がやって来て父親を白木の棺桶に入れて葬り、爆竹も鳴らさなかった。翌朝私たちは何事も無かったように祈祷を続けていた。何時も出歩いているからか、妻はその途中で流産し、その後も妊娠しなかった。  

2000年、道路整備政策により、私の家がちょうど計画道路に重なり、政府は規定通り数万元の補償金を支払った。金を受け取って三日目、妻は補償金を持って失踪した。妻がいなくなり、私は数ヶ月妻を探し続け、二人で活動した場所も行ってみたが、妻の跡形は無かった。村に帰り、惚けたように一人部屋を借り、時たま村の農作業をして飯を食べていた。  

最近、村では私の生活が困難なのを見て、少額補助金を申請してくれた。半月前、持病のリューマチが再発して坐骨神経痛となり、歩行が出来なくなって床に数日寝たままとなり、水も食物も摂れず、このまま餓死するのか?と諦め掛けていた時、訪ねて来た村長が私を車で病院に運んでくれたのである。  

私も以前は夢見る人間であったのに、何と言う一生だったのか?  

 

  

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