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法輪功がどう疾病を扱っているのか

2009-02-24

病気にかかった後に医薬を拒むのは大勢の法輪功学習者の死亡を招いた最も主要な原因で、彼らが医薬を拒む原因は李洪志の理論からきたのである。

李洪志は人が病気にかかる原因を「業力」に帰結している。

「業力」は元々は仏教用語で、褒める意とか貶す意の区別がないが、李洪志はそれを悪い事をした因果応報と言い、法輪功学習者に、人間が病気にかかって、体の組織と器官の病変によってもたらされたものではなく、この人の前生あるいは今生の「業力」によるものと宣伝している。

李洪志は『轉法輪』の中で、人間が病気にかかった根本的な原因は「業力」にある。常人は各種の善くない心があって、一種の黒い物質「業力」をもらう。人間がこれまで悪い事をし、「業力」を得たため、病気あるいは苦難をもたらしたと公言している。

このため、たくさんの法輪功学習者が病気に罹った時、医療や薬を拒む事件はしきりに発生し、結局、身体障害或いは死亡をもたらしてきた。たとえば、2001年1月、59才の上海市定年退職者である胡広英さんは普通の皮膚病に罹って、法輪功学習者として、業力消去を信じて、断固と病院に行かず、いかなる薬品の使用をも拒絶した結果、患部が化膿感染し、死亡してしまった。

李洪志は、病気になっても治療を受けずに練功による「業力消去」をするよう、弟子に誤ったほうに導いている。

李洪志の言い方によると、人が病気にかかったのは「業力」によってもたらされたものであるが、「業力」はいかにして消去されるのだろうか。

まず、李洪志は法輪功の修練は「業力消去」の唯一の方法であり、病気を治す唯一の効き目のある方式でもあると言っている。

彼は『轉法輪』という本の中で、次のように述べている。

「師があなたの業力を消去してあげる。」

「まずは、病気を含めて、皆さんの身体のあらゆる良くないものを取り除いてあげなければならない。しかし、ここでは病気治療はしない。われわれは身体を浄めてあげるので、言葉も病気治療と言わず、身体浄化と言う。」

「一部の人は……数年間治らない重病に罹ることになっているかも知れない……では今後の人生においてどうやって修煉するのだろうか?われわれはそれらのことをすべて取り除き、そういうことが起こらないようにする。」

「人の病気を治したり、健康のために何かしてあげたりするのは、良いことだと思う人がいる。しかしわたしの見るところでは、誰も本当に病気を治せたわけではなく、ただ病気を先送りさせ、あるいは転化させただけで、病気を取り除いてはいないお。本当にその難を取り除こうとすれば、業を滅しなければならない。」

彼はまた『轉法輪(巻2)』の中で、次のように述べている。

「私たち修煉者は師父が業力を消去してくれるほか、自分もその一部分を還さなければならないため、体の具合が悪くなり、病気に罹ったような感じがする。修煉は生命の本源から身体を浄めてくれることである。」

李洪志は病気に罹った弟子が診てもらったり薬を飲んだりすることを許しない。

「煉功すると同時に薬を飲むならば、煉功による病気治療を信じていないことになり、信じるならば薬を飲まないはずである。」(『中国法輪功』(改訂版))

李洪志はまた、「注射してもらったり、薬を飲んだりしても本当に病気を治せたわけではない」と言っている。

李洪志は「よく病院へ行っても、まったく効き目がない……ある学習者は病院で注射してもらったところ、なんと注射器の針が何本も折れ、最後には薬も噴出してしまって、どうしても注射ができない。そこでやっと“そうか、わたしは煉功者だ。注射などしてはいけないのだ”と分かり、ようやく注射を中止することにした」と述べた。(『轉法輪』)

「根本的な原因として、病気がこの空間で生じたのではない。だから、薬を飲むことはこの病気、表面のウィルスを殺すのである……薬を飲んでしまえば、また業力を押し戻してしまう。」(1997年『ニューヨーク法会での説法』)

「手術をしても表面的な物質空間の肉を取り除いただけで、別の空間内の病業はまったく動かされてはいないのである。現代の医学技術ではまったく触れることすらできない。」(『精進要旨』)

「人間は病にかかると薬を飲んだり、各種の方法で治療をしていて、実質上は病を再び身体の中に押し込んでいる。こうして前の一世に悪事を働いて残した病業を返すことができずに、この一世で再びいくらかの良くないことをして他人を傷付けたことで、また新たな病業が現れ、各種の病に罹る。」(『精進要旨』)

一方では、李洪志の誤った「業力消去」論に導かれたため、多くの大法弟子はちっとも背く勇気がなく、結局、彼らに限りのない苦痛をもたらされただけで、生命の代価を払った人も現れた。

李洪志のいわゆる「業力消去」論に誤らせて、大法弟子は病気に罹った場合、これが「業力消去」だと思いつき、ひいては頭に「診察や薬を診てもらおう」という考えがチラッと浮かんだら、「師父」李洪志への「大きな不敬」としている。

法輪功のウェブサイトでは、「業力消去」のため、弟子たちが耐えられないほどの苦痛を受けたことを描いた内容がよく見られる。2008年5月16日、ウェブサイト明慧には、『病業現象と内に向けて探すこと』と題する、一人の歯痛に罹った学習者の体験を記録した文章を載せた。「今年の4月に、歯が突然痛くなり、しかも正念を発すればするほど歯痛が激しくなり、寝付くことができず……逃げ隠れるところもなかった。正念を発し、歯痛が和らがないため、わたしはうちに向けて探し始めた……眠れなかった以上は、法を学んだり功を修練したりした。

李洪志の間違った理論に導かれたため、大法弟子は、法輪功の修煉で病気を完全に治すことができると信じている。彼らは病気に苦しめられたが、薬を飲んだり診てもらったりする勇気がなかった。やむを得ず、一部の人は苦痛から抜け出すため自殺を選んである。江蘇省塩城市の一人の法輪功学習者は病院に行かずに功を修煉し続けたが、最後に病気による苦痛に耐えられないため、脈を切って自殺した。死ぬ前に懐に薬が入っていたが、服用する勇気がなかった。

医療と医薬を拒絶しため、大勢の大法弟子が死亡したことに直面して、李洪志は口実を探し続け、言い逃れようとしている。

李洪志がでっち上げたいわゆる「業力」と「業力消去」の理論に誘導され、これを深く信じている一部の法輪功学習者が病気になっても診察してもらわずに、一心不乱に「法輪大法」を修煉し、治療に最も良い時機を逃し、医療と医薬を拒んで死亡した事件はしきりに発生し、法輪功の内部に大きな動揺と不安をもたらしてきた。

法輪功によって開催されたいわゆる「法会」では、弟子がよく「なぜ法輪功弟子が病気になって死亡したのか」と李洪志に質問している。

これに対し、李洪志はいつも責任をいわゆる「旧勢力」と「大法弟子」に転嫁させている。

一方では、彼はこれが「旧勢力」(李洪志に憶測された空間における、もっぱら法輪功と対抗する勢力)による「按排」と「妨害」だと述べている。

「人間は常人を脱皮したければ、人間の全ての執着を取り除かなければならない。だから、旧勢力は隙に乗じてそれらの全てを按配した。例えば、ある学習者に何日何時に病気の状態が現れ、ある学習者が何日何時にこの世を去ることなどを按配した。」(『2003年アトランタ法会での説法』)

「旧勢力はこれらの生命を淘汰しようとしているので、大法を妨害することによって罪を犯し、そういう作用を働かせている。」(『2003年アトランタ法会での説法』)

「私の大法弟子の中にも歴史上それらに利用され、騙された人がいる。例えば、何日何時にこのようにしてはじめて、圓満成就することができると言われている。」(『2003年アトランタ法会での説法』)

「修煉と大法は厳粛なことであり、人間を神にすることができる。旧勢力は耐えられず皆さんに試練を与えようとしている。天寿になった人がいれば、その人を死亡させてしまい、このときでもあなたは大法が良いと言い、残って修煉し続けるのだろうか?これはほかでもなく旧勢力の仕業である。だから、命の危険に遭っている学習者に関して、本人が良くないとか、重大な問題があるとかを言ってはいけない。実は全ては旧勢力が人間の心に付け入って妨害しているだけである。」(『2004年ニューヨーク国際法会での説法』)

「その学習者を死滅への道に追いやってしまい、旧勢力は彼に問題を生じさせ、ひいては死なせてしまい、これによってほかの学習者に試練を与えようとしている。」(『2004年ニューヨーク国際法会での説法』)

他方では、彼はまた「大法弟子」の修煉が足りないせいだと言っている。

「もし心の中で長い間執着を取り除かなければ、同様に迫害され妨害される恐れがある。「煉功して、病が治り、なんと気分の良いことだろう。生活も大変便利になった」というように、彼らの認識は長きにわたって、このレベルに留まっている。法から法を認識することができなければ、問題も起こりやすいのである。」(『2004年ニューヨーク国際法会での説法』)

「修煉は厳粛なことであり、人心に対する試練に加減はない。執着すればするほど、気分が悪く感じる。病院に行って検査すれば、病気が重くなったという結果が出される。それでも悟らなければ、ますます悪化し、最後に本当に死んでしまう。」(『2004年ニューヨーク国際法会での説法』)

「法を勉強せず、病に執着している心をも取り除かず、あなたはほかでもなく、病気治療をするための常人なのである……もしあなたが本当に修煉し、真に生死の心を放棄することができ、ほかの人に見せるためにそうしたのであって、心の中でなかなか放下できないということではなければ、どんな病気も良くなる。」(『2004年ニューヨーク国際法会での説法』)

「長く機会を与え、この人がなかなか悟らなければ、長く修煉し、大法のこともほかの人と一緒にやっているが、根本から病気の心さえ取り除いていなければ、根本から見れば彼はまだ本当の学習者ではなく、天寿になったら、亡くなってしまうのである。」(『2004年ニューヨーク国際法会での説法』)

上述した二つの面でともに嘘のつじつまを合わせることができない場合、李洪志はもう一つの解釈があり、即ち一部の弟子が「圓満成就」した(李洪志に言われた、修煉が完了し、「佛」や「神」になった)ため亡くなったのである。

「皆さんがご存じのように、われわれ学習者のごく少数の人がこの世を去った。そのうち、圓満成就した人がいれば、破壊を受けた人もいた。したがって、わたしはこれに対し、態度を表明せず、取りざたもしない。」

「人の生命には定めがある。」(『ヨーロッパ法会での講法』)

要するに、李洪志の目から見れば、大法弟子の死は李洪志及び法輪功の修煉と全く「無関係」のようである。

しかし、最も不思議なことには、李洪志は弟子たちが診てもらったり、薬を飲んだりすることを許さないが、自分がこの準則を遵守していない。

李洪志は長春市食糧油食品供給総公司の防衛課で働いた間、自分と娘の医薬費用を清算した領収書が73枚に達し、そのうち、李洪志の医薬費用領収書が48枚であった。

李洪志は1982年から1992年にかけて、長春市食糧油食品供給総公司の防衛課で働いた間、長春市病院、長春市人民病院、軍隊208病院、長春市朝陽区漢方病院等7ヶ所の病院で医者にかかったことがある。

1984年、李洪志は急性化膿性盲腸炎のため、入院し手術を受けた。

 言い換えれば、李洪志が提出した「業力消去」という病気治療方針は自分に適用せず、彼は自分の「業力消去」論を以って、自分の命を茶化す勇気がない。

 これでわかるように、「業力消去」論は李洪志が弟子を騙し、コントロールするための一手段に過ぎない。

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