李洪志は身障者を侮辱し、身体障害事業に非常に無関心である。ひいては、その弟子が身障者への手伝いや世話をすることをも許さない。
李洪志は身障者のイメージが極めて悪いと言っている。「嗄れ声の目の不自由な人、足の不自由な人、外見の見苦しい人はラジオやテレビで、スターとして崇められている。」(『轉法輪』巻2)
李洪志は、人が身体障害になったのは、前生に悪い事をし、身上の業力を返していないからだと見ている。彼は弟子が身体障害者に関心を持ったり、世話をしたり、身体障害事業に参与したりすることを阻止している。
「人はなぜ苦痛があるのだろうか?人はこの世で生きていると業を造る。業力が大きな人もいれば、小さな人もいる。死ぬ直前に苦痛を味わう人もいて、苦痛の中で一生に造ってきた多くの業を取り除き、来世には良い生活が得られる。」もし「苦痛を味わいたくなく、業を返したくないのならば、来世に生まれるときに病体をもって生まれるか、甚だしきに至っては身体障害者として生まれ、あるいは長生きしない可能性がある。」(『ヒューストン法会での説法』)
「身障者は余りにも幸せになったら、業を返すことができなくなる。来世になって再び身体障害ができるかもしれない。」(『轉法輪法解』)
「大法弟子の今日の最も重要なことは真相を伝え、世の人々を救い済度することである。……身体障害者は政府が面倒を見ており、あなたは多く考えないでください。これらのことにあまりに執着すると、あなたに教えるが、あなたは修練できなくなる。」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』)