2009年10月20日午前9時ごろ、濃煙は江蘇省泰州市海陵区天達家園住宅団地21-503室の窓から出てきた。この出来事は通りかかった人々の注目を集めた。人々は頭を上げて、煙が出ているところを見ている際に、ある男性は503室の窓口に姿を現した。その直後、男性は窓から飛び降り、地面に落ちて即死した。数分後、駆けてきた消防員は503室のドアを開けて、煙の中で、血まみれの年をとった女性は倒れていて、刃傷を負った。病院に運ばれてから、死亡した。
飛び降り自殺をした男性の名前は劉勇、1970年生まれ、出身地は江蘇省泰州市海陵区である。刃傷を負った女性は劉勇の元妻の母親。警察の取調べによると、劉勇はまずナイフで劉勇の元妻の母親を殺害してから放火し、それから飛び降り自殺をした。事件のプロセスには疑点がない。ただ、どうして劉勇は元妻の母親を殺害して自殺したか。今度殺人?自殺事件の真相はいったい何であろうか。
1998年、劉勇はB型肝炎と診断された。1999年年初、彼は法輪功を修練すればどんな病気でも治る、しかも薬を飲まなくてすむと聞いた。病気を治すために、法輪功を修練し始めた。修練で肝炎を治そうもなかったが、彼は法輪功の理論の中の修練を通じて「佛、道、神」になることに心を引かれた。その後、国は法輪功を取り締まりはじめたが、劉勇は他の修練者と違い、自分の身分を明らかにしなかった。彼は法輪功組織を離脱することを声明した一方、家でこっそり修練していた。その修練は秘密裏で行われ、他の修練者とも、家族親友とも交流していなかった。閉じこもった修練で彼の性格は偏執で暗くなった。彼には、修練者だと自負して自分自身が他人より偉いと思い込み、他人の勧めに耳を貸せず、指摘を受け容れない一面もあるが、修練が発覚されることを恐れ、閉じこもて精神が緊張している状況におけて、敏感で怒りやすい一面もある。彼の周りの隣人と同僚の取材で、すべての人は彼との付き合いが怖いと感じることは明かされた。取材でよく聞いた話は「彼は精神病患者」である。2008年、同僚の世間話を聞いた劉勇は、自分の修練をからかっていると思い込んでその同僚を殴った。
2003年、劉勇は34歳。家族の期待に背かないために、また自分の修練を隠れるために、妹の紹介で江さんと知り合った。江さんの出身地は地元ではなく、劉勇の過去を知らない。同年5月、二人は結婚した。夫婦生活は彼の秘密修練を強く影響した。妻に修練のことを気づかられないように、劉勇は長い間に仕事の場に行かなく、昼に家で修練ばかりしていた。すると、彼は妻を憎むようになった。妻が自分の修練を邪魔し、修練中の魔であると考えた。したがって、妻に対する態度はますます荒くなった。江さんの話によると、劉勇と一緒に暮らしている数年間に、彼の言動は変わっていて、性格も暴虐で、自分を罵ったり、殴ったりすることは日常茶飯事のようであった。棍棒、椅子で自分を殴ることも時々起きていた。また、わけもなく劉に顔を噛まれて傷されたこともあるし、妊娠中さえ殴られた。江さんは彼の行為に堪えず、離婚訴訟を起こした。2008年裁判所の判決を受け、二人は離婚して、息子の劉さんは父親と一緒に暮らすことになった。
二人は離婚してから、江さんは月ごとに扶養料金300元を払う。毎週、息子と週末を一緒に過ごし、月曜に息子を送還する。2009年10月17日、江さんの母親は泰州に来て、孫と娘に会った。19日、つまり月曜日、孫と別れたくないおばあさんは孫をもう一泊泊めさせた。江さんは電話で劉勇の母親にこのことを知らせた。
20日午前、起きた劉勇の母親は息子が家にいないことに気づいた。息子の精神状態を知っている劉勇の母親は江さんに電話をかけて、劉勇に会ったことはないかと聞いた。電話を受けた江さんは不安を感じ、彼氏の馬さんを家に呼びかえった。しかし、9時ごろ、電話がまたかけてきて、伝えてくるのは記事の初で述べた悲劇であった。
江さんの母親はせいぜい年に一度ぐらい泰州に来る。劉勇は江さんの母親にとくになんらかの恨みもない。おばあさんが孫をもう一泊泊めさせただけで、劉勇に殺意を抱かせたことも道筋が通じない。このようなことはその前にも起きた。総じていえば、すべては劉勇の自殺でなぞとなった。
劉勇の事件を聞いて、忘れられた名前はふと頭に浮かんできた。関淑雲、傅怡彬、劉春玲……一つ一つの名前の裏に、みな血涙まみれの過去がある。ある意味では、劉勇の自殺はそれほど難解な事件ではないと私が思う。前述の人と同じように、彼の名前の裏にも、法輪功のの邪説で歪まれたこころがある。
劉勇はここから飛び降りて自殺をした。現場には被害者の血痕がまだ残っている
劉勇自殺後の写真
殺人凶器
放火された現場
放火された現場
(Kaiwind.com, 2010-07-28)