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門徒会の“暴力”は残忍(図)

2017-05-02 ソース:news.cn 作者:何旭東

少し以前、中央テレビ局が『“門徒会”をあばく』を特集して多くの事件を用いて門徒会の驚くべき内幕を明らかにし、人々は門徒会の狂ったような蓄財を観ると同時に、彼らの残忍、暴力、血生臭い一面―――病気の徐某を無残にも死に至らしめた、も観た。このような残忍な事件は2015年に発生したのである。

 

邪教や暴力といえば、驚くような事件には事欠かない。例えば、法輪功信徒の温玉平、林春梅が“済度”のため咸陽市のホテルで服務員の売新萍を絞め殺したり、張立冬等の全能神信徒が、電話番号の提供を拒否した呉某を殴り殺したり???門徒会の暴力や残忍な事件も同様に枚挙にいとまがなく、一層はなはだしいものである。

従い、本文では門徒会の“暴力”に重点を置き、門徒会という邪教組織の邪悪さを見てみる。

―――虚偽の“見証”の為、暴力という手段に訴える

門徒会は、人を引っ張り込むために、しょっちゅう“見証”、即ち“奇跡”で以って門徒会の効果をでっち上げる。その一つとして、人類が直面している共通の問題―――疾病で“見証”をでっち上げて門徒会の“治療”の奇跡を宣伝する。

門徒会では、人の病は殆ど“妖怪悪魔”が身体に憑りつき、“妖怪悪魔”を追い出さないと、患者の病は治らない、と考えていて、彼らはこの方法を“鬼払い治療”とも呼び、門徒会では二十年以上行なわれている。

“鬼払い”であるから、自然と暴力の使用は避けられない。門徒会の邪悪な論理においては患者を病人と見なさず、“妖怪悪魔”と関係している人間と見なし、暴力や殴打は患者に対して行なうのではなく、“妖怪悪魔”に対してであるとする。そのため、門徒会内部では多くの暴力事件が発生する。

例えば、寧夏彭陽県門徒会会員の蘆某はもう一人の会員の王某が“鬼付き病”に罹ったと称し、10日間連続して王某に対し、火箸で指を挟み、指を折り、頭髪を掴み、“経書”で顔を殴り、喫食も制限したので、その後王某は外傷と水不足で腎臓機能が衰弱し死亡した。

また2015年6月14日、湖北監利県の翟新勇、姚湘枝等の門徒会会員は“新規開拓”のため、村民の徐某に“見証”させるべく病人の徐某を11日間閉じ込め、その間服薬させず、食事をさせず、殴打して徐某を死に至らしめた。

―――荒唐無稽な“祈祷”の為、暴力という手段に訴える

祈祷とは、主体的超自然的な力で賛美、希求、懺悔或いは自己の思想や願望を表わす為にも行なわれる宗教儀式の一種である。門徒会はこれを盗用して門徒会教主を崇拝し、門徒会に邪説を広める方法とした。

儀式の一種なのに、どうして暴力と結び付くのか?これは門徒会が宣伝している“祈祷治療”と関係がある。門徒会内部では、“祈祷”の目的は精神制御の強化だけではなく、“治療”の効能もあるのである。門徒会の“治療”は“鬼払い治療”と同じなのである。

河北滄州市門徒会会員の徐某、斉某は“福音伝授”の名の下に村民の劉某に対して“祈祷治療”を行ない、劉某に対して斉某が書いた祈祷文で祈祷させた。門徒会の荒唐無稽なやり方に対して劉某は強い反感を持ち、“祈祷治療”に同意しなかった。驚いた事に、徐某は別の方法を取り、一壺の熱湯を劉某の頭部と体に浴びせ、同時に燃えている練炭で劉某の顔面をあぶり、トウモロコシの藁をストーブで燃やして劉某の身体に押付け、劉某を死亡させた。

私達は平凡な人間であり、暴力や傷害を恐れ、どのような傷害も心に刻まれるものだ。病を患った劉某は先ず熱湯で火傷を負い、練炭で炙られ、続けて燃える藁を押し付けられた。こうした続けざまの虐待に誰が耐えられようか?

―――“批判者”を攻撃する為、暴力という手段に訴える

門徒会は他の邪教と比べ、最大の特徴は自己の野心を隠さず、権利奪取を明確に表す事である。信徒が一定の人数に達すると、季三保はすぐに自己の“政治野心”を表わし、中国の“皇帝”になろうとした。彼は“君王(国家指導者を指す)は我々の肉体を支配できても、我々の魂は支配出来ず、我々はその気にさえなれば徹底的に???”と言い、堂々と“先ず人心を争い、その後政権を奪う”と喚き立て、“先ず党を殺し、青年団を殺し、一切の幹部を殺す”等々と扇動した。

門徒会のこうしたやり方は、必然的に人民の反対に遭い、特に第一線の基層党員は勇敢に立ち向かった。

1990年3月17日、湖北省十堰市鄖西県馬安郷石塔河村の村主任文声兵は春季耕作生産検査のため二組の村民朱栄友の家に立ち寄った際、朱栄友が非合法の集会所を設置し、“門徒会”を宣伝しているのを発見し、批判と教育を行なった。朱栄友は聞き入れず、“共産党は悪い”と罵った。そのため文声兵は一気に朱の家に架けられた“十字架”を取り払った。朱栄友は“門徒会”の中堅である丁仁群等と文声兵と仕返しをする事に決め、連中は文声兵の家に押しかけ、文声兵を拉致して縛ったまま河に投げ込もうとしたが、村の他の幹部が文声兵を助け出した。

“縛ったまま河に投げ込む”事は中国封建社会で犯罪人を処罰する方法の一つであったが、新中国ではとっくに捨て去られており、門徒会によってそれが踏襲されるとすれば、人々はどのような感覚を持つであろうか?

―――“脱教者”を罰する為、暴力という手段に訴える

米国の前大統領のリンカーンはこう言った。“優れた嘘つきはある時刻に全ての人を騙せるし、どんな時刻にでも一部の人を騙せるであろう。しかしあらゆる時刻にあらゆる人を騙すのは不可能だ。”意味は、嘘つきは一時的には騙せるが一時代騙し続ける事は出来ず、一人を騙せても全員を騙す事は出来ない。という事である。

門徒会も同じで、季三保とその手下が門徒会をどのように賛美しても、物の解る信徒を騙す事は出来ない。信徒は門徒会がペテンだと気が付くと、次々と脱会を要求する。この時、門徒会の暴力使用がますます荒れ狂う。

その例として;

その一、湖南省漢寿県の村民である曽某は門徒会加入後“小分会”の責任者となったが、父親が“祈祷治療”も効果無く死亡したので脱会した時、門徒会は人を出して司法関係者と偽りその兄弟二人を拉致監禁し、非合法の尋問を50時間も行ない、曽某は再度門徒会に加入するよう脅迫され、5,000元の“逮捕費”を要求された。

また、2005年8月、四川省綿陽市の馬某は門徒会から脱けたあと、買物途中で現地門徒会の賈某等に拉致され、8時間に及ぶ“尋問”に遭い、冷水をあびせられ殴打されて侮辱を受け、逃げ出した時は気息奄奄であった。

門徒会が頻繁に暴力を使うのは、関係者に重大な心理的傷害を与えるだけでなく、社会大衆に対しても心理的陰影を与えるが、これら全ては門徒教邪教の本質から来るものである。門徒会の暴力を防ぐのに最も良い方法は、皆が団結して戦う事であり、努力して門徒会を歴史の舞台から追い出さなければならない。

(編集責任:徐虎)

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