法輪功は「元神不滅」と宣揚し、人間の死亡は肉身の脱落に過ぎず、死亡際の感覚はとてもすばらしく、「圓満成就」にまで修煉できた時、身体を持たずに天に上ることができると言っている。
李洪志は「われわれは高次元から見れば、人間が死んで、その元神が不滅だ」と言っている。(『轉法輪』)
「人間が死亡した時、あなたの最大な分子、つまり人間のこの体、表面にあるこの分子がこの空間で死亡し、脱落する。更にミクロ的な物質で構成された本当のあなたの体はなぜ死亡することがあるのだろうか?」(『長春輔導員法会での説法』)
「人は死ぬ瞬間には怖い感覚がなくて、むしろ逆に解脱感を覚え、潜在的な興奮を感じたというのである。自分は突然身体の束縛から解き放され、軽やかに、非常に美妙な感じで漂い出した。」(『轉法輪』)
「この宇宙の中に、昔多くの修煉形式及び異なる天体の天国世界があったが、99.9パーセントの人は体がいらなかったのである。」(『長春輔導員法会での説法』)
李洪志は学習者に生死への執着を放下するよう要求し、こうして初めて「圓満成就」ができるようになると強調している。
「もしあなたが本当に圓満成就し、一人の大きな神になったり……掌の灰を吹き飛ばすほどの力で地球を手に握ることができる。」(『ヨーロッパ法会での講法』)
「将来修煉を成就した時、欲しいものは何でも手に入り、やりたいことは何でもやれるようになる。彼の世界の中には何でもある」。(『轉法輪』)
「生死を放下することができれば、あなたは神であるが、それができなければ、あなたは人間にほかならない。」(『オーストラリア法会での説法』)
一部の法輪功学習者は李洪志の誘惑を軽々しく信じ、生命を大事にせず、身体を「くそ袋」と見なし、ひいてはそれを惜しまずに放棄した。
1999年7月3日、27才の常浩馳と50才の李進忠は自分がすでに「功が成就し、円満になり、昇天することができる」と確信して、村外の空地で向かい合って座り、焼身自殺した。
2001年11月25日17時ごろ、北京市西城区の法輪功学習者傅怡彬は両親の家で父と妻を殺害し、母を切って、重傷を負わせた。これについて、傅怡彬は、わたしは法輪功を学習してから、彼らが一種の「皮人形」と「生ける屍」のように見えた。彼らには生命や人生の価値とはなにかは全然わかっていない。いくつかの肉身を前にして、犬や猫を切ることとは変わりがないと思う。外形はわたしの父親であるが、わたしのこの父親は肉身が壊れており、彼を抛棄する頃合になった」、「私は彼らを殺して、私達のこの大きな家族が修煉を成就した後、ともに極楽の世界に行って、永遠に享楽を楽しもうとしている」と白状した。
法輪功は、殺人が悪縁を善い形で解消したものであり、人を済度し、昇天させることができると宣揚している。
李洪志は、「もしある大きな生命が人に殺されたならば、その罪業は非常に大きく、特に人間を殺した場合、このような業を造れば必ず返さなければならない……それらの殺されたあとの生命の実質上の劣悪な境遇、耐えた苦痛と物質的な損失は、修煉者が自らを圓満成就させる全過程で自らの修煉の成果をもって、救い済度するか、福なる報いを与えなければならないのである。だから、この角度から見ると、殺された生命が得た補償は、自らこの世で得たものと比べれば、比べることができないもので、こうすることで悪縁を善いかたちで解消したことになるのである。(『大法とは圓容しているもの』)
「皆さんが殺生した一部の生命は皆さんの未来の世界の衆生になり、これを良いことにしたわけである。もし殺生された生命は「嗚呼、わたしは佛の世界に行くよ」とわかってきたら、彼は首を伸ばして殺してもらい、喜んで殺してもらう。」(『スイス法会での説法』)
2002年3月1日、新疆に籍がある法輪功人員である林春梅、温玉平は「人を済度する」ため、陝西省咸陽市鴻客旅館のウェイトレス買新萍さんを殺害した。記者のインタビューを受けた時、林春梅は「あなた達は私達が人を殺したと思うが、私達はよい事をしたと思い、彼女を天に済度し、彼女が幸せになった」、「生命への理解が異なっている。常人が肉身を殺すのが殺人だと思い、私達は元神を殺したことを殺生と見なしている」と言った。