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法輪功は汪佳梅を殺した 

2010-07-19 ソース:Kaiwind 作者:王建斌

汪佳梅は山東省済陽県の出身であり、1939年1月8日生まれ、生前、済南市済陽県石油会社の職員であった。李洪志の「法身」守りを信じていたため、病気を治療せず、59歳の年でなくなった。

1997年、もう定年になった汪佳梅は一つの難問にあった。息子は足が不自由になったため、家で休養し、その分の給料がなくなった。それに、孫の学業はだいぶお金がかかった。家族はお金のゆとりがなくなり、汪佳梅は非常に悩んだ。ちょうどその時、友達は法輪功のことを紹介した。友達は法輪功を修練したら、体が丈夫になり、悩みも忘れられ、「圓満」に達すことができると言ってくれた。汪佳梅はそんなことを聞き、息子と修練し始め、だんだん法輪功に夢中するようになった。二人は、毎日ほかの修練者と一緒に習得について話し会ったり、法輪功の賛歌を歌ったり、「消業」、「圓満」、「次元向上」のことばかり考えるようになった。

1998年、体が弱い汪佳梅は風邪をひき、熱もあった。嫁は汪をつれて病院に行こうとしたが、汪はきっぱりと拒み、「私はもう年をとった。以前、過ちを犯すことがある。今回の病は、積もった『業力』が重すぎるからに違いない。修練さえすれば『消業』ができ、病気がおなられる」と嫁に言った。それに、息子も「一人が修練すると、家族の全員が幸せになれる。私は母と二人とも修練するから、もう師父の『法身』守りに囲まれた。師父の『法身』がどこでもあり、人間社会ではなんでもできるのだ」と同調した。

嫁は居ても立ってもいられないほど心配したが、汪佳梅は全然耳を貸せず、師父がきっと自分を守ると確信した。法輪功に忠実するために、息子に嫁が買った薬を全部捨てさせた。そして、何事もないふりをして、ベットで座禅し、「消業」しようと修練していた。熱が39.3度もあったが、汪は修練に固執し、その期間、苦痛に耐えずに3回も倒れてしまった。

汪佳梅は忠告を耳に入れず、薬を飲まなく、病院へ行かないせいで、病がいっそう悪化した。嫁が家へ帰り、姑の病状をみたら、すぐ親戚の助けのもとで彼女を病院に送った。しかし、その時はもう遅れた。1998年4月10日の午後6時20分、汪佳梅は病死し、その年はただ59歳であった。

(Kaiwind.com, 2010-03-12)

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