●李樹林は遼寧省錦州市石化会社の法輪功学習者。1994年8月にはるばるハルビンへ李洪志の「説法」を聞きに行き、説法の途中で突然脳血栓が発病して倒れた。彼の親族は何度も李洪志に功を発し、治療してくださるよう求めたが、李洪志は煉功による正常な反応で、注射したり薬を飲んだりする必要はないと答えた。その後、タイムリーに救われなかったため他郷で死んでしまった。
●劉鳳琴は天津郵便電信器材工場の定年退職者。法輪功を学習した後、自分が「常人」でないと思っていた。交通事故で大腿骨折になった後、断固として病院に行かなかった。彼女は「もう少しで大法が成就するため、入院させられるなら、頭を壁にぶつけて自殺してみまる」と言った。結局、病状がますます悪化し、1997年12月27日に死亡した。60才であった。死ぬ前に「師父、私を救ってください。師父!師父!」と叫び続けた。
●肖和梅は遼寧省鞍山駅の従業員で、リューマチに罹っていた。法輪功を学習してから、薬を飲まず、注射をしないようになった。かつて3回にわたり全身が浮腫んで、病院へ検査に行きたかったが、法輪功の鞍山補導站の副站長を務めた夫に制止された。1998年6月12日に病死し、42才であった。
●張金生は遼寧省阜新市の農民、法輪功学習者。1997年にうっかりして腕にやけどをしたが、これは李洪志が彼のために「業を消去している」と語って、治療を拒絶した。傷口の感染が悪化したため、敗血症になって、1998年11月27日に死亡した。21才であった。
●柏雲秀は湖南省衡陽市の定年退職の従業員、1995年夏から法輪功を学習しはじめた。1998年7月、柏雲秀が高熱を出し、娘は母を病院に行かせたが、彼女は断固として承知しなかった。12月10日に、柏雲秀は病状が急激に悪化したが、依然として自宅で座ったまま「師父」の「経文」を唱えた。どうしても我慢できなくなった後、夫に読経してもらったが、夫が読経しているうちに、柏雲秀はソファーに寝たまま死んでしまった。
●鮮東は海南省牙叉農場の従業員、かつて肝臓病のため入院して治療を受けたことがある。法輪功を学習した後、李洪志の「法身」に保護されていると信じ、薬を飲まず、注射をしなくなった。病状が悪化したため、1999年7月20日に死亡した。35才であった。
●王者興は北京歯車工場の定年退職者。1999年6月初めごろ、病気になって熱を出したが、彼はこれを「業を消去している」と思って、煉功し続け、病院に行かなかった。後で息子と娘達は無理やりに彼を病院に送ったが、彼は注射針を抜いて、治療を拒絶した。6月14日に病状が悪化して亡くなった。
●胡先知は四川省閬中市江南区白塔高校の教師。李洪志の話を至上の命令だと思って、膵臓炎を患った後、腹痛を堪忍して煉功を続けた。タイムリーに治療しなかったため、膵臓が壊死し、最後に死亡の原因となった。
●劉淑華は黒龍江省ハルビン市香坊区の公務員。法輪功を学習した後、肝炎が再発した時、家族は彼女に病院に行くように勧めたが、彼女は「診察したり薬を飲んだりしたら“次元”が落ち、修練が無駄になり、師父も加護してくれなくなる」と語った。1999年4月11日に、病状が酷くなって治療を受けずに死んでしまった。52才であった。
●許素珍は遼寧省の法輪功学習者。1997年から、春夏秋冬を問わず一年中、毎日9時間にわたり煉功し続けてきたが、依然としてリューマチに罹った。それにしても、彼女は治療を拒絶し、「これは師父が私のために業を消去してくれている。業が消去られたら、病気もよくなる」と思ってた。1999年6月2日に、危篤状態に陥って亡くなった。49才であった。
●胡広英は女性、上海市の定年退職労働者。2000年7月に、ごく普通の皮膚病である疥癬に罹った。法輪功におぼれたため、治療を受けず、半年後に死亡した。哀れむべきことには、同じく法輪功におぼれた彼女の夫である周立成は、依然として自分の妻が「昇天した」と思っている。