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包頭の女性二人が“白日飛昇”で飛び降り死亡
    
2017-07-19  xinhuanet.cn  筆者:王偉    

 

満天の星を見る度、私は何時もある人を懐かしく思うが、残念にも彼女の耳には入らず、ただ遠い天国で幸せな事を願うのみである。

 

私は1970年生まれ、内蒙古包頭の人間である。1990年、私は内蒙古大学に合格した。軍事訓練の時に同じクラスの劉思媛を目にして、この長い髪の眉目秀麗な娘を好きになった。たゆまず追い求めた結果、遂に彼女の心をつかんだ。大学の4年間、我々は楽しくフホホト市の町中を歩き、王昭君の墓、大小昭寺、黄河の渡し場・・・・何処にも我々の足跡を残した。我々は卒業したら結婚し、永遠に一緒だと約束した。思媛と私は同じ市内、土右旗溝門鎮の西湾村に家があった。彼女の母親は早くに亡くなり、小さい頃から父親と助け合って来たので、私は内心、必ず努力して立派に彼女を迎え入れ、良い暮らしをさせると誓ったのであった。

 

1994年大学卒業後、我々の愛情のため、我々は一緒に南下して広州に行き、ここで私の一番美しい新妻を迎えるため財産を作ろうとした。我々は毎日朝早く出掛けて夜遅く帰り、疲れてはいたがお互いの事でもあり、幸せを感じながら知らず知らずに3年が経ち、結婚の日取りも決まり、新婚旅行の行き先まで決めていた。ところが突然思わぬ出来事が発生し、我々の計画は乱され、それぞれが遠く離れる事になってしまった。

1995年遠く離れた土右旗に住む思媛の父親が誤ってエレベーターの穴に落下して全身を骨折し、大脳も落下傷を負った。思媛はこの知らせを聞くと雷に打たれたように私の腕の中で気を失った。

 

我々は結婚準備のための蓄えを全て使って思媛の父親を治療しようとしたが、父親の頭蓋骨内の鬱血状況は好転しなかった。ある日思媛が言うには、父親を救う方法が一つ見つかった、思媛と同じ村(包頭市土右旗溝門鎮西湾村)の王春花が法輪功を学んでいて、思媛に法輪大法を修行すれば生死を超越出来、円満に飛昇すると言ったと言う。私は彼女が焦って無茶を言っているが大した事は無いと考え、ただ慰めるだけで、医学を信じるように言っただけであった。帰省休暇も終わり、私は広州に戻って仕事を続ける必要があり、彼女は実家に残って引き続き父親の面倒を見る事になった。

全く考えもしなかったが、その日から、彼女は終日修行に打ち込み、李洪志の録音やビデオを聞き、『転法輪』を読み、こうすれば父親が回復すると思っていたが、病状は悪化し、思媛の父親は1996年5月に永遠に彼女から去った。死後の始末が終わると、思媛は私にいろいろ調整したいので先に帰るように言った。私もあまり考えず先に戻って来た。しかし思媛からの電話が徐々に少なくなり、私が掛けても何故か電話を取らないので、私は週末に迎えに行ったのだが、彼女はそれを断わり、心を落ち着けて大法を修行したいと言うので、私は大法なぞは私の理解の外にあると思った。試しに彼女やその“修行仲間”の説明を聞いたが、聞けば聞くほどでたらめだと感じ、しかし思媛は私の勧めにも全く耳をかさないのでどうしようも無くなり、一人で広州に戻り、仕事を続けながら彼女が何時の日か私の話しを理解して帰って来てくれると思っていた。

1997年末、思媛が電話してきて私に渡す物があるので取りに来るように言った。私は彼女がやっと理解し私に迎えに来させるのだと思った。家に着いて門を開けると部屋には誰もおらず、客間のテーブルに手紙が一通置いてあり、“以前私は大法を修行しなかったためにパパは私から離れて行ったが、今や私は円満になり、あなたを護る”と書かれていたので、私は慌てて方々を探し回ると共に警察にも通報した。12月13日、公安局から電話があり、遺体を引き取れと言う。それは彼女と“修行仲間”の王春花が“白日飛昇”の円満境界に行こうとして、1997年12月13日土右旗溝門鎮西湾村で飛び降り“飛昇”自殺をしたのであった!思媛の蒼白で痩せ細った遺体を見て私は涙が止まらなかった。

安らかに眠れ

彼女は知らなかっただろうが、彼女がいなければ私の人生に円満はあり得ない。彼女を想い、私はまた内蒙古に戻り、かつて知り合ったフホホト市に戻って来たが、以前よく知っていた街を歩くと、思わずあの頃一緒だった思媛が思い出されてならない。天国で安らかに眠って欲しい!

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