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私が目撃した「海南重大交通事故」

2009-08-03 ソース:Kaiwind 作者:廖黎明

私は廖黎明と言い、今年38歳、大学卒業、海南省海口市在住、海口市法輪功指導站濱海分站の補導員を担当し、李洪志のへ理屈と邪説にマインドコントロールされて、法輪功組織の違法犯罪に参与し、刑法を犯したため刑罰を下された。往事を思い出して法輪功によって私にもたらされた害は一つ一つ歴然と眼前に見えてくる。幸いなことには私が牢屋に入って刑に服している間に、再度自我探しができ、法輪功との関係を断ち、きっぱりと心を改めた後、身の回りの物事や家族、同僚及び友達をいっそう大切にするようになった。特に「海南重大交通事故」を経験したことがあったため、これをきっかけに、法輪功に疑惑を抱き、徹底的に目覚め、李洪志の醜い面構えをはっきり見分けることができた。私がここで再度往事をむしかえして、事件の真相を指摘し、李洪志のトリックを暴きだし、さらなる多くの人が騙されないためである。

1988年7月4日午前10時ごろ、大雨の中、海南省東線高速道路の万寧から陵水までの線区で大きな交通事故が発生した。海口から三亜行きの一台の海馬マーク小型乗合自動車は1台の大型バスと衝突して、車に乗った8人のうち、7人が死亡し、もう1人が重傷を負った。これは海南省の法輪功学習者らを驚かせた海南重大交通事故であった。乗車した8人はみな海口市の法輪功の中堅メンバーで、「弘法」のために三亜市へ向かっていた。

事件の原因としては、海南省法輪功補導本站が李洪志の指示に従い、毎年1回か2回に分けて全省法輪功学習者法会を組織し、毎回の法会が1ヶ月前に準備をし始め、まずは学習者の中で原稿を募集し、それから本站の審査を経て、最終的に法会の発言者や原稿を確定した。各市や県の法輪功補導分站も本站のパターンで各形式の小型法会を組織した。1998年6月に、三亜市法輪功補導分站は7月初めに学習者「弘法」法会を開催し、市の各地で大法学習や伝法に精進した学習者が参加すると同時に、海南省補導本站から中堅メンバーを招聘して、功法指導や交流をしてもらうことにした。当時、海南省法輪功本站の主要なメンバーに蒋暁君、陳勇、楊春淮、鄭瑞馨、閔謙、宋岳勝、蘭恵芬の7人がいた。7月4日に交通事故に見舞われた8人は海南省法輪功本站の站長である蒋暁君と副站長である陳勇について三亜市へ「弘法」法会に出席する法輪功の中堅メンバーであった。

実は7月4日に7月4日に、三亜市へ「弘法」法会に出た法輪功の主要なメンバーは合わせて13人で、2台の車に分乗していた。事故を起こした海馬マークの小型乗合自動車は海口市濱海分站の指導員である宋林沢が運転し、車に海南省補導本站副站長の陳勇や海口市農墾分站長の許峰、海口市人民公園分站長の鄭瑞馨及び農墾分站の補導員である張一軍などの8人が乗っていた。重傷を負ったのは海南省農墾総局の従業員である張一軍であり、彼は切断手術を受けた後幸いにして生き残っている。もう1台の車は海口市濱海補導分站長である楊春淮の自家用車であり、彼が運転し、車には海南省補導本站長の蒋暁君や海口市瓊山分站長の蘭恵芬などの5人が乗っていた。

私は1997年初に初めて法輪功に接触した。当時私は電話で長春気功研究会の電話を見つけ、更に同研究会を通じて海南省補導本站長である蒋暁君の電話を知った。連絡を取ってから、蒋暁君は私の住所近くにある四海公司補導站の補導員である趙愛華を紹介してくれた。その後、私はよく四海公司補導站で煉功をしていた。その間、私は趙愛華の夫の楊春淮と知り合った。楊春淮は私に学問があり、一所懸命に煉功をしていると思って、私に濱海分站の補導員を担当させた。よく集中して煉功をし、各地で学習者を指導したり交流を行ったりしたため、私は海口市の法輪功学習者をわりと知っていた。交通事故に遭った8人は私がみな知っており、中でも濱海分站の補導員である宋林沢は常に私と一緒に、楊春淮に儋州市や白沙県などへ派遣され、現地の法輪功学習者の指導に当たっていた。

出発する前夜、海口市法輪功の主要なメンバーはそれぞれ蒋暁君と楊春淮の家に集中して法を学ぶ同時に、三亜「弘法」法会に出席する期日や人員の配置について相談していた。濱海法輪功の主要なメンバーは、毎週の土曜日に必ず站長の楊春淮の家に集中して法を学び、7月3日の夜に楊春淮の家に集中して法を学んだ法輪功の主要なメンバーが10数人いた。会議の席上、本站が精進した主要なメンバーを三亜「弘法」法会に派遣することに接し、これはレベルアップに絶好なチャンスだと思って、私も参加したいと申し込んだが、楊春淮は乗車する人が決まっており、それ以上乗れないと答えた。7月4日に私は澹州市へ行って、法輪功学習者を指導したり、体験交流をしたりしていた。

「海南重大交通事故」発生後、このニュースは急速に海南省各地の法輪功学習者の中で伝わり、人々の心がびくびくしていた。李洪志はまじめに修練する弟子なら必ず彼の法身の保護を受け、いかなる生命に関わる危険がなく、修練に精進すれば長生きし、誰でも「白日飛昇」ができると言っていたが、今こんなに多くの法輪功の主要メンバーが亡くなり、李洪志がまったく彼らを保護することができなかった。麗しいうそは反論しなくても事実の前に自滅した。その後多くの法輪功学習者が煉功をしなくなった。7月5日になって、私はこの交通事故を知った。楊春淮は電話で私に事故の経緯を教え、それに宋林沢等8人の学習者が「圓満」したと言った。その時私も心の中で疑いを抱いていた。

蒋暁君はこの事情がまずいと思って、慌ててすぐ李洪志に電話をかけたが、李洪が国外にいたため、連絡を取れなかった。そうすると、蒋暁君は「法輪大法研究会」の王治文に電話し、彼を通じてこの交通事故を李洪志に伝えた。李洪志はこのことに接し、海南省法輪功学習者の気持ちを落ち着かせるため、7月5日に、蒋暁君当てに直筆のファックスを出して、手紙の中で「私達の多くの学習者は異なるレベル、異なる天国から来ており、目的は形式に拘らずに宇宙大法を同化させることにある。圓満の時、彼らの世界では肉体を要しない特徴があるため、圓満方式が違ってくる。大法弟子の中で法輪の世界に行く人だけ転化した肉体を持ちながら圓満に達する。師父は君たちの心を知っており、実は君たちが私の手紙を受け取った時、私の8人の弟子はすでに異なった彼らに属する世界で圓満になった」と書いていた。

蒋暁君は自らそれぞれの煉功点を回り、李洪志の直筆の手紙を読み上げて、学習者を丸め込み、マイナス的影響を回復しようとした。法輪功の学習者らは教主に崇拝し、法輪功のへ理屈と邪説に害されたため、李洪志の話を疑わずに、意外にも彼の「圓満説」を深く信じていた。たとえば、宋林沢の兄である宋岳勝(鄭瑞馨が死んだ後、宋岳勝は海口市人民公園補導分站長を引き継いだ)は弟の惨死を見て、悲しまないだけでなく、喜んだり羨んだりして、弟の圓満を誇りに思っているようであった。

うそは真相を覆い隠すことができないに違いない。

(Kaiwind.com, 2009-05-31)

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