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私の知っている法輪功の内幕

2009-06-17 ソース:Kaiwind 作者:白野

私は白野と言い、今年32歳、長春市漢方医学院の本科卒業生で、長春市朝陽区宇の光家族区に住んでいる。実はこの文章を書いて、皆さんと交流できたのは長いこと思い悩んだ結果である。皆さんはぜひ誤解しないでください。私は邪教法輪功への認識が不徹底ではなく、本当に邪教法輪功と再度巻き添えを食いたくないからである。

一方、この邪教組織と李洪志に騙され、命でさえ失った人々に比べれば、私はラッキであった。他方では、私は不幸な人間でもある。17歳の時に法輪功を学習し始めてから、今日に至って、すでに15年も経ったが、自分の人生も15年間にわたって無駄に流れ去ってしまった。

1993年から、全国各地では気功のブームが盛んになってきた。さまざまな気功は現れたが、真偽が区別しがたいものであった。当時、大勢の人々と同じように、私もまったく区別も選択もせずに、情熱と衝動で気功を練習し始めた。私は病気を治し、体を丈夫にするためではなく、仏や神仙になれるといわれる、根も葉もない結果および多くの気功組織に宣伝された特別な功能を追求しようとしたのである。しかし、非常に不幸なことには、当時私が選択したのはなんと邪教の法輪功であった。これは私の人生悲劇の始まりとなった。最初に、法輪功はほかの気功との根本的な区別があまりなく、すべてが何がなんだかははっきりせずに発展してきた。1999年4月25日に「中南海への包囲攻撃」事件が発生した後でも、私の貪欲な考えも取り除かれていなかった。

私は引き続き邪教法輪功の道を歩み、自分の悲劇を繰り返していた。2001年になると、私はすでに邪教法輪功という違法組織のメインメンバーとなり、直接に北米にある法輪功本部と連絡し、指示を受けることができるようになった。これは2001年前後の国内ではめったに無い例であり、このクラスに入った人はわずか20人以内だったと思う。私は一部の内部機密や運営方式ひいては一部の資金繰り等の財務管理に接触したチャンスがあった。実は思いもよらないことが絶えず発生し続けた。2001年1月23日に、「天安門事件」が発生してから、私は初めて法輪功の手段が正当であるかどうか、法輪功の性質の正邪などを考え始めた。しかし、私の懐疑的考えがまもなく周りの雰囲気や自分の貪欲によって左右されたり、誤魔化されたりしてしまった。私は自分をも他人をも騙していた。このような状況が2004年8月まで続いていた。その後、私はようやく法輪功のつじつまの合わないところや現象及び一部の回避できない問題を正視し始めるようになった。考え方を転換する過程においては、誰にしても、邪教法輪功の関係現象と問題を正視することができるなら、簡単にできると思う。これは最も重要なキーポイントでもある。法輪功への正視によって、私の考えかたが次第に転換してきた。予想通りにすべては静かに変わってきた。自分が知っていることはほかの人より多かったからである。私の場合は、他人の説得などが必要でなく、自分は回想しながら、絶えずに邪教の特徴や邪教特徴の識別を論述する佛教の『楞厳経』と比較して、次第に法輪功がまったく完全な邪教であることがはっきり分かってきた。自分が10数年にわたってこの邪教のために命を顧みずに「努力」してきて、大切な青春を無駄にしてきた。

現在、誰かが法輪功や李洪志のことに触れると、私はかんかんになったり、大いに悩み煩ったりしてしまう。法輪功や李洪志を思い出すと、私は悩んでいるだけでなく、いやらしく思い、怒りを抑えることができなくなってしまう。私が理解できないことには、李洪志が1996年に米国に移民し、お金もたくさん儲かったが、中国国内で一体何をしようとするのか。私たちのお金を騙し取ってから、私たちの命をもとろうとするのか。いつも「真善忍」を口にした彼はなんと陰険な者で、なんて悪辣な下心だろう。

次に皆さんに私の体験談をいくつか紹介して、法輪功のいわゆる「真善忍」を分析してみよう。

たとえば、2001年の大晦日の日に「天安門事件」が発生後、「法輪功北米仏学会」の中で大陸との連絡を担当した責任者は私とインターネット上でこのことについて話し合ったが、時間は大晦日の夜12時ごろであった。私たち二人は法輪功の人員がやったと見ていた。その後、私は一人の新疆大学の講師を務めた同志(当然のことで、私は彼の名前を漏らしたくない。もし誰かがその証拠を求めようとすれば、私は当時の経緯について詳しくご紹介してあげる)と会った際、彼は次のように説明してくれた。当時、彼らは法輪功のウェブサイト明慧の指示を受け、河南省開封市を訪れ、地元の邪教法輪功組織の人員と接触して、「焼身自殺事件」に参与した7人が法輪功の人員であるかどうかを調べた。

後になって、私は北京で一人の吉林建工学院の講師と会い、当時ウェブサイト明慧の派遣で開封市を訪れた人員が一団だけでなく、彼もためになる資料を取ろうとして、ビデオカメラを持ってもう一人の長春市の法輪功学習者と一緒に開封市を訪れたことが初めてわかった。彼らは着いた後調査をしたが、結果としては、なんと信じられないほど、「焼身自殺」事件に参与した7人の中心人物がみな法輪功の学習者であった。彼らは調査結果をウェブサイト明慧と「法輪功北米仏学会」に報告したが、さらに彼らを驚かさせたことには、なんとその後の記者会見で、いつも「真善忍」を言い張った法輪功組織がこの事実を否定し、全世界に向かってうそをついた。これに対し、彼らもどうしたらいいかわからなくなり、みんながこの事件を正視できなくなって、話題を避けるしかなかった。

次に「北京通州の棄てられた死体事件」を挙げてみよう。最初にこの事件に関するビデオを見た時、私は断固として「作り話だ」と思った。しかし、一人の友人と会ったが、彼の話によると、参与者の一人として、その死体が彼の手で包まれた。彼はまた当時の状況や自分たちの考え方および彼ら6人がどんなタイプの自動車に乗ったかについて紹介してくれた。不幸なことには、彼に言われた6人がみんな私の知り合いで、しかもともに面識があり、中でも長春生まれの人が2人いた。

実はよく考えてみると、多くの場合、多くの場所で、李洪志と彼の邪教法輪功組織は早くに自分の言い触らした「真善忍」に公然と背いていたが、もし私たちがよく考えた場合、このような大きなペテンにかかったことがないだろう。

(凱風、2009年3月23日)

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