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Beijing Time:
 
前会員が“天父の児女”の“情愛一本釣”を暴露
    
2017-07-04  Xinhuanet.com  筆者:Mary Mahoney Crystal(編集翻訳)    

 

重点内容:米国salonネットワーク雑誌10月25日の報道によると、少女のメアリー・マホーニーは最も純真な時期に誤まって邪教“神の子”に入信し、以後一般人には想像し難い暗黒生活を送った。麻薬を吸い、家族友人を捨て、貞節を失い、世間と断絶し、逃亡流浪、貧困漂白・・・・・・30年後にきっぱりと覚醒したが、後悔先に立たず!

 

(メアリー・マホーニーの写真)

私は元々極度に帰属感を渇望していた無邪気な少女だったが、30年生活していた“家”は恐怖の家だと実証された。

私は2000年に“神の子”から離れた。私は長い時間を使って30年の暗がりから出て来たが、しかし私がした事は、私が以前の自分に驚かされる事だった。皆がよく質問する問題は、あなたは何故あんな事に加わったの?あなたは何故あんな所に居たの?私が私の罪、後悔と羞恥を連想する時―――私は同じ問題を自分に問うた。2003年、私は既に成人した子供だったが、英国高級裁判所が1990年早期の“神の子”児童監禁事件の3ページに渡る詳細な調査をもらい、この法廷記録から私が知ったのは、このような恐怖を味わったのは私一人に止まらない事であった。

私はワシントン特別区郊外の中産階級でカトリック教の家庭で成長し、7人いる子供の末っ子だった。私の家庭は幸福で、私の父母は彼らの教会の指導者であり、家は清潔で整頓されていた。“客間を横切ったら絨毯のあなたの足跡を綺麗に拭いておく事、ソファーに座る前にシーツを敷く事”と母親は言付けた。兄や姉が家を出て行くと、とても孤独を感じた。16歳の頃、私は夏に救助員と水泳するべき時間に麻薬を吸っていた。

多分これが何故私が精神面での追及を始めたか、或いはただの兆候だったかも知れない。私は生命の意義を追求し始め、自己を超越する帰属感を求めた。高校時代、学校で友人が聖書を読んでいるのを見た。彼女は“神の子”に入ったばかりだったが、私に彼らの出版物を一冊くれた。私は少し変だと感じながらも、私の内心のある物に触れるところがあったので、その日の放課後、私と彼女は一緒に“神の子”に参加した。

私は人生の道を求めようとしていたが、これが私の人生の道だろうとも思った。ここには一群の敬虔なキリストの信念を持った若者がいて、公社式の“家庭”生活及び全てを分け合う方法で純潔なキリスト教徒に変わろうと考えていた。私は愛され、受け入れられ、キリストの“新生児”としてこの大家庭に歓迎され、私は自分が新しい生を得たと感じた。これが“邪教”だとは察知せず、神と他人に尽くし、輝く生活を得る機会だと思った。私はこのように若く、この世界がどのように回っているのかも全く知らなかった。9年後私の大脳頭葉の発達は完全で、大脳で意思決定を司る部分が私に事の結果を予見する事を許し、私にはやっと解った。私は自分が悪夢に入り込み、性と愛とその受け入れを徹底した背景は徹頭徹尾の冗談だった事が判っていなかった。

私には新しい名前ができ、全てを放棄した。たとえ突然やって来た災難が私の友人を苦しめても、私は気に掛けなかったし、私は彼らとの関係を絶ち、完全にこの事に熱中していた。60年代末から70年代始めヒッピーが流行した時代、世俗生活を離脱する事は非常に人を引き付ける考え方だった。母親は“‘神の子’に行っては駄目”と禁令を下した。しかし若者は何とかしてしたい事をする。18歳の誕生日に私は現地の公社に引っ越したが、別にどうという事も無かった。

公社での生活は時間制限が厳しかった。宗教を変えるという事が我々の大部分の時間を占めたが、それでも毎日2,3時間『聖書』及びこの組織の出版物を読まされた。ダニエル・カーニマンが著作『思考・速さと遅さ』で提起したように“人に嘘を信じさせる確実な方法は絶えず繰り返す事、そうすれば人達は耳慣れた話しと本当の話しの区別が困難となるからである”。その頃、私はそれが私の日常生活だとしか解らず、沢山の“メッシ書簡”を読み、創設者であるデヴィッド・ボルグの著作を話しの種にし、彼のあだ名をメッシ・デヴィッドと命名した。

生活は公正だと言われており、しかも神のみが公正なのである。そのため何が起ころうともその原因を求めるだけであった。“如何なる事もいわれなく神の子達の身に起こるはずが無い”我々はこのように教育された。“風邪ひいた?神に何故私にこうするのかを聞け”我々はこのように訓戒され、“それから懺悔の手紙を書いて救いを求めよ”こうした“公正な世界”における信念は自然と一種の陰謀理論まで延長されるが、“神の子”の出版物では、先覚者は事物同士の連携を作るが、邪悪な迫害者はボルグと私達の背後にいるのだから我々の安全につい手は何時も警戒を怠ってはいけない、と伝えられた。

我々は、我々は聞いた如何なる事でも受け入れる前に必ず考えなければならない、と告げられた。疑いは罪であり、我々の集団の中で如何なる疑いがあっても言い出せなかった。

例えば、デヴィッド・ボルグは米国の滅亡を予言し“米国の邪悪、ある種の疫病、破滅及び神の審判が来る前に、米国人は必ず1月(1974年)の前に米国を離れるように”と言った。

その後、何も起こらなかった。ボルグは予言に失敗した予言者のように、自己の説法を合理化し絶えずこの組織の重要性を吹聴していた。彼は自分を『聖書』のヨナになぞらえ、何も起こらなかったのは人々が懺悔したからであり、神の子女達が他人に邪悪から抜け出るよう促した、これは大きな功徳であり、そのため神は今回米国を滅ぼさなかったが、その日は遅かれ早かれやって来る、と言った。

彼が誤まった世界末日予言を言い訳した時は具合が悪かった、私が覚えているのは、彼が部屋で思考している者達に向かって“皆さん解りましたか?”と言って全ての人達がこの言い訳を受け入れた時、私も当然の如くこれは必ず正しいと思ったのである。

私は以前社会の承認原則を学んだが、人々はこっそり他人のやり方を観察し、それから自分の行為を他人に一致させ、彼らが我々より何が正確かをもっとよく知っていると思うのと同じである。これが邪教のやり方であるが、悲しい事に多くの事柄において多くの人が当初の私と同様に愚かなのだった。

1976年、私はペンシルバニアの秘密宿舎で何時も通り“神の子”の“大主教”の子供達の面倒を見ていた。ボルグのもう一つの恐ろしい予言―――近い将来米国は核兵器で破壊され、世界はキリスト反対者に受け継がれる、これに対応して我々は“相対的に安全な”第三世界の国へ移住した。最後に私は熱帯地域のある都市に留まったが、そこの温度、貧困、汚物、ゴキブリ―――私にとっては本当に大きなショックだった。

1年間の普通の募金とベビーシッターの後、“神の子”のメンバーは“愛の法律”の下で生活を始めたが、実際にはこれは“神の子”の上層部が秘密に実践していただけであった。ルールは“如何なる愛による行為も神の眼中では合法である”であった。現在、性の自由は公社の標準と規範(その実ただ“愛の奉仕”を動機とするのみ)となり、見知らぬ人と性的関係を生じる―――これが“情愛一本釣り”(売春)―――が組織メンバーを集める良い手段であった。

“神の子”に加入したばかりの頃、組織は婚前貞節に対して厳しく規定していたが、この“愛の法律”はそれまでの規定を全部ひっくり返した。少し驚いたものの、私はそうした。私は20歳の頃貞節を失い、“情愛一本釣り”を使って中東の男性と関係を持った―――当然、一切はキリストのためだと考えていた。

間もなく、私は別の上層の子供達を世話するよう変更させられた。ここは秘密の住宅だった。ここの上層部連中は以前会ったのと少し違っていて、正義や霊性の偽装をせず、面白くて親切だった。彼らの住宅は相当隠蔽されていて、“神の子”の他のメンバーとは連絡が少なく、外で溢れている性の乱交と比べると、まったく避難港のようだった。

私はこの“家庭”で4年間過ごし、彼らの子供の面倒を見、食事、掃除、勉強を見てやり、それからお互い愛し合った。

この“家庭”での“世話(性)の必要”を満足させるため、部屋の男性達は数ヶ月毎に私と時間を過ごした―――彼らの妻の祈りの下で。彼らの子供を身籠った時、私は、これは神が私も彼らの“家庭”の一員(というのは全ての事は“出来事には原因がある”)となったと私に告げたのだ、と思った。一夫多妻は“神の子”組織の中では非難されなくなっていた―――ボルグも妾を持っていた。

しかし、私の息子がやっと歩けるようになると、ボルグの所に送られて一緒に暮らす事になり、私もあの“家庭”を離れて中心組織に入り、心身共に疲れた私は二度と子供の父親に会う事は無かった。

以前の静かな寝室、良い教育を受けた子供達と比べると、現在私と多くの子供達及び一組の新しい“夫婦”は一緒に大きい寝室に住んでいる。もし部屋の装飾品でなければ、彼ら二人の巨大なダブルベッドが部屋の中央に有り、私と子供達のベッドは壁際に並べてある。我々の強制休憩の時間(昼食後の2時間)に、この夫婦は傍若無人に性の自由を楽しみ、私はその都度このおぞましい情景から逃げ出す事を何よりも渇望したのである。

チャンスさえあれば、子供達を連れて付近を散歩し、あの押し合いへし合いの色狂いの“家”から逃げた。絶望、助け無し、孤独、一人でいる時は何時も涙を流していた。

私はここを離れるべきか?でも何が出来るのか?“神の子”の組織の中で、我々は仕事も許されず、如何なる未来の計画も禁止され、これは神への不忠であった。私には何か優れたものが有るのか?何処へ行けるのか?私の父母は私の家出後まもなく二人とも癌で亡くなった。この世で私はたった一人―――しかし私は“神の気持ちに背く”事は考えていなかった。

続く一年間、仲間を渇望し、子供の父親になるような人物を渇望していたので、組織で一人の優秀な独身男性に出会い、6週間経たずに結婚した。新婚の喜びが過ぎると、彼は私に対して完全に興味を失ったと感じたが、なお数年頑張り、私達の関係が新婚の時のような、最終的に私が欲するような人(それは彼と私が一緒にいる時の圧力を感じるだけなのだが)になってくれるよう希望していた。我々は面と向かって喧嘩した事は無く、ずっと冷戦のゲームで遊んでいただけだった。ああ、可哀想な子供よ!

その後、恐ろしい“神の子”に対する“迫害”がやって来て、私と一緒だった上層部は邪教の頭目として新聞の一面トップで報道され、即刻移動が必要となった。我々は新しい都市に逃げたが、再度文明的衝撃を受けた。この時、組織内部でワクチンを接種していなかった子供達は続々と百日咳、はしか、風疹及び耳下腺炎に感染した。数ヶ月に及ぶ検疫と隔離の後、上層部は彼女の子供達を全員移動させた。この6年私は彼らと朝夕一緒で、彼女を母親のように思っていたのに、一夜の内に彼女は私が愛していた子供達を全部連れて離れて行ってしまい、これは私にとって大きな心の傷となった。

ボルグがばら撒いた“愛の法律”はあらゆる情欲の通行証となり、例えば厳しい体罰で子供を虐待し、多くの子供に対して性的虐待を行なった。新しく推進された恐ろしい“家庭学校”は尻叩きと札を掲げて他人が自分に話し掛けないようにする“会話禁止”という方法で子供達特に青少年に対する体罰を完成させた。

ボルグが書信『一人の妻』の中で諭している通り、我々は組織の子供達を“我々全員の子供”としていた。もし父母が自分の子供を守ろうとすると、彼らは“彼らの子供を愛する”というラベルを貼られる―――これはこの邪教では重罪なのである。多くの子供達が自分の父母と一緒に住めない―――ひどい場合は地球の反対側に住む。私は最大の努力で私の子供達を守り、虐待は何処にでもあるが、私が居住している所では有って欲しくない。我々の生活は真空の環境の中にあり、本も、テレビも、雑誌も、勿論インターネットも無いのである。

同時に、普通の信徒は物資の欠乏や貧困から絶望に陥り、生存のため争奪と混乱に陥る。彼らは町へ出て小冊子や邪教の宣伝物を売り財物を得て、性の自由と生育の無制御から人数の持続的増加を招いている子供達を世話する。誰もが考える暇が無い、というのは一旦事態が緩和されると、ボルグの次の新しい指示が必ず出て開始されるので、そうなると我々の“証し”の期限は延長され、子供達に既に為された教育はまたまた副次的な地位に置かれ、圧力ばかりが影のように付きまとう。

圧力に常に服従させられ、日一日と我慢を強いられ、精神にインプットされるものの欠乏―――これら一切は私にとっては精神上の“頭葉切断手術”を受けさせられたようなもので、私は既に“脳死”状態に処されていた。

ボルグは1994年に死に、これ以降彼の情婦だったゲルン・ザビーが“神の子”の指導権を引き継いだ。新しい奇怪な教義が始まった―――“イエスと性交”である。これは私達が性交している時半分をイエスとして愛の気持ちを表わす事であった。

次にやって来たのは数えきれない精神的な手引きだった。これらの虚無的な霊が人々にいろいろな物語を素材として提供し、この方法で回示や啓示を得た人もいたし、ある人は過去の偉大な作家の作品に基づきまとまった小説を書いた。

これらは聞いただけでは確かに理解しにくいであろう、私もどのような言い方なら信じてもらえるか解らない―――それは論拠が全く明らかでない小説のようなものであり、ザビーが発表した奇妙な“精神事実”なのである。

このようにして、私は長年この組織に陥っていた。というのは私が最初に“神への献身”を承諾した事が正しかったと証明したかったからである。私はずっと自分の幻想と錯覚にこだわっていた。

私の長男は成人して家を出てから、この組織を離れた。彼は私にザビーは気違いだと言い、英国高級裁判所のこの邪教に関する事件記録をくれた。この記録を読んで私は目が開き、私が30年の生命を捧げたのは何と恐ろしい所だったのだろう!と思った。

私は即座に組織から離脱した。

私の思想はごまかしに影響されたが、これは何という心の震撼なのだ!私の後悔と慙愧は時間では取り返せず、私の成長した子供達の昔も再び来る事は無い。一番はっきりさせたい事は何があの頃の私をこのように簡単に騙したのか、という事だ。『ストーン村の惨劇』(映画名、1978年の人民聖殿教教徒の集団自殺の惨劇を描いた)からISISまで、私が読んだ邪教の資料が多くなるほど、一つの常識―――孤独な人が知らない環境にいると、正常な行為意識が異常に変わり、道徳面で敵対する事態が出現する事が理解出来た。スタンリー・ミルゲラムは1960年に有名な“服従”テストを行なったが、その総括で“通常我々は一人が良いと言うが、これはこの人間本人にとって良いのではなく、良好な環境なら彼はどのように反映するかを決める事が出来るのである。”

現在私は年を取り、あの荒れ果てた恐ろしい日々を思い出すと、深い後悔を感じる。しかし、私の子女と私が組織の中で面倒を見た若者達が示した寛容と理解は私にとって大きな励ましとなっている。

私に言わせれば、まだ希望はある。長年私は勉強の機会を失っていたが、これからの多くない日々でやりたい事は勉強である。出来る事なら神経学、心理学と行為経済学を学びたい。また歴史、科学と言語の授業も聴きたい。私は前進と学習を続けたいと希望しており、全ての事物に大きな興味を持っているが、―――当然、キリスト教と新しく生まれる組織以外のものであり、これらは既に十分解ったからである。

背景知識:

“神の子”(Children of God)また“天父の児女”、“愛の家庭”とも称するが、米国と世界の多くの場所で流行した組織で、デヴィッド・ボルグ(デヴィッド・メッシ・パイクとも称する)が1968年創設した。この邪教は主に性の乱交と世界末日論を宣伝し、売春に似た方法で信徒を拡大した。前世期80年代、一度中国に入り込んだ事がある。

(編集責任:邵晗)

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