今年39歳の呉応明は見たところ内気そうで、話し方はゆっくりしているが、他の人と変わる所は無く、しかし心の中には拭い切れない傷跡があるようで、或いは彼自身だけが明確なのかも知れない。2008年彼は偶然の機会から全能神という邪教組織を知り集会にも参加した。全能神と接触したこの6年間、彼は抜け出す事が出来なかった。
誤まって邪教に入り、身内を“魔物”と感じる
呉応明は1977年江西来賓市のごく普通の山村の教師の家庭に生まれ、学校の中で成長し、技術学校で勉強して卒業後工場で仕事を行ない、技術学校で現在の妻と知り合い、結婚後すぐに娘が生まれ、一家は楽しく暮らしていた。思いもかけず、工場で仕事中肺結核を患った。大病してから、彼は自分の身体が明らかに以前ほどではないと感じ、仕事上の不満も手伝って、精神上の拠り所を求めるようになった。
一度借間を探した時に呉応明はキリスト教に近付き、2008年8月弟の嫁の紹介で教会の“教徒”が全能神の集会に連れて行った。全能神を信じてから、呉応明は徐々に陶酔し、性格が段々おかしくなり、家族にも関心を失った。心身共に邪教に投じ、仕事もやめ、長期間邪教組織に附いて各地で伝授活動を行ない、家族関係もよそよそしくなった。一年経つと、家族と会うのは何回もなかった。
これに対し、妻は深く考えた。家計の足しにするため、しばらく呉応明の妻は遠い所のスーパーマーケットで働いたが、呉応明の送り迎えは得られなかった。彼女は“辛いのは仕事ではなく、暴風雨や悪天候の時、他の人は亭主が迎えに来るのに、私は自分の亭主が今どこにいるのかもわ解らない事だ”と言った。
やっとの事で家に帰って来ても、呉応明は全能神の話しをするばかりで、家族はこれに反感を持った。呉応明が口にする全能神に対して娘は強く拒否し、呉応明が全能神について話し出すと我慢出来ず、父親と話しをするのも嫌になり、父親が娘にくれる宣伝物はすぐに捨ててしまった。
呉応明は入信する前、義理の父母に助けられていたが、邪教に深入りすると、義理の父母は妻と外孫を自分達の家に連れて来て影響を受けないようにした。老人二人は娘婿に考え直して深みに陥らないよう繰り返し勧めた。当時の呉応明は彼等を“魔物”と思い、自分の信心を邪魔する者は全て“魔物”であると感じた。義理の父母は自分の娘に呉応明と離婚するしかないと勧めた。
良心をごまかして生き、教会の辻褄合わせを恐れる
呉応明の記憶によれば、全能神は、最初は人に美しい希望を与えるが、徐々にその方向がずれて来る。“道を説く人”は信徒達に自分の不幸な身内を呪うよう暗示し、人と人との付き合いは全て憎しみだと宣伝し、“凡そ不幸な人間は全て魔物だ”と称し、改ざんしたキリスト教神話の体系伝授を通じて人間の観念を転換しようとした。呉応明は“最初教会は非常に信用出来ると感じ、教会が観念を転換した時も盲目的に信じて崇拝し、言い訳や分析はなかった。”と言った。
全能神は信徒を惑わすと共に、信徒に完成不可能な“任務”を完成するよう要求した。呉応明は“(全能神が)福音伝授で宣誓すべき計画人数も現実的ではなく、一ケ月で柳州市全部に布教するよう要求され(このため我々は)毎日夜中まで宣伝を行ない、銅鑼や太鼓を使ったり、2012年の世界末日(のニュース)をばら撒いて福音を伝えた”と言った。
上部が決めた要求に達するため、呉応明やその他の信徒は一日中“福音伝授”に引っ張り回され、二三ヶ月で頻繁に地方を変えて布教した。彼等は組織が提供した小部屋に住み、自由に欠けていた。呉応明は思い出して“我々は毎日暗幕を下げ、食住仕事は全て小部屋に押し込められ、出入りもおっかなびっくり、後をつけられて見つかる事を恐れていた。発見されるのを恐れて、教会はしょっちゅう場所を変え、発言の自由も全く無かった。教会が我々にさせた事は悪事を働くようなもので、毎日光を見ないようで、良心をごまかし、本当に抑圧されていた。何と言う生活だったのだろう”と言った。
あちこち隠れ住む以外に、呉応明は教会での生活にもひどく恐怖を持っていた。毎日、呉応明と仲間は打合せ後走り回って各自の任務を行なっていたが、教会内部組織のいろいろな辻褄合わせへの対応にも直面していた。教会での辻褄を合わせは、“上部”の批判や圧力に遭いかねず、他の教徒からの排斥も受けた。現在に至るまで、記者が取材しても以前の生活の一部の細かい点はまだ述べられていない。
こうした連日の昼も夜もなく極度に抑圧された生活に、呉応明は心身共に言うに言われぬ苦痛を受けた。心身の疲労は他人に話す事も出来なかった。一面では他人からビラ散布が消極的と言われたり、教会の辻褄合わせに遭う事を心配し、もう一面では自分が、全能神が言う“人の行為の善悪、言葉の正しさに関係なく、彼を崇拝しない人間は破滅させられる”という邪教の“呪い”を受けるのではないかと心配だった。
こうした繰り返しを、呉応明は懸命に耐えた。こんなに何年も圧迫されびくびくした生活には、最初に教会が伝授した美などは全く無く、毎日は無味乾燥で味気なく、一日中不安におののき発散も出来ない鬱積した状態だった。
偽りの番組を制作し、離れる気持ちが起きる
全能神邪教で呉応明は指導的な仕事を担当し、教会の管理を行ない、最初の頃こそ全能神を疑わなかったが、全能神が末日論への信仰が人に避難場所を与えるというデマが破綻してから、教会は末日論を宣伝した事が無いと言い逃れるようになり、呉応明は教義と理論を疑い始めた。
抑圧されびくつく生活において、呉応明には初めて離脱する考えが浮かんだ。2012年末邪教の福音伝授に伴ない彼は家に戻って半年待機したが、その間思想は揺れ動き、自己矛盾の苦痛の中にいた。こうして呉応明が彷徨っている時、2013年3月全能神がまた人を派遣してきて、番組制作チームに配属された。番組の制作の中で呉応明は徐々に違和感を感じたが、それは“全能神”信徒がどのように迫害されているかを説明する番組内容と海外の素材が全て虚偽だったからである。
この番組で呉応明に解った事は、いろいろな役を同じ数人で演じ、景色は全て人が配置し、俳優は何時も交替させられ、例えば教徒が警察に逮捕され、尋問される過程や、“大紅龍”の残酷な迫害の場面は全て教会が自作したものであった。呉応明は“我々の周りの人は誰も知らず、こうした素材はどこから来るのか?何故毎回北の方から来るのか?これは偽造されたものだと思った”と言った。このように考えてはいたが、呉応明はどのように全能神から離脱するかは未だ解らなかった。
学習を通し 全能神を離脱して新しい生活を得る
2015年7月、教会の引っ越しを機会に、呉応明は離脱を決意した。家に帰り、教育学習を受け、邪教から抜け出したのである。全能神邪教に入信してからの6年間に自分が犯した誤りを認識し、自分と家族更に社会を害した行為を後悔した。
呉応明と家族の関係も良くなり、娘は徐々に父親と話し始めた。一家は皆目の前の状態に満足した。家族は、金は少なくても関係無く、自己の家庭が円満であれば、それで十分恩に感じていた。
呉応明は記者に“政府が自分にチャンスをくれた事に感謝し、妻にも感謝していて、私がいなかったこの6年、妻がこの家を支えてくれた”と言った。呉応明の妻は“彼が帰って来てくれただけで良い。現在夫の生活は正しい道に入り、遠くに仕事に出ても、バスが無い時電話さえすれば迎えに来てくれる”と言った。
現在の呉応明はうまく社会に溶けこみ、住んでいる鹿塞県は“農村の宝”の拠点になっていて、今年彼は“農村の宝”の協力者を申請した。村で呉応明はサービス店を開設し、村民は必要な物の購入を彼に頼み、彼自身も適当な農産品を販売している。呉応明は、協力者の申請は自分が興味のある家電商売だけでなく、本当に社会に奉仕し、周りの農民達にサービスする事である、と言っている。
家庭と社会に戻ってから、現在の呉応明は新しい生活を獲得し、気楽で自由であり、足枷が無くなった。妻は記者に“夫は非常に善良な人であり、当初間違って邪教に入ったが、今は教育を受けて変わった。帰って来てくれさえすれば良い”と言っている。