北京市朝陽区双橋東路18号院にある一列の別荘群は1995年に建てられ、周りの人々に豪壮な住宅と呼ばれている。そのうちの1138号別荘は(図の1をご参照)特に特殊性がある。それは別荘の面積が大きく、一戸建てで、飾りつけが贅沢で、値段が高い(現在500万人民元以上に値する)だけではなく、更にその所有者が特殊な身分を持つため、並々ならぬもののように見える。
この別荘の所有者はいったい誰だろうか。
(図の1)
一.うわべから見れば、1138号別荘の所有者が芦淑珍、つまり李洪志の母親である。
不動産売買契約から見ると、1997年6月29日に、長春市解放大路103号に住む芦淑珍という人(図の2をご参照)はこの建築面積が220平方メートル、楼前の花園面積が240平方メートルに達する別荘(図の3をご参照)を購入した。、当時の総価格が40万元(図の4に会います)、それに別荘購入時支払った各種の手数料を加えて、1回目の投資金額が40数万元に達し、しかも住宅購入金額の項に「一回で全額を払う」(図の4をご参照)と記入されている。
(図の2)
(図の3)
(図の4)
二.事実上、1138号別荘の実際的な投資者と所有者は李洪志である。
筆者が双橋東路18号院の別荘に住む一部の住民に取材した際、彼らはこの家が間違いなく李洪志のものだと証明した。一人の李というおじさんは、芦淑珍が自分に「私が普通の人間で、これほどの大金がない。この家は息子が私の名義で買ったものだ」と言ったことがある」と筆者に教えた。
それでは、芦淑珍の息子はいったい誰だろうか?戸籍の書類を調べてみると、芦淑珍の息子は李洪志である。「李洪志は原名が李来であり、1952年7月7日に吉林省公主嶺市で生まれ、1953年11月に両親について長春に引越した。彼の父は李丹と言い、1951年に芦淑珍と結婚、その翌年の(1952年)夏に李洪志を生んだことが分かった。
三.その時、李洪志はいったいどこからこれぐらいの大金を手にして別荘を購入したのか。
別荘を購入するには大金が必要とされるが、1997年6月29日までは、李洪志はどういう収入状況だったのだろうか。李洪志は1982年に退役して、長春市糧油会社の保衛科に就職し、1991年に無給休職をした後、「気功」活動に従事し、1992年5月から法輪功を教え始めまた。筆者は李洪志が法輪功を教え始めた1992年を境にして、1982年に李洪志が職に就いた時から1997年に住宅を購入する前までの収入を大雑把に推算してみた。
1、法輪功を教える前の李洪志母子の収入状況。
「中華人民共和国国家統計局の国民経済?社会発展計画執行結果についての公報”によると、1982年から1991年にかけて、中国人の1人当たり年間純収入は次の通りである。
1982年に1人あたり年間純収入は270元
1983年に1人あたり年間純収入は309.8元
1984年に1人あたり年間純収入は355.3元
1985年に1人あたり年間純収入は397元
1986年に1人あたりの生活費になれる収入は828元
1987年に1人あたりの生活費になれる収入は916元
1988年に1人あたりの生活費になれる収入は1119元
1989年に1人あたりの生活費になれる収入は1260元
1990年に1人あたりの生活費になれる収入は1387元
1991年に1人あたりの生活費になれる収入は1570元
上述の標準に基づいて推算すると、1982年から1991年にかけて、長春市糧油会社の保衛科で働いた期間に、李洪志の総収入は合計で約8412.1元となり、李洪志の母親は鎮内の小さな診療所の看護婦であったため、その収入レベルが高くないはずである。そこで李洪志母子2人の生活費を入れなくても、その総収入は2万元を上回るはずがない。
2.李洪志はいったいどこからこんなに多いお金を手に入れて、別荘を買ったのか。
前述の推算中から分かるように、李洪志は法輪功を教える前の収入で別荘を購入できる財力があるはずがない。その解答は李洪志が1992年から始めた「法輪功伝授」から見出す以外にないようである。
(Kaiwind.com, 2009-06-26)