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絨毯に描かれた二匹の子羊の運命

2009-06-05 ソース:Kaiwind 作者:若水

私の中学校時代の同級生である李俊恒さんは包頭鉄鋼総合企業グループの経理助手を務めているが、現在は彼のことを老李と呼ぶようになった。90年代後期、老李がガールフレンドの趙海艶さんと結婚した。その時、李さんがまだ工場の技術員であり、新妻の趙海艶さんも包頭グループの一従業員であった。非常に喜んで彼らの婚礼に出席したわれわれ同窓生らはお金を集め、一枚の羊毛絨毯を買ってプレゼントしてあげた。その絨毯はとても広く、典型的モンゴル風で、一面薄緑となった草原模様をしたものであり、白雲が空を漂っており、その下には生き生きとした雪のような二匹の白い子羊が刺繍されていた。先日われわれ同窓生の集まりで、思わずこの羊毛絨毯のことに触れた時、心がひどく打たれ、悲しみがこみ上げてきた老李は一つの悲しい出来事を語ってくれた。

私にとって、2005年5月13日は一生忘れられない一日である。この日から私の家庭が徹底的に決裂しはじめた。同じこの日に私は妻への助けを放棄しようとした。私は徹底的にあきらめ、彼女と離婚しようと考え、妻が法輪功を修練してこの8年間に私の家庭にもたらした悪夢に終止符を打とうとした。

趙海艶は1997年から法輪功を修練し始め、しかも頑迷で非を認めようともしない。そこで私の家庭への災難はますますひどくなってきた。軽い皮膚病を患った妻は法輪功を修練して病気を治すことができると聞き、一度試してみようかと思って、法輪功を修練し始めた。月日が経つにつれて、妻が常にほかの学習者と一ヶ所に集まり、煉功しただけでなく、『転法輪』という一冊の本を勉強暗唱し、一緒に学習の成果を交流するようになり、それを「法を学ぶ」と言っていました。どうもへそ曲がりだなと思って、『転法輪』という本をめくってよく見てみると、ピンからキリまで常識はずれの怪しい話でいっぱいで、特に「李洪志」は自分をまか不思議な人物と煽てながら、「唯我独尊」の振りをしていた。

技術者として、私は知識を身につけており、科学を信じているため、自分の家庭ではこのような迷信邪説の氾濫を見過ごすことができるはずがないだろう。そうすると、自分の考えを妻に話し、直ちに修練を止め、特にいわゆる「大法」を信じてはいけないと勧めた。趙海艶はこれに一切耳を貸してくれず、逆に「大法」は宇宙の真理であり、自分が「大法」とは縁があり、誰でも破壊してはいけないと言い、さらに自分が学習者であり、師父が毎日自分のために身体を浄化してくれており、現在多くの業がすでに消去されており、一定のレベルに達していた。自分にとって大法の修練が一生変えられない志望だと強調した。私は妻の「法輪功」修煉に断固反対したが、妻はどうしても修煉を続けていかなければならないと堅持した。こうして私たち二人の間でシーソーゲームが始まり、もともと家庭に溢れた安らかさと幸わせは失われた。

1999年7月に政府が「法輪功」の取り締まりを宣言した後、今回は問題が徹底的に解決できるだろう。私の言うことを聞かなくても、国や組織の法令を聞いてくれるだろうと思った。妻の所属部門や労働組合の責任者は何度も彼女と話し合って、妻は口頭で修煉を止めると承諾した。ところが、その時は趙海艶がすでに「法輪功」におぼれてしまい、完全に「法輪功」の邪説にコントロールされたまま、自分の魂がなくなった。終わるべきな悪夢が終わらないだけではなく、かえって家庭はさらに深い淵に落ち込んでしまった。その時、よこしまなところから妻を救おうとして、私は思い切って、部屋の中を隈なく捜し、妻に隠された関連書籍や修煉用テープ等を全部出して、妻の前で煉功用テープレコーダーをつぶし、妻に宝物と見なされた『転法輪』という本を焼却した。このような行為を以って、妻にあきらめさせ、徹底的に「法輪功」と決裂させようとした。

「法輪功」を修練してから、趙海艶は家事をせず、子供の面倒も見ず、ひいては私たち夫婦間の性生活もなくなった。これぐらいなら我慢できるが、妻に再び「法輪功」を修煉することを絶対に許せないと私は思い、このことに対し私は少しも譲らなかった。これが人間としての最低限の準則だと私は思った。しかし、その日から妻は私と徹底的に決裂し、小屋に移し、私と子供の面倒を見なくなった。仕事があって、子供の面倒を見る余裕がないため、やむを得ず子供を母のところに送った。こうして、毎日二つの家を行き来していて、心身ともに疲れきっていた。

息子のことに触れると、数年前、つまり息子が満4歳になった時であった。当時、息子の外祖母一家はみな趙海艶の法輪功修練に反対した。息子の外祖母は「もしお母さんが煉功をやめないと、警察を呼んで捕まえさせよう」と息子に言った。外祖母が腹立ちまぎれに言った言葉であったが、息子はしっかり覚えていた。趙海艶が毎晩小屋に閉じこもって煉功を続けていたが、たまには息子が「警察の叔父さんがお母さんを捕まえにくるよ」と言い残したりした。ある夜10時ごろ、突然外からパトカーのサイレンが鳴り出した。息子はまた小屋に入って、「お母さん、警察の叔父さんが捕まえに来たよ」と叫んだが、その後ちっとも音がせず、出てくる気配もなかった。私はふと気が気でなくなり、小屋に突進した途端、ああ神よ、息子は首を趙海艶にしっかり締め付けられたため、両足が必死にベッドの縁を踏んで、もがいていたところであった。急いで妻の手から息子をもぎ取ろうとしたが、私は失敗した。あまりやきもきしたため、妻の顔を拳骨で殴り、再度妻の手からもぎ取って、ようやく息子を奪い取った。顔が真っ赤になった息子はわあと泣き出した。息子を抱いたまま私は非常に物寂しく感じ、「彼はお前の息子だよ」と妻に言った。しかし無表情な顔つきで、目の動きも鈍くどろんとした妻は、「滅、滅、滅、旧勢力が。滅、滅、滅、悪魔が……」とぶつぶつと呟いていた。妻をじっと眺めているうちに、体中に寒気がし始めました。神様よ、彼女が本当に私の妻かと、私は初めて恐れを感じました。

その後、私は息子を母の家に送ったが、帰宅のことに触れると、息子は不安に戦いてしまう。以前の活発さを失った息子が隅に隠れたり、ぼんやり考え込んだりしていることに気付いて、涙が思わず目からあふれ、趙海艶と離婚するかと私は躊躇っていた。やがて部門の責任者に呼ばれ、引き続き趙海艶を説得するよう言われた。町会事務所の幹部もたまにわが家を訪れ、妻への説得に当たっていた。こうして私はいささかの希望を抱くようになり、今日までつらい毎日を辛抱してきた。

現在、私はどうしても耐えられなくなった。5月13日、妻は3名の学習者を家に呼んで、一緒に練功をしていた。その日に出張で他省に行っていた私は家に戻って、家中乱れに乱れているまま、カーテンも細切れに引き裂かれた。さらに驚かされたのは絨毯に大きな穴が二箇所開いていた。よく見てみると、絨毯に刺繍された二匹の子羊が見えなくなり、二つの大きな穴と変わった。その時、妻が家におらず、あまり心配したため、私は急いで派出所に行って事件を届け出た。人民警察が調べに来た時、私の机に置かれたパンダの形をした筆立てと幾つかの息子の古い玩具が見えなくなっただけで、ほかに盗まれたものはほとんどなかったことが分かり、警察が行ってしまった。妻が帰宅した時、私は胸中に滾った怒りを抑えることができなくなり、「いったいどういうことか」と大声で問い詰めたが、妻は「いずれも悪魔と災難をはらったためよ」と憎々しげに言った。この絨毯は同窓生たちが結婚式のプレゼントとして贈ってくれたものなのに。妻はどうでもないという態度を見せながら、例の小屋に入ってドアを閉めた。穴が開いた絨毯を見て、私は心からあきらめてしまった。

聞いたところによると、5月13日はいわゆる李洪志の誕生日であった。妻と数名の「法輪功」に溺れた学習者は私が出張で家にいないうちに、私の家に集まり、「師父」の誕生日を祝った。妻の話では、近頃発功したら、何物かが自分の体の中をぐるぐる回っているとのことである。より高いレベルに達した一人の学習者は妻がある動物にとり憑かれたに違いないと断言した。これを聞いて、妻は非常に緊張し、ほかの学習者らに何とかして自分の身体に憑いた動物を除去してくれるよう求めた。そうすると、数名の学習者は一緒に正念を発し、妻の身体を清めると同時に、法身を以って悪魔を除去してくださいますよう、師父にも祈祷した。みんながやたらに忙しくして、妻はびっしょり汗をかいて、気楽になった。そのとき、妻は視線が絨毯に刺繍された二匹の子羊に集まった途端、疑心を起こし、さらに「身体にとり憑かれたものは簡単に離れない」という師父に言われたことを思い出して、ほかの学習者と一緒に部屋の中を探し始めた。結局、彼女たちは私の机に置かれた筆立てと息子の古い動物玩具を含むすべての「動物」を一箇所に集めた。飛鳥模様の付いたカーテン、子羊模様の付いた絨毯を目の前にして、妻はどうしようかとしばらく躊躇っていた。特に子羊模様の付いた絨毯は結婚式のプレゼントとして夫が大事にし続けてきたからである。その際、ある学習者は、師父がかつて「修して名利情を去り、成就して蒼穹に上る」と仰ったが、あなたは人情でさえ放火することができないのかと勧めた。そうすると、妻は悪魔を除去するために、鋏を持ってきて、これらの動物模様を全部切り取った。ひいては、師父への誕生日プレゼントとして、二匹の「子羊」を鍋の中に入れて煮だした。

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