近日インタネットの記事によると、日本大紀元の元編集長、日本語ウェブサイトの責任者であった佐藤貢が7月20日に亡くなった。筆者がインターネットで検索した結果、このニュースは確かなものであることが分かった。
出産?養老?医療?埋蔵は人生の法則であり、本々非の打ち所がないが、しかし、今度の事は少し特殊な例とも言える。
第一に、佐藤貢は敬虔な法輪功学習者であり、日本の法輪功の骨幹であった。法輪功のウェブサイトを検索してみると、佐藤貢の名前を簡単に探し当てることができ、彼の身分は「大紀元記者」である。彼の記事は主に2006年から2009年初にかけて集中的に発表された。2006年4月23日、佐藤貢は日本の「三退声援」集会に現れ、大紀元の捏造による「蘇家屯収容所」のデマを宣伝した。佐藤貢は日本国内で活動し、法輪功の反中集会やデモ活動を報道し、神韻演出の不思議な魅力を吹聴し、「仕事」に骨身を惜しまなかった。このような法輪功の精華は幸福を獲得し、「円満」に達し、「仏?道?神」になるはずであったが、しかし2009年2月15日から、彼が再度大紀元のために記事を書いたことがなく、日本の法輪功活動に現れたこともなかったのは病気になったからである。法輪功に特殊な日と見なされた7月20日に佐藤貢は亡くなった。李洪志大師の「法身」は彼を加護しておらず、神韻夕べの「不思議な治療効果」も全く彼に利かなかった。
日本大紀元の編集長佐藤貢
第二に、佐藤貢の奥さん肖辛力も法輪功の学習者である。肖辛力は1989年に南京大学外国語学部を卒業し、後に日本に留学し、日本御茶ノ水大学発達社会学の修士学位を獲得した。1999年末に帰国して天安門広場で「弘法」という騒ぎを起こしたため拘留された。日本に送還された後、肖辛力は「民主化運動」と法輪功の間を往来し、「全世界法輪功学習者被害者救援委員会」の日本側スポークスウーマンを務め、積極的に反中活動に従事してきた。法輪功の創始者である李洪志は「一人が煉功すれば、全家族が受益する」と言っている。たとえ佐藤貢があまり法輪功に詳しくなくても、肖辛力が彼を大きく上回る次元の高い大法弟子である。しかし肖辛力は夫に幸福を齎さなかった。報道記事によると、肖辛力は危篤になった佐藤貢を病院に送らず、応急手当を受けさせなかった。甚だしきに至っては佐藤貢が亡くなった日に、法輪功のデモ行進に参加した。彼女は他の法輪功学習者と一緒に、「正念を発す」という怪しい方法で佐藤貢を7日間後に蘇らせようとした。
日本の法輪功の骨幹である肖辛力
第三に、佐藤貢が亡くなった後、法輪功は秘密にして死亡通知を出さなかった。佐藤貢は「弘法」のために疲れ果てて亡くなったが、彼が死んだ後、日本法輪大法学会は彼のために告別式を行わず、日本法輪大法学会の鶴園雅章会長や大紀元本部は誰かを彼の家へ哀悼に行かせたことを見たことがない。法輪功所属のウェブサイトを全部調べた結果、彼の病死に関する記事は一切なかった。
さらに憤慨させられたことには、7月17日から20日にかけて、日本法輪大法学会が法輪功の学習者を組織して、方々走り回って記者会見を開き、日本駐在中国大使館の前で騒ぎを起こし、燭光追憶式や集会、デモ行進等の形で、いわゆる「迫害反対10週年」を記念した。これらの人はとっくに彼を忘れてしまったようである。
法輪功がずっと「迫害」を言い張っているが、いったい誰が日本大法弟子の佐藤貢を迫害したのだろうか。これを知っているのは佐藤貢だけだろう。
(Kaiwind.com, 2009-07-28)