私は高峻紅と言い、42歳、石家荘鹿泉市の獲鹿鎮に住んでおり、中国銀行鹿泉支店の一職員である。かつて法輪功におぼれた者だった私は教育志願者達に辛抱強く説得された下で、徹底的に法輪功のマインドコントロールから抜け出し、正常な生活を送るようになった。しかし私の友人だった梁麗華さんが運が悪く、不幸にも2007年に法輪功のへ理屈邪説によって貴重な生命を奪われた。
梁麗華さんの故郷は南方にあり、石家荘に嫁入りした後、スーパーマーケットの仕事に就いた。これまでは彼女の生活が豊かではなかったが、非常に幸せであった。1999年初に、彼女は身体検査の際、紅斑性狼瘡を患ったことがわかって、河北省第二病院、石家庄市和平病院等の大型病院で治療を受けていた。お医者さんに「この病気が根治し難いが、積極的に治療を受けたり、時間と分量どおりに薬を飲んだりしていけば、病状を抑えることができる」と言われたが、おぼれるものは藁をもつかむせいか、1999年6月に法輪功の学習を通じ、自分の病気を治すことができるといううわさを聞いて、彼女は本を買って学習し始めた。1ヶ月あまり学習していたら、政府が法輪功を取り締まった。彼女が臆病なので、最初に自宅に閉じこもってこっそり煉功をしたり、『法輪功』を読んだりしていたが、やがて李洪志の「外に出て大法を実証するよう」という経文に惑わされて、できるだけ早く「病気を完治させる」ために、彼女はあらゆる手を尽かして地下に潜り、再び法輪功の学習をした。
秘密裏に行われた小さな「法会」で私は梁麗華と知り合った。彼女はとても温和で善良な人だった。当時彼女が数部の資料を持っているのを見て、「外へ配りに行くなんてあなたにできるか」と彼女に聞いたら、彼女は「師父が言ったように、私達の業力が消え、全身に力がみなぎることができるなら、資料を配るどころか、昼間に大通を歩いても、自分の病気が法輪大法を学習したため完治したとすべての人に告げる覚悟がある。あなた達も学習しよう」と切に語った。彼女の話を聞いて、みんなはその意味が分かってにっこりとした。彼女とほぼ同じ性格を持っているせいか、初対面なのに古くからの知り合いのように、私たち二人は意気投合し、次第に何でも話すいい友達になった。
この「法会」の後、彼女はよく私とその他の数人の学習者を自分の家に誘って、「大法の学習」で体得したことについて話し合った。ある日、私達は次第に悪くなっている彼女の病気に言及した際、数人の学習者はみな、法を真剣に学び、資料をたくさん配り、誠意を持って修練していけば、体調が自然に浄化され、最後に圓満になるはずだと勧めた。みんなに勧められたため、彼女は「悟性」が高くなって、「以前は厳格に師父の要求に従っておらず、旧勢力に付け込まれたため、業力を返させられているかもしれない。特に薬を飲むかどうかについて、私はいつも躊躇っていた。今になって私はよく分かった。今後私は師父に言われた道を歩み、薬を飲んではいけない。師父や大法をかたく信じていく」と述べた。それから、彼女は薬を飲まずに、修練を通じて業力を消去して行こうと決心した。
2007年初秋のある日の午後、数人の学習者があたふたと私を見つけ出し、麗華の病状が思わしくないと言って、一緒に彼女の家へ見舞いに行こうと約束した。彼女の家に入ったところ、クッションを胸に抱えて息を切らしている彼女は全身が震えたり、しっかり両眼を閉じたりして、顔から大きな汗の玉が次から次へと落ちていた。しばらくすると、彼女はやっと目を開けて、私達と挨拶を交わした。彼女が非常に勝ち気で、我慢できるならば、このような様子を見させてくれないと私は思った。その時、彼女の夫(私達と一緒に法輪功を練習していた学習者)は妻がこんなに苦しんでいる様子を見るに忍びないため、「君は薬を少し飲んでみたら」と心配しそうに勧めた。彼女は力ずくで痛みを我慢し、「駄目だ。師父の要求に従わないと、師父は私の面倒を見てくれなくなる」と言い張った。私たちは彼女を励ますと同時に、大法をしっかり信じていない彼女の夫を責めていた。
しばらくの間、みんなは力を集中して彼女のために「正念」を発したが、麗華の病状が少しも好転していないどころか、かえってますます悪くなってきた。私達は人数が少ないため、エネルギーが強くないと思って、夜にさらに多くの学習者を彼女の家に集め、皆で「正念」を発し、エネルギーフィールドを拡大して、彼女を助け、今度の難関を乗り越えさせようとした。私達のばかげた行為によって麗華を救う貴重な時間が失われた。その時、誰もこのことを考えずに、皆師父の法身がきっと彼女を保護することをかたく信じていた。
夜になって、彼女の家に着いたところ、彼女は顔色がすでに土気色になったり、血の気が失せたりして、呼吸も困難になった。彼女の夫は自分がどうしようもないため、120番を回したと言った。このような状況を見て、私達もためらってきた。私は彼女の頭を自分の肩にもたせかけて、彼女を少しでも楽にさせようとした。当時、私は自分の感情をほかの学習者に見させたくないために、必死に涙を抑えていた。しばらくしてお医者さんがやってきたが、一応検査した後、みんなで彼女を担架の上に持ち上げた。あまりにも痛んだ彼女を寝かせることができないため、私は自分の腕を彼女の頭に当てたまま、救急車に乗って病院へ行った。途中で私は「師父が保護してくれるため、この生死の難関を乗り越えると、大丈夫になる」と小声で彼女を励まし続けた。しかし、彼女はひと言でも口に出せなかった。
一時間あまり経って、応急手当室の扉がようやく開いた。私達がやきもきしながら扉の中へ割り込んだが、意外にお医者さんは私たちを止めずに、ただ頭をしきりに振りながら、後の事を準備してくださいと私達に言った。心臓監視用モニターのスクリーンに直線が現れたが、私達はみなこの現実を受け入れようとしなかった。お医者さんは「規定に従い、死体が霊安室へ運ばれることになるが、どう考えているか」と私たちに聞いた。その時、一人の学習者は自分がウェブサイト明慧で神跡に関する物語りを読んだことがあり、「正念を発する」ことで、起死回生ができると小さな声で私達に言った。彼女の話を聞いて、私たちは再度望みが湧いてきて、この方法で試してみることにした。すると、皆で一台の車を借りて死体を彼女の家に送った。
私達はよってたかって早々と麗華をベッドの上に持ち上げた後、下敷きを敷いたり、あぐらをかいたりして、「正念を発し」、「神跡」が現れ、彼女が私達の強大な「エネルギーフィールド」の中で蘇ってくることを望んでいた。しかし2時間余り経って、蘇る兆しがちっともないだけではなく、逆に麗華の死体がだんだん硬くなってきた。一人の経験のあるお年よりの学習者は経帷子を着かせないと間に合わないよと言った。そうすると、私達は失望しながら、彼女に経帷子を着かせた。私は彼女の首にぶら下がった「法輪大法がすばらしいという一念だけを考えると神様が平安を賜る」と書かれたお守りを取った時、「師父の法身がいったいどこにいるのか。気の毒な麗華を保護しなかったのか。麗華はこのように世を去って圓満になったのか」と心の中で矛盾を感じた。その時、みんなも麗華がきっと師父の要求どおりに学習せずに、病気ばかりを考えたに違いない。ただし、彼女が最後まで依然として大法をかたく信じていたため、師父が彼女に合理的なポジションを手配するだろうと取りざたしていた。私達が麗華の家を離れた時、すでに深夜12時過ぎだった。
現在でもこの事を思い出すと、私はうしろめたい気持ちになってしまう。麗華の死において、私も回避することのできない責任があるからである。今になっても自分が法輪功の泥沼に深くはまり込まれ、自ら抜け出すことができなかったことを悔いたり、自分の当時の愚かさと無知さを恨んだりしている。私は自分たちがずっと李洪志のでっち上げた美しい嘘の中で生きていたことを哀れみに感じている。更に悲しいことには、麗華がこの美しいうそのために、自分の貴重な生命を失った。
(Kaiwind.com, 2009-06-23)