徐建忠と褚秋香は河北省覇州市開発区趙三村の普通の農民夫婦であり、二人は農繁期には自分の畑で農作業を行ない、農閑期には出稼ぎに出て、一男一女を育て、生活は落ち着いて着実であり、家の老人も健康で、このような家庭は農村では人から羨ましがられていた。しかし、二人が法輪功の修行を始めてから、こうした平静な生活は徐々に遠くなり、最後は別れ別れの境遇になってしまった。
夫婦は1997年から法輪功に接触し始めたが、これは身を修め、身体強壮になると言われて、伝授者の指導や書物、ディスクの内容に従って修行した。夫婦の教育レベルは限りがあり、加えて書かれている“業”“法”“徳”等々の理解が難しかったので、二人は昼間は農作業をし、夜には食事が終わると修行仲間である郭の家に行って教えを乞い、子供二人と老人に留守番させていた。夜が更けると隣の二伯は気になり、夫婦の所にやって来て“真っ暗なのに子供二人と老人に留守番させて、悪い人間が来たら大変だぞ”と言ったが夫婦は“この修行は健康のためだけではなく、幸せも得られるので、大法弟子の家に賊など来ない”と答え、二伯はあっけに取られてしまった。
1999年政府が法輪功を取り締ると、郭と何人かの仲間は法輪功組織から抜けた。このため、夫婦は郭にその原因を尋ねると郭は“村の幹部にも勧められたし、テレビでも毎日法輪功は邪教だと報道しているので、もう修行は出来ない”と答えたが、夫婦は理解出来ず“家でやっていれば悪い事も無く、邪教でも無い”と家で修行を続けた。
瞬く間に2007年となり、夫婦二人の修行は10年経っていた。この10年間、夫婦の眼には‘師父’や‘大法’が一家を無病息災に護ってくれた事しか無く。毎日祈祷して‘師の恩’に感謝していた。しかし他人から見ると、この家はもはやまともな百姓ではなかった。先ずこの夫婦は多くの時間を修行に費やし、出稼ぎにも出ないので家庭の収入にも影響があり、二人の子供は中学を卒業すると方々で働いて家計を助ける必要があり、更には夫婦が修行に忙しくて老いた父親の世話も疎かになり、食事の準備も忘れるほどであり、老人は満足に食べられず、着ている物もボロボロであった。
2008年、同じ村の修行仲間の王徳宣が脳卒中の後遺症にもかかわらず医療を拒否し、過度の修行もあって脳出血の突発で死亡したが、それを知った親戚友人が夫婦に対し、直ぐに法輪功を放棄して正常な生活を送るよう説得した。しかし二人は王徳宣の死は‘業力’が重すぎたためで、死んだら‘円満’になった、と言った。
2012年、褚秋香の健康が悪くなり、しょっちゅう咳が止まらず、胸が苦しくなり、農作業も以前ほど出来なくなり、少し作業したら休み、一日の作業も少なくなった。農作業は以前ほどではなくなったが、修業は以前より打ち込み、文字通り寝食を忘れるほどだった。老父は高齢だったが、息子夫婦の世話も得られず、畑の収穫物監視小屋に移り、孫娘が世話をしていた。
2014年、褚秋香は咳がひどくなり、血も吐くようになったので、実家の皆も心配して病院で検査を受けるよう勧めたが、二人は“師父が言うには誰にでも業力があり、この咳は師父が‘消業’を助けているのであり、吐血は良い事であって‘業’を吐き出しているので、病院には行けないし、薬も飲めない、こうしていれば‘業力’を押し返せる”と言った。
2016年初め、褚秋香の顔は徐々に水膨れとなり、発熱したがオンドルに横たわっていても目を閉じたまま“師父が来た”“円満になった”とつぶやいていた。実家の皆は状況が良くないので、褚秋香を車で廊坊第4病院に運んだが、病院の初歩的検査では肺癌末期であり、北京での再検査を提案したので、再度北京の某病院に来て診断の結果、確かに肺癌末期であり、医者は“この病気は放置した時間が長過ぎた、もし早期に発見して直ぐに治療すれば、現在の医療条件では治癒する可能性は高かったが、現在まで放置し、しかも病人が長期にわたって無益な‘功法’を修行して飲食が不規則となり、栄養不良で体質も弱くなり、現在では既に治療時期を過ぎてしまった”と述べた。
2016年3月、褚秋香は肺癌で死亡、享年54歳であった。その後、徐建忠も法輪功の邪教の本質を認識したが、時既に遅く、妻は永久に戻る事は無かった。