前書き
2002年3月1日、新疆の法輪功学習者である林春梅と温玉平は他人を済度するために、陝西省咸陽市西蘭路長距離バス停留所に逃げ込んで、バス停の南にある鴻賓旅館の29歳のウェイトレス買新萍さんをナイロンの縄で殺害した。この事件はもともと李洪志のへ理屈と邪説に惑わされて法輪功に溺れた学習者が人間の生命を奪った証拠であるが、法輪功のウェブサイト明慧は事件発生後、何度も論評を掲載して、事実を歪曲し、犯人が法輪功学習者であることや李洪志のへ理屈と邪説が今度の惨劇をもたらした誘因であることを否認し、ひいては死刑判決を執行された犯人林春梅が死んでおらず、中国政府に隠されているとデマを飛ばしていた。法輪功のデマを暴露するため、筆者が無期懲役を言い渡され、陝西省女子監獄で服役している当事者温玉平にインタビューした。温玉平は自分の痛ましい経歴で法輪功のコマンドコントロールや邪教の殺人本質と犯罪行為を告発し、李洪志がこの惨劇の裏に隠れた主犯であると鋭く指摘し、次のように述べている。
私が法輪功を学習したきっかけ
私はもともと幸せな家族を持っていた。両親は新疆アクソ地区の輸送管理センターで、兄と弟はクラマイ石油公司でそれぞれ働いている。私はある建築会社で働き、最初に材料係を担当していたが、後に会社の派遣で二年にわたってアクソ財政貿易学校で育成訓練を受け、主に材料工程予算を専攻してきた。最後に自学で国の管理部門から技術員証書と施工証書を獲得し、会社の指示でよく施工隊を率いて工事を行い、施工管理を担当していた。
私は仕事の面でますます業績を上げていると同時に、甘い愛情にも恵まれてきた。夫は身長1.84メートル、アクソ文工団のハンサムな俳優である。一目ぼれした私たちは結婚してから、仲がとてもよかった。後に可愛い娘が生まれ、家に喜びの雰囲気がますます満ち溢れてきた。ところが、自分の家のためにすばらしい未来を考えているうちに、夫がこっそり麻薬を吸っていることは分かった。その時、天候の良し悪しを問わずに、私は年中グループを率いて地方へ施工に行き、規律正しい生活ができないため、体がますます悪くなり、胃病と関節炎を患い、日増しにひどくなってきた。したがって気性が激しくなり、三年余りの間に夫と離れたり和解したりしていた。結局、1995年に私は堪忍袋の緒が切れて夫と離婚した。その年娘が7歳であった。後になって私は会社を辞めて転業し、鉄道工事を背負っていた。その間に鉄道部門の臨時雇いのドライバーである、現在の夫と知り合った。再婚後、私たちは仲が悪く、よく喧嘩をしていた。私はよく声をかけずに外出したり、思いのままにしたりしていたが、彼は私のことに口を鋏ことを憚っていた。
私は早く李洪志の教えを直接に受けた大法弟子の一人である。1992年10月ごろ、私はウルムチ鉄道局で施工をしていたが、工事が一段落着くと、よく同僚と一緒に他の省へ観光に出ていた。ある日、私が数人の同僚と長春を訪れた際、同僚たちは「李大師」という人の講義がすばらしく、彼に教わっているが、体によく、自分の胃病や関節炎などの病気を根治することができた。非常に不思議だと議論していた。最初に好奇心にひかれて、「李大師」の講義を行う場所を探し当てたが、学校のような所であった。ステージに立った「李大師」は幾つかの身振りをしたり、立禅と静功に関する要領を説明したりして、「この功を学習すれば、体が健康になり、多くの病気を根治できると同時に、家族にもプラスになり、すべての災難を避けることができる。善い人は一生涯平安になる」と述べた。私たちは「李大師」の講義を受けた後、それぞれ15元で法輪功に関する本や動作を練習するための絵及びその他の資料を買った。私たちは長春で一ヶ月あまり滞在した間に、「李大師」の講義を三回受けた。帰った後、私はこれらの本を真面目に読み続け、面白いなあと思ったが、本に書かれた内容に対し、半信半疑であった。
私が本格的に法輪功を学習したのは1996年であった。再婚後、家庭が有名無実で、体の調子がますます悪くなったため、私は自分の夢を法輪功に託した。最初に自分が法輪功の本を読みながら、自宅で練習したが、後になってウルムチ広場で集団的に法輪功を修練するグループに参加し、広場のアナウンスについて学習し、他の学習者と一緒に李洪志の「経文」や「洪吟」を暗唱し、互いに「切磋」しあった。毎日のスケジュールは基本的にいっぱいとなり、五つの時間帯に分けて、時間通りに二回にわたって「正念を発し」、祈祷のように自分の祈願を考えでこめて、法輪功の学習を妨げるすべての障害を取り除いたり、邪悪を除去したりした。こうして自分の信仰を実現しようとした。その時、私はあまり出勤せずに時間や力を法輪功の学習に集中していた。同時に、私は鉄道部門の労働者と農民労働者を扇動して法輪功を学習させ、彼らに法輪功の恩恵を説明してあげた。
李洪志「師父」に言われた「圓満」に関するイベントに参加するために、私は毎日徒歩で30キロ歩き、耐力と意志を鍛え、いつか「師父」に私を先に「済度」してくれることを望んでいた。1999年4月23日、私たちは知らせに接し、「師父」が北京を訪れ、先に一部の学習者を「済度」するということで、私たち10数人はアクソから北京に向かった。皆は「師父」の話を聞きながら、自分がどの程度まで「大法」を悟り、「圓満」に達することができるかどうかを確認していた。後になって、新疆の各地から法輪功補導站の站長がみな北京を訪れ、約400人あまりであった。「4?25」の日に、黒山のような人だかりがした法輪功の学習者は北京の広場辺りに集まり、静坐煉功した。「師父」は私たちに政府を糾弾し、仏と悪魔の力比べをし、騒ぎを起こすよう指示した。当時、静坐をした多くの人は「師父」の「法船」が見えたと言った。私はずっと目を見張ったが、終始見えなかった。疑っていたが、その場で明らかにしたり、思ったことを口に出したりする勇気がなかった。
北京に行ってから、私はいっそう積極的に「弘法」に参与し、常に大きな補導站で活動し、自分の稼いだお金で法輪功の学習者のために資料や法輪功の本を買ったり、補導站にパソコンを提供したりして、このような「精進」した態度で「師父」に認められ、いつか済度してくれるよう望んでいた。その後、私は働く気が全くなくなり、出勤もしなくなった。最後に夫が私のしていることを知った後、それを信じないよう勧めてくれたが、彼の話を全然気にせず、私は逆に無理やりと彼に法輪功を学習させ、さもなければ離婚すると脅した。両親や兄、弟は私が法輪功を学習していることを知り、相次いで勧めてくれたが、私にとって全く馬耳東風のようなものであり、心が少しも打たれなかった。このため、両親が私に里帰りを許さず、私はどこ吹く風と実家に帰らなくなった。私に対し。兄と弟も処置なしとした。最後に家族の人は皆私を相手にしなくなり、思い切って私との行き来を絶った。
私は日ましに法輪功におぼれるようになった。当時、血圧が高く、冠状動脈性硬化症を患っていた父は私のことで病状が更に悪くなってきた。両親と家族を法輪功学習への障害物と見なして、私は両親の前で彼らを取り除こうと言った。2002年、私の頑迷な態度に耐えられないため、父は憤怒のあまり死んでしまった。弟と弟嫁は殊の外私を恨んでおり、私が彼女の家に法輪功の本を隠したことがあるからである。弟嫁は私に「お金やその他のものを求めないのに、こんなに恥ずかしい事をして、私の家に来ないでください」と言った。このようにして、私はすべての親心や血縁関係を絶ち切った。
私はなぜ殺人したのか
法輪功補導站と連絡しているうちに、私は今度の事件を一緒に起こした林春梅と知り合った。2001年11月、私の紹介で、彼女は私がアクソ西牛公司から賃借りして設立した専用煉功室に入ってきた。彼女も離婚をしたため、私達二人は実の姉妹のように仲がますます良くなってきた。私たちはよく一緒に「煉功の成果を交流し」、「師父」の教えを会得しし、煉功の余暇、常に外へ法輪功の宣伝ビラを配りに行ったり、スローガンを貼ったりした。最後になって西牛会社の煉功室が政府に発見されたため、私たち二人は僥倖に逃げていった。
2000年から2001年にかけて、李洪志は一連の「迫害反対」、「邪悪一掃」の「経文」を発表した。李洪志のこれらの行為は以前に言い張った「真?善?忍」や「善い人」、「大きな忍耐の覚悟」等と不一致であったが、まもなく彼は『忍ぶに忍べない』を以ってうそから出たぼろを繕い、「圓満」を餌に、学習者が外に出るよう扇動した。
その時、私はこれらのへ理屈邪説に大いに戸惑われ、できるだけ「大法」のために貢献しようとした。アクソ西牛会社の煉功室が政府に発見された後、私と林春梅が煉功の場が失われ、外に出ることにした。2002年2月末、私と林春梅は陝西咸陽に着いた。「圓満」を達成し、早くすばらしい天国に行くという私達の願望を実現し、「師父」のようにこの世ながらの天国を享受できるために、私たちは事前にこの旅館での殺人を計画した。こうして罪のない買新萍さんは私達の手で惨死した。殺人した時、私は彼女のことをあまり考えずに、ただ極楽世界に行かせ、幸せな生活をさせ、この世の苦難から脱出させようと思った。同時に私達の「威厳と道徳」をも実現しようとした。
今度の殺人事件は全く法輪功のへ理屈の邪説に教え導かれたもとで発生したのである。法輪功はまた天安門の焼身自殺者が法輪功の学習者であることを否定したと同様、、私達が刑事犯であり、政府が刑事犯罪を法輪功に着せ、一番早くこの事件を報道した新華社記事の「全文には、この二人の凶悪犯の犯罪行為が法輪功に関係することに言及したところが一箇所もなく、法輪功の法理はいかにして彼女たちに殺人させたかにも言及していない」と言い張った。生きている証人の一人として、法輪功がいかにして法理で私に殺人を教唆したことを説明しておこう。
1.「テレパシー」について。ウェブサイト明慧のこじつけの「理由」の一つとなったのは私が新華社記者のインタビューに応じた時に触れた「テレパシー」である。偽科学と偽気功が氾濫した時期に、テレパシーが超能力の一種と言われ、超能力を以って自分を神格化するために、李洪志も『転法輪』の中で「植物のテレパシー」に言及した。なぜ私に「テレパシー」があったのかは全く長期にわたり李洪志の「教化」、「会得」等の邪説に毒害されたためではないか。李洪志は自分が普通の人間であり、試練に耐えられないことを知っているため、「法身」を捏造して、自分の言いたいことを言わせる。「私の法身はあなたを止めたり、悟らせたりする」(『転法輪』p213)。「あなたが良い事をした時、私の法身が嬉しそうな様子で現れたり、光を発したりする。あなたが悪い事をした時、私の法身は非常に厳しくなる」(『転法輪法解』p150)。大法の弟子は先生に忠誠心を表すために、夢の中で悟ったり、「他の空間」で見たりするという現実離れした方式で、はばかりなく師父の提灯持ちをした。済南での説法の質疑応答では、ある弟子に「夢の中で師父に両手で醍醐を注ぐことを教えてくださったた」と言われた時、李洪志はこの機会に乗じて、「それは私の法身があなたの煉功を指導した」と自分を吹聴した。
2.「殺生」について。私が新華社記者のインタビューを受けた時に言及した「肉体を殺すのは殺生にならない」、「殺人が一つの殻を剥くだけ」、「殺人が服を脱ぐと同様」等の話に対し、ウェブサイト明慧は誓いを立てて「『転法輪』は煉功者の殺生を厳格に要求している。『転法輪』を真面目に学んでいる弟子ならば誰でも知っている」、「読者が『転法輪』を読んでみたら真相が明らかになる」と述べた。何が『転法輪』だい。一貫して口から出任せを喋ったり、自分の話に責任を取らなかったりする李洪志はうそから出たぼろを他人に繕わせたことはまだ少ないと言えるのか。後になって彼が言った「法」や『転法輪』には互いに矛盾した個所がまだ少ないと言えるのか。
ウェブサイト明慧は私が記者のインタビューを受けた時に言った「本から知った」、「自分で悟った」という話を引用して、彼女たちが一度も『転法輪』やその他の大法に関する著作を読んだことがなく、温ともう一人は皆大法の弟子ではないことを証明し、罪を逃れる目的を達成しようと企んでいた。幸いなことには、私がまだ生きており、彼らの嘘を暴き、悔悟したり、告発したりする機会がある。生きた標本である私の前で、李洪志よ、あなたは弟子に自殺?殺人を教唆した度重なる犯罪を覆い隠すことができるのか。
(Kaiwind.com, 2009-08-12)