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カナダ女性作家:神韻の公演には荒っぽい政治的動機が存在する
    
2017-09-13  kaiwind.com  筆者:Martha Schabas 江楓(翻訳)    

核心テーマ:カナダ『環球ポスト』は3月3日のホームページに女性作家で、舞踏評論員兼芸術プロデューサーであるマルサ・シャバス(Martha Schabas)の評論を掲載した。作者は法輪功の神韻芸術団によるトロント公演を鑑賞した前後の感想を述べ、神韻が芸術の名を借りて密かに法輪功の宣伝をしており、“荒っぽい政治的動機”が存在すると批判した。

 

マルサ・シャバス(Martha Schabas)

ニューヨークの神韻演芸公司は成立以来ずっと論議を呼んで来た。しかし事実上、政治が彼らの演出を圧倒したのだ。

もし数ヶ月過去に大トロント地区にいれば、多分“神韻”のポスターや広告を目にしたであろう。ポスターは背景に光が溢れ、前景には踊り子が長い袖を振りながら踊り、波浪を表現していた。昨年12月以来、カトナ高速道路沿い、バス停、コーヒー店の壁やコインランドリーの掲示板にこのポスターが多く見られた。画面の色は人に静かな感じを与え、通り過ぎる際に一目見ても、これが争いを表現したと疑う人はいないだろう。

しかし実際には、神韻―――この法輪功の弟子が2006年に設立した演芸公司は、ずっと論議を呼んで来た。神韻はここ数年規模を拡大し、世界各地を巡業したが、中国では法輪功の拡声器で、反政府宣伝に従事していると見なされた。中国駐米大使館のホームページは、神韻は“品位に欠け、芸術レベルが低下”しただけでなく、政治道具として“邪教思想”を宣伝している、と指摘している。『環球ポスト』の2010年の取材中、トロント中国領事館の広報官は公衆に神韻の公演を観ないよう呼び掛け、“虚偽の演出”と称した。

神韻側はこれとは逆に、自分達が推進している事は中共が破壊を企てている中華五千年の文化だ、と述べた。

このように大袈裟な声明が私の好奇心を刺激し、自分の目で神韻の演出を観たくなった。

トロントの四季演芸センター(Four Seasons Centre)で神韻の公演を観る前に、少し研究してみた。彼らのホームページは周到に設計され、光線は明るく、多くのダンサーが取材を受け、法輪功のすぐれた教義とその“鎮圧”の歴史が背景となっていた。しかしホームページには神韻の連絡先が無かった。私は画面で唯一の電話番号に掛けたが、それは米国の800ホット電話であり、おかしな事にトロント法輪大法組織のメディア連絡ボランティアから返事があった。彼らは私に、神韻はメデイァには切符を出さず、芸術家達も取材は受けない、と述べた。

中国領事館の新聞弁公室に電話するとそのまま終了した言語ポストに転送された。最後には取材請求は一つのメールボックス“torontochina2011”に送信するよう要求された。取材請求は婉曲に断られたが、領事館は私に神韻公演のマイナス面についての評価とYelpホームページの観衆が提出した一連の短評を返信してくれた。(訳注:Yelpは米国最大の評論ホームページ)

四季演芸センターは座席数2,000以上で、初演の切符はほとんど売り切れであった。プログラム表を開くと、カナダ総督デヴィッド・ジョンストン(David Johnston)及びトロント市長ジョン・トーリ(John Tory)からの祝い状が1ページ全部を占めていた。市長はトロントでの公演を歓迎しただけであったが、総督は内容の評論にも言及し、神韻の“創造力と優雅”を信ずる、と述べていた。

2時間余りで公演の幕が降りたが、私としては彼の評論は半分しか正しくなかった、と言わなければならない。

出し物は17の短い舞踊と2つの音楽実演であった。疑いなく、私はそこに舞踊技術の優雅さを見た。しかし内容と構成の面では創造力が欠けていると感じた。

演出は男女二人の司会が二つの言語で司会し、彼らは盛装して微笑を絶やさず、各出し物について簡単な紹介と説明を行なったが、児童用プログラムの司会のように感じた。観客は情感或いは智慧を伴った表現を必要としているが、このように簡単で講義のような進め方ではあまり値打ちが無いと感じたであろう。

本来観客に伝わるべき中国古典の雰囲気、民族の特色は舞台設計とプログラム中の明らかな価値の押付けで弱まってしまった。各出し物は巨大なスクリーンの前で演じられたが、スクリーンにはコンピューターで解像度の高い瀑布や山岳、寺院が映された。半分以上の出し物でダンサーの出場と退場の際繰り返され、先ずコンピューターによる画像が漫画的風景の中を行きかい、舞台上のダンサーに切り替わる。この種の視覚効果はそれほど古風ではなく、ラスベガスの風景にも似ているが、チベット鼓手の情熱的な演技、蒙古の酒杯を頂く舞の精妙な群舞、宋代の民俗音楽は全てこの派手な舞台に埋もれてしまった。これは色彩面から言える事で、鮮やかな舞台衣装も終始スクリーン上の多くの色彩に溶け込んでしまった。

これだけでなく、出し物における政治的意味が非常に明白である。

出し物の一つは“善と悪”(英文名称:A Child’s Choice)で、修行中の法輪功の弟子がいわゆる迫害を受け、弟子の子供が数年後再度組織―――法輪功を見つける。この時、仏のような形がスクリーン上の遠景に現われる。

別の出し物は、“無量の慈悲”で、内容は常軌を逸したものである。早朝法輪功を修行している弟子が殺害され、スクリーンは近代都市が突然爆発のきのこ雲に覆われる場面となり、高層ビルや道路が崩壊し、神のような形が白い光芒の中に現われ、続いて埃が散り失せると、金色の光輪で満たされ、死んだ法輪功の弟子が元気に復活する。

これは我々に思索をもたらすが、仮にこの種の後物質主義だとすると、千年末日が法輪功の核心的教義であり、そうなら、神韻のプログラムに何故これが含まれるのか?政治と取引する芸術とある事象の発展を支持する芸術、この二者は区分が難しく、“無量の慈悲”では、現代の啓示録(訳注:聖書の『啓示録』は末日の審判を描いていて、啓示録は普通世界末日を指す)の中で法輪功の擁護者のみが救いを得られる、これは多分やり過ぎであろう。出し物の前に独唱があり、隠された伝道の意味が示される。

テノールによる田畑歌(Tian Ge)は、彼らが救いを得て天国に入るには、法輪功の弟子は必要な物を更に多く物色しなければならない事を表わしている。宗教的歌詞は巨大な文字の中英文2言語で背後のスクリーンに出現し、プログラム表にも印刷されている。

以上から私はある感覚から抜けられない―――ある人が私に何かをしろと指示している。

演出が終わりに近づいた時、男性の司会者である林理善(Leeshai Lemish)が観客に対し、神韻の毎年の巡回公演では全く新しいプログラムを用意するので、“皆さんは既に観たとしても、全てを観た事にはならない”と述べた。しかしこの冗漫でつまらない夜は、私に既に“全部観た”と感じさせた。このプログラムは大同小異であり、同じような価値輸出が使命であり、目的は全て同じ効果に到達するだけであり、次回の公演が違う事はあり得ない。更に不安なのは、宗教及び政治的内容は広告には現れない。彼らは観客に消失した伝統芸術を見せ、結果として出し物の中味は法輪功が密かに進めている勧誘だけなのである。

優れた芸術が大衆の観点を操作して生まれる事は非常に少ない。もし神韻の希望する所が芸術だとすれば、芸術と関連するもっと困難で見通しの難しい作業が必要である。この集団の踊り手には疑いも無く優れた人材がおり、西側の古典楽器と東方楽器に精通したオーケストラもある。しかし現在の状況は、観客は高価な切符を購入する際、神韻の荒っぽい政治的動機を知らないのである。

作者紹介:マルサ・シャバス(Martha Schabas)は、『環球ポスト』の舞踊評論員兼芸術プロデューサー、その文章、書評及び小説は『環球ポスト』、『新季刊』、カナダの流行雑誌『ELLE』、『拙筆』(Broken Pencil)及び『メゾニューブ』(Maisonneuve)等に掲載されている。シャバスはデヴィッド・ハイアム文学賞(David Higham Literary Award)の受賞経験もあり、2012年のカナダ放送読書チャンネルは彼女を“その作品はカナダ女性作家の十指に入る”と称している。

原文URL:

http://www.theglobeandmail.com/arts/theatre-and-performance/inside-shen-yuns-delicate-dance-between-politics-and-thestage/article34201842/

 

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