ホーム  >  受骗者揭露

長い長い妻を尋ねる路(図)

2017-06-27 ソース:news.cn 作者:作者:文章/喬沢 口述/周幼雲

   

  楊茶香と孫

周幼雲、今年57歳、江西省安義県龍津鎮の平凡な農民である。妻は楊茶香といい、息子二人と娘一人を育てた。結婚して数十年、仲は良かった。夫は外に出て耕作や作業、妻は家で孫の世話と家事をしていた。夫が仕事から帰ると、妻は出迎えて汚れた服を脱がせ、天気を聞いたりして食卓には料理と酒が少し用意されていた。一家の生活は裕福ではなかったが、のんびりしたものだった。

風雲突発

しかし、平凡だが幸福な生活は2013年の夏から軌道を外れ始めた。周ははっきり覚えているがある日の午後、空が真っ暗になり大嵐になりそうで、畑にいた彼は急いで家に帰ると、妻と姉の楊茶英が寝室にこもって何かを話していた。夫が帰宅したのを見て、姉は慌てて字が沢山書いてある紙をしまい込み、急いで出て行った。

それから、妻の外出がますます増え、最初は夫に姉の家に行くと告げていたが、その内言わなくなってしまった。周は変に思ってある日の午後、こっそり妻をつけて行くと、妻は孫を抱いて町の団地に入って行った。午後いっぱい、夫は落ち着かなかった。夕方妻は帰って来たが、何と姉の家に行ったと言うのだ。周は目が回った感じがして、何か自分に言えない事をしているのかと疑い、我慢出来ずに妻にびんたをあびせると、孫は驚いてわーわー大泣きした。周は夜になっても全く眠れず、妻は一体どうなってしまったのかと考えていた。

“神”の路に入る

翌朝周が目を醒ますと、妻がいない。胸騒ぎがして、急いで楊茶英と妹の楊茶菊の家に駆け付けたが、姉妹は三人とも失踪していた。楊茶菊の夫に聞くと、姉妹は何か“女キリスト”を信じており、行き先も知らなかった。周はどう考えても納得がいかず、“その‘女キリスト’とは一体誰なのか?‘女キリスト’は妻に何を言ったのか、妻も思い切ったもので、家の現金と4万元の貯金を全部持って行ってしまった。自分はともかく、1歳になったばかりの孫はどうなる?学校通いの息子はどうなる?”と思った。

妻がいなくなり、一家の重荷は全て周の肩にかかって来た。孫を連れては仕事で金も稼げず、元々あまり裕福ではなかった生活は追い詰められ、長男と娘の厄介になるしかなかった。孫はおばあちゃんがいなくなり、いつも泣いて声も枯れてしまい、周は若い頃腰を痛めていて、孫がやっと寝付くと自分も一緒に横になったまま動けなかった。息子は母親を想うあまり学校にも行く気にならず、よく授業をさぼって母親を探そうとするので、安全を考えて学校もやむなく休学にして家に帰らせたが、周にとってはこの事も頭が痛かった。平穏無事な家庭がこのようにばらばらになり、数十年連れ添った妻も行方不明で、周はさめざめと涙を流すばかりだった。子や孫のため、この家のため、昔の生活を取り戻すため、周は妻を捜す想像もつかない長い道を歩き出した。

   

 

  妻の家出後床下から見つけた邪教の書物

苦労の人探し

あっという間に3年、長い長い妻を尋ねる路は周にとって感無量であった。感謝すべきは自分の娘、婿が決然と無条件で彼を支え、重い負担である孫と息子の生活の面倒を見てくれた事で、周は後へは引けない気持ちで古い“永久”自転車に乗って安義各地の村々を走り回り、各家を訪ね、しょっちゅう村民にこそ泥と間違えられ、怒鳴られたり殴られそうになった。金が無いため、周は出掛ける度にコーラの大瓶に水を詰め、饅頭数個だけ、それから妻への思いだけであった。水が無くなると、水路で水を足して飲み、食べ物が無くなると飢え、どうしようもなくなると近くの農家で恵んでもらった。

周は親切な人の助けを永久に忘れない。あれは炎熱の昼、彼は安義県長均郷の下羅村にやって来たが、飢えと渇きと暑さのため、いよいよ自転車を漕げなくなり、樹の下で座り込んでいた。この時、周は本当に一杯の水が欲しかった!一人の西瓜売りが周の衣服はボロボロで朦朧とし、日射病のようなのを見て西瓜を一切れ周に与えた。周が“全能神”邪教を信じた妻を捜している事を知ると、50元を周に押付け、必ず見つかると励ましたが、自分の妻も“全能神”の被害に遭い、良い人達の助けで抜け出す事が出来た、と言った。周は感激し、字が書けない周は帰宅して娘に、必ず西瓜売りの住所と名前を記録しておき、妻を見つけた時には一家全員でお礼に行こうと考えた。

2015年の端午の節句に、周は知り合いが提供してくれた手掛かりに基づき、50数キロを自転車で行き、宜春市靖安県の璪都鎮で妻の写真を見せながら訪ね歩いた。日も暮れて来て、周はなおも探し続けたかったが、徒労に終わった失望感と極度の疲労から支えきれず、道路横の溝に自転車ごと転がり落ち、幸いにも通りかかった人に助けられた。

婿に連れ帰ってもらった後、周は若い頃左官の仕事で痛めた腰椎の痛みが激しくなり、横たわったまま動けなくなった。息子は泣きながら、家に戻って来た楊茶英のところに行き、おばさんに膝まづいて、母親に家に帰るよう伝えて欲しい、と頼み込んだ。しかし、この父子が待っていたのは“もう探さないで、幸い私は新しい人生を始めたので、‘神’を信じないとそれが消えてしまう”との答えだった。この知らせに周は今までにない痛みを感じ、心臓が破裂しそうになり、絶望して、“神”の方式なら“神”に気持ちが届くかも知れないと思った。その日の夕食後、彼は娘がご飯を盛った茶碗を壁に投げつけたので、音を聞いた娘が見ると父がその破片で腕を切ろうとしていた。娘は慌てて父親から鋭利な破片を取り上げ“ばたっ”と周の面前にひれ伏した。周の長年の楽観と頑強はこの瞬間崩れ落ち、娘と固く抱き合い、二人は泣いて声にならなかった。

   

  周幼雲が“全能神”が妻を騙した事を告発

永久に放棄しない

娘の心からの世話で、現在の周は身体状況も好転したが、既に長い旅は無理であり、子供達は心配から彼に諦めるよう勧めたが、周は依然として、妻はこの家を愛しており、この家も女主人から離れられない。一縷の希望がある限り、全力を尽くして彼の“永久”を漕ぎ続ける、と言っている。或いは、彼が追っているのは、永久に触れる事のできない夢かも知れない。

後記:

周は不幸であり、糟糠の妻が“神”を信じて家を捨てた。今彼は幸福であり、“神”を信じない子供達が始終寄り添っていて、失意のどん底から新たに生活への自信を取り戻させようとしている。

信じるのは“神”か亡霊か、言うまでもない。

  

分享到: