2006年3月7日夜7時30分、河北省秦皇島市公安局海港区支局海浜路派出所は市民から、煤場団地のある賃貸家屋に法輪功練習者が集まって、不法な活動を行っているという告発を受けた。海浜路派出所の人民警察は迅速に現場へ赴き、その場で5人の不法に集中した法輪功学習者を押えた。人を驚かせたことには、この5人のほか、事件処理担当員が屋内で2体の男女死体を発見した。
事件処理員によると、彼らは賃貸家屋に入って検査をしたところ、一人の青年男性が仰向けに地面に寝ており、もう一人の中年女性がベッドに仰向けに寝ていることが分かったが、二人とも息が切れ、しかも顔が黒っぽくなり、中年女性は腹部が明らかに膨らんでおり、部屋には鼻を突く臭いが充満している。事件処理に当たる責任者は、「長年の経験から見て、その時この二人がすでに死亡していると思ったが、生命ないし法律への責任感からして、直ちに120番を回した」と追憶した。
救急隊員は急いで現場に駆けつけて来た。検査した結果、二人は意識が喪失し、瞳孔反応が消え、呼吸や脈拍、血圧がいずれも測定できなくなり、心電図が一直線となって、確かに死亡していることが分かった。それに、案件処理担当者は法医学者に2人を検査してもらったが、異常に死亡した痕跡を見つけなかった。
案件処理担当者は法律に基いて、賃貸家屋を検査したが、一部の不法な「法輪功」出版物と宣伝用印刷物を発見した。
調べたところによると、若い男性は洪飛と言い、21歳、秦皇島市海港区の市民、女性は劉淑敏と言い、52歳、秦皇島市山海関区沙河子村の村民であり、二人とも法輪功学習者である。この2人は自殺ではなく、他殺でもないようであるが、一体何のために死亡したのだろうか?
(一)洪飛
大多数の同年の人と同様、洪飛は幸せな青少年時代を送り、そして願いどおりに石家荘経済学院に合格し、大学生となった。しかし、彼の人生は2004年から変わってきた。彼は検査で腎臓病症候群をわずらったことを知り、やむを得ず休学しなければならなかった。
大学生として、洪飛は病気に罹ったら医者から治療を受けるべきだと知っており、しかも若い患者にとって、八割以上は腎臓病症候群が完治できる。しかし、彼の母、王淑琴は邪教法輪功におぼれたため、積極的に息子を病院に送って、治療を受けさせないだけでなく、かえって洪飛に法輪功を学習させた。
しかし、毎日法輪大法を読んだり聞いたりしたが、洪飛は病状が好転しないだけでなく、逆に病状が日増しに悪化しててきた。もとはたくましい体を持った彼は浮腫みが次第に現れ、元気もだんだんなくなってきた。
洪飛の父は非常にやきもきしている。彼は道を踏み違えた息子がまともな道に立ち返るよう老婆心から繰り返し忠告し、ひいては多くの親戚を呼んで息子への説得に当たらせた。しかし、ひどく邪教に毒害された洪飛は少しも後悔せず、さらに母がそばで扇動したため、甚だしきに至って彼は、父が妖怪変化にとりつかれ、「悪魔」であると言いふらし、父に「承知しないぞ」と言った。
父はせっぱ詰まって、一人の親戚に助けられ、2006年1月7日に、洪飛を無理やりに解放軍第281病院腎臓病科に送って、治療を受けさせた。賀発貴担当医師の話によると、病院した当初、洪飛は全身むくんで、胸水、腹水が溜まり、しかも皮膚の感染も伴っていたが、これらは全部腎臓病症候群の病状であり、まだまだ腎臓衰弱まで来ていない。そのため、彼らは洪飛に対し、ホルモンを使用すると同時に、感染防止のための治療をした。数日後、洪飛は蛋白尿が明らかに減少し、浮腫みが著しく軽減し、感染もよくなった。「これは患者がホルモンに対して比較的に敏感であることを表明し、更に半月立っていけば、臨床的に完治できるに違いない。さらに一年間にわたって、ホルモン類の薬物を服用して、洪飛が完全に回復できると思う」と賀発貴医師は言った。当時、彼は洪飛の治療に自信満々であった。
しかし、邪教に深く毒された洪飛はなかなか治療に協力してくれなかった。いったん父が余り後見しないと、彼は薬をこっそり捨てたりした。後になって、王淑琴は見舞いに来た時、腎臓穿刺を受けることになると聞いて、どうしても息子に治療を受けさせたくなかった。こうして高飛は12日間しか入院しなかった。1月19日、洪飛は退院し、再び法輪功の学習による病気治療という間違った道に紛れ込んだ。
法輪功におぼれた人に惑われて、3月7日の昼ごろ、洪飛は煤場団地に送られ、他の学習者と一緒に『転法輪』を学習し、共に法輪大法を練習して、病気を治療しようとした。
煤場団地の家は黒竜江省伊春市から来た法輪功学習者の呉文豊、呉文錦の兄妹が2月末に借りたものである。ここは間もなく法輪功学習者が闇で連絡したり不法な活動を行ったりする拠点のひとつとなった。
しかし、体があまりに虚弱なため、洪飛がこの家に着いた後、母と他人に手を貸してもらいながら、トイレに行ってきて、大法を学んでいないうちに、床に設えた寝床に腹ばいになったまま人事不省になった。他の学習者はしばらく苦労したあげく、ようやく彼の体をひっくり返した。彼に大法を学ばせるために、ある人は彼の耳にイヤホンをかけ、MP3で憲法の録音を彼に聞かせたりした。洪飛がいつ亡くなったかは知るよしもないが、事件処理担当者が部屋に入った時、イヤホンはそのままかけてあった。
(2)劉淑敏
劉淑敏が邪教の法輪功におぼれて数年にもなったが、法輪功や李洪志師父は彼女に加護を与えなかった。2005年10月4日、彼女は咳が出て、右胸の痛みが激しくなったり、息が切れたりしたため、山海関区人民病院へ検査治療を受けに行った。検査を受けた結果、中心性肺ガンを患い、しかも病状が末期になり、右側の胸腔に大量の液体がたまっていることが分かった。しかし、劉淑敏は病院で4日間しか入院せずに、家に戻った。
ひどい病気に苦しめられた劉淑敏はかつて邪教の法輪功への信念がぐらつき、ひたすら師父に助けを求めないようになった。彼女の夫の追憶によると、痛みが激しくなると、劉淑敏はいつもいくらかの薬を服用して、病状を和らがせていた。
しかし、このような時でも、邪教の法輪功も彼女へのコントロールを放棄しなかった。劉淑敏の病状を聞いて、以前の「大法同志」――法輪功学習者の楊哲紅、佘洪艶、李桂霞らは共同煉功の形で彼女の病気を治療しようと企んだ。
2006年3月の初め、楊哲紅ら3人は一緒に劉淑敏の家を訪れ、「すぐ煤場団地に移した方が良い。みんながいっしょに学習すれば、あなたもレベルアップができる」と勧めた。楊哲紅らの話によると、大法はすべての邪悪を打破することができるため、病院に行く必要がない。生き延びようとする切なる期待から、劉淑敏は再び誤った選択をした。
当時、劉淑敏は自分で階段を上がってきたが、部屋に入って、彼女ははあはあと喘ぎながら、何度も「痛い」と叫んだ。昼飯の後、呉文錦らが彼女のために『転法輪』を朗読しはじめ、当時、まだ話される劉淑敏はベッドに横たわったまま聞いていた。翌日の朝から、彼女は声が出なくなり、腕が次第に強張りはじめた。3日目になると、劉淑敏は顔が黒っぽくなり、腹部が膨らみ、体から臭いにおいがし、いささかの液体も出てきた。
これに対し、彼女の学友は劉が「ショックを起こし」、業や毒を取り除いていると見て、依然として劉のために『転法輪』をひっきりなしに読み続け、「煉功によって形成される気場を以って、「彼女を完治させられる」としていた。
劉淑敏の夫はそうしても信じない。妻が自宅を離れた時、彼は在宅ぜず、妻から電話を受けて、やっと妻の行方を知った。3月7日午後、彼は煤場団地へ妻を見舞いに行き、部屋に入った途端、すっかりがっかりしてしまった。
(河北日刊新聞,2006-07-02)