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白玉華:母の愛と学習者の死で私は徹底的に目覚めた

2009-09-23 ソース:Kaiwind 作者:白玉華

私は白玉華と言い、女性、1961年2月の生まれ、中学校卒業、遂寧市紡績捺染工場の元従業員であり、遂寧市凱旋中路37号3号ビル3ユニットの8階に住んでいる。私にとって法輪功の学習は生涯における最もばかで、恐ろしくかつ苦痛な経歴と永遠な悲しみである。私はもともとこの話に触れたくないが、自分の経歴を戒めに、より多くの法輪功学習者が李洪志のペテンから脱却し、私と同じように幸せな生活を送るようになることを望んでいる。

父に早く亡くなられ、家庭生活がわりと貧しかったため、私は中学校を卒業した後高校へ行けなかった。しかし私は読書が好きで、特に『読者文摘』という雑誌が大好きで、合本を含め、毎号必ず購読し、雑誌に掲載された偉人および彼らの事績を読んで、彼らを敬慕していた。いつか自分も彼らのように高度な知恵や上品な言葉遣いを持ちたいと渇望し、才能がなく、平凡で俗っぽい女になりたくないからである。

1998年8月30日に、ロックマシンを売りさばくために、私はもともと同僚で後に遂寧市の法輪功補導站の副站長となった廖俄生の家を訪れた。廖俄生夫婦は「私達は現在法輪功を学習しているため、注射を受けず薬を飲まずに、体が自然に良くなり、トレーニングマシンで体を鍛える必要がない」と言った。法輪功について私は少し知っているが、不思議に思っていた。よく言われるように、人間が五穀を食べるからには万病になる。病気に罹るのは自然な現象であり、注射をせず、薬を飲まない人がいないはずである。こうなると、治療を遅らせば遅らせるほど病状が重くなるのではないか。

戸惑いを抱いたまま私は隣人の厳学碧の家を訪れた。厳学碧は「法輪功を学習するならば、病気治療や健康維持だけでなく、道徳のレベルアップができ、「真?善?忍」を追求する善い人にもなれる」と述べると同時に、胃病を患っている自分が法輪功を学習して全快し、その後薬を飲んだことが一度もないと説明した後、『転法輪』を取り出して見せてくれた。本を開くとその第一講に「本当に高い次元へ人を導く」が書いてある。「高い次元?これはまさに私が長年にわたって追求しているものではないか」と考えながら、私は大喜びし、すぐ12元で1冊買った。やがて、私は『法輪功義解』や『中国法輪仏法』、煉功用座布団、録音テープなどをも買って、煉功をしたり、真剣に読んだりし始めた。

まもなく私は『転法輪』を全部暗誦できるようになり、しかも李洪志に宣揚された「真?善?忍」や「法身加護」、「遥視能力」、「宿命通能力」および「圓満」を深く信じていた。毎日家で法輪功の本を真剣に学習したり、修練したりするほか、犀牛広場へ練習に行って、他の学習者と同じように、通行人に法輪功を練習する利点を宣伝し、いわゆる「弘法」を行って、「高次元」に達し、自分のの運命を変えようとした。

法輪功の「不二法門」という説の影響を受けて、1998年9月7日に私は自分が収蔵した本を全部売り払い、法輪功の本だけを読むことにした。売り払われた本は教科書のほか、中国の四大名著、『朱自清散文集』、『若きウェルテルの悩み』、『ジェイン?エア』、《三銃士》など、全部すばらしい本であり、もちろん最も好きな『読者文摘』も含まれた。これらの本は二台の三輪車に積み込んだが、140数元で売った。

1999年7月、政府が法輪功を取り締って、邪教組織に位置づけた時、私はすでに工場の仕事を辞めた。ある日の夜、母は私に「政府が法輪功を取り締まっため、やめたほうがいい。自分にふさわしい職を探して、自分を養ってね」と勧めた。しかし母の話を聞き入れず、私は依然として自宅でこっそり修煉を続けていた。

2001年11月末、私と厳学碧が遂寧市法輪功補導站の副站長であった廖俄生の家を訪れた。廖俄生は「政府が法輪功を取り締まったが、これは師父やわれわれ学習者にとって不公平であり、我々は大法を発揚し、圓満を追求し、高い次元に達しようとすれば、待たずに努力しなければならない。生死を放下し、執着心を除去し、外に出て真相を明らかにすべきだ。棚から牡丹餅ということはありえない」と言った。

私達は厳学碧の家を資料の集散地にして、毎日グループと時間に分けて彼女の家から資料を持ち出し、自由市場や野菜市場、犀牛堤、霊泉寺など、行き来する人が多く、脱出しやすいところで配ったり貼ったりして、いわゆる真相釈明を図ろうとした。

2005年6月23日に母が病死したが、いまわの際、母は「ほかに心配事がないが、安心できないことはあなたの法輪功学習だけだ。続けてはいけない。法輪功が人を害するものだから。政府に許されないことをしないでね。これをしっかり覚えておきなさい。承諾してくれるか」と言った。

母に死なれて、私は非常に悲しく、長い間に「子が養いたいが、親は待ってくれない」という苦痛な状態に陥っていた。母の話が耳に残っているため、私は続けるかしないかに悩まされていた。

ところで、法輪功をやめたのは厳学碧が死んだからである。

2005年9月、胃癌の末期になったため、厳学碧は家族に無理やりに病院へ送ばれた。見舞いに行った時、やせて骨張った厳学碧は私に、「師父は私を見捨てた。他人を加護するが、私を顧みなくなった」と言った。やがて厳学碧は苦痛の中で亡くなった。

厳学碧が亡くなって、私の心が大きく揺り動かされた。彼女は私より早く法輪功を学習し、しかも心を込めて学習し続け、ひいては死ぬまで放棄せずに、弘法のために自宅を資料の集散地に使っていた。このような弟子に対し、李洪志の法身加護はまったくないのではないか。これもいわゆる圓満であるならば、私達にとって本当に必要なのか?

私は急にわかってきた。なんといわゆる「法身加護」や「圓満」、「高い次元」及び「修煉」はいずれもウソである。自分が修煉を通じて運命を変えようとしてきたが、むだに終わるに違いない。私は非常に悲しくなり、憤慨後悔している。長年来、自分が騙されたままずっと幻の中で生きてきた。したがって私は法輪功と徹底的に決裂することにした。

現在、私は夫と一緒に「中意如意清掃会社」を創って、毎日会社の業務に没頭しているが、幸福感と満足感に満ち溢れている。

(Kaiwind.com, 2009-07-01)

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