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『法輪功学習者の心身に変化が現れた実例』という本の出版経緯

2009-08-31 ソース:Kaiwind 作者:林暁能(口述)、强音(整理)

前書き

1999年1月1日、広東省蕉嶺県の法輪功補導分站が『広東省蕉嶺県法輪功学習者の心身に変化が現れた実例』(以下は『法輪功学習者の心身に変化が現れた実例』と略称する)という本を打ち出して、いわゆる実例を以って更なる多くの人に法輪功を修練させようとした。筆者はこの本の出版経緯をめぐって調査を行い、本に出た古賛聡さん(男性、73歳、取り締まられた蕉嶺県法輪功補導分站の元副站長)、林暁能さんら元法輪功学習者を取材した。インタビューに応じて、林暁能さんは本の内容と自分の体験が全く不一致だと次のように指摘した。

「私は林暁能と言い、今年の57歳、蕉嶺県飲用水会社のリストラ従業員である。1997年5月ごろ、血圧が高い私はよく頭痛がしていた。法輪功を学習すれば、病気に罹っても薬を飲んだり注射を受けたりする必要がなくなるという話を聞いて、私は法輪功を学習し始めた。その時、一心に血圧を下げようとした私は一生懸命に学習して、常に朝早く起きて煉功をし、夜に煉功を終えた後に『転法輪』を読んでいた。煉功の期間中、私は李洪志の「煉功者の功は自動的にウィルスと業力を消去する。薬を飲んで業力を体の奥に押さえ込んだだけで、身体を清めることができず、病気を治すことができない。この関を通過後、誰でも超人になる」という話を信じて、ずっと薬を飲まずに、高血圧を完全に治そうとしていた。しばらく煉功を続けていたら、頭痛が軽くなったような気がしたが、これは法輪功の効き目だと思って、薬を飲まずに引き続き煉功をし続けていた。

 1998年末に、私たちの県の法輪功補導分站の徐站長は私に、「上級機関はすべての学習者の煉功体験を書かなければならないと要求している。これは学習者のレベルアップにプラスになり、同時に法輪功を伝え、更なる多くの人に学習に参加させることもできる」と私に言った。私は書けないと断ったが、「いつから法輪功を学習し、学習して体調がどのように良くなったことだけを書いてすむ」と勧めてくれたため、私は承諾した。家に戻って、私は妻にこの事を話したが、妻は「あなたはたまに頭痛がしているため、血圧が疑いなく正常になっていない。体験談を載せたら笑いの種になる恐れがある。書こうとしても、確かに良くなった後にするほうがいい」と注意してくれた。妻の言ったことは道理に合っていると思って、私は書かないことにした。二週間経って、徐站長は私の家を訪ね、体験談ができたかどうかと聞いた。できていないと私は答えたら、彼は一篇の完成された体験談を取り出して、私に見せながら、「異議がなければサインしてください」と言った。当時、体験談に「1997年5月に大法と縁があって法輪功を学習し続けてきた。今になって疾病が消え、頭脳が明晰で、精力が旺盛である」と書かれたことを見て、「自分は病気が少しよくなったが、まだ消えていない。このように書いてよくない」と指摘した。徐站長は「少し大げさに書いて、人々に法輪功の効き目を信じさせ、みんなに学習させるならば、、社会と大衆に幸福をもたらすと同じだ」と説明してくれた。これを聞いて、私は黙って署名した。こうして、私の体験談は『広東省蕉嶺県法輪功学習者の心身に変化が現れた実例』

という本に現れた

その後、私は引き続き法輪功を学習し続けてきた。1999年3月のある日、頭がひどく痛くなり、妻が病院へ検査に行ったほうがいいと勧められたが、私は法輪功の学習者なら病院へ行く必要がないとあくまでも守り通した。妻はどっちみち行かなければならないと承知せずに、無理やり私を県の人民医院に行かせた。看護婦さんは私のために3回にわたって血圧を量った後、「あなたの血圧が非常に高いため、お医者さんに処方箋を書いてもらって薬を飲まなければならないと言った。妻は私を連れて病院の傅先生のところに行って、降圧剤の処方箋を書いてもらったが、傅先生に「今度はタイムリーに治療しなかったら、命を失う恐れがあると言われた。法輪功を学習した後、自分の血圧が全く下がっていないどころか、命でさえ失われるところだったと私はようやく分かってきた。

この事があって、私は心中の矛盾が大きくなってきた。学習者なら病気になっても薬を飲む必要がないと言われたのではないか。敬虔に煉功をしたり法輪功を学習したりしてきたのに、自分の高血圧が相変わらず下がらないどころか、かえって命でさえ失われるところだったと自省した。その後、私はお医者さんの処方箋に従って薬を飲みながら、とぎれとぎれに法輪功を学習していた。1999年7月に、政府の関連部門は通知を出して、法輪功の学習をしないよう呼びかけ、続いて法輪功を取り締まることを正式に宣言した。その時納得できなかっが、やはり会社の責任者や同僚の忠告を聞いて、法輪功の学習を止めた。テレビで北京の天安門で発生した法輪功人員の集団的焼身自殺事件を見た後、私はようやく分かってきた。その時の気持ちというと非常に驚いた一方、ラッキーだったと私は思った。一方、驚いたことには法輪功人員がいわゆるレベルアップや「圓満」を求めるために自分の命を投げ捨てることでさえ厭わず、さらに王進東や劉雲芳、劉思影ら法輪功人員が自分の生命をも「大法」に捧げたのに、李洪志に認められなかった。他方では、ラッキーなことには、自分が会社の責任者や同僚の忠告を聞いて、タイムリーに法輪功の修練を止めた。さもなければ、引き続き法輪功に溺れていけば、自分もきっと焼身自殺などの破滅への道を歩むに違いない。出版された本のことを思い出すと、いわゆる「真?善?忍」を言い触らした法輪功が影響力の拡大などの目的を達成するために、法輪功の学習者に事実を無視させ、煉功の効果をでっち上げたことはまさに自己矛盾を来たしたのではないかと思った。このほか、李洪志が「法輪功には組織がなく、散漫な管理を実行する」と繰り返して言ったが、本の出版でさえ、市の法輪功補導站が指令を出して、県の補導分站が組織実施した。これは法輪功に組織があるということを物語ったのではないか。1999年3月、妻に病院に連れられて、治療を受けなければ、私はとっくに他界したに違いない。いま考えれば考えるほど私は怖くなる。

(Kaiwind.com, 2009-05-19)

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