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「消業」と「円満」は李会民を死なせた(写真付)

2011-05-23 ソース:Kaiwind 作者:宜人

 

李会民が生きた時の写真

 

李会民、男性、1957年6月生まれ、中学校卒業。河北省冀州市小寨郷辛荘村の農民です。

法輪功の練習を始める前の彼は、街向けの店舗を賃貸し、餅の販売をしていました。妻は家で農事をし、子供は学校に通っていました。夫婦は勤労で一生懸命稼いだので、生活は豊かで幸せでした。

1997年、ある町に住んだ友達は李会民に法輪功を紹介し、「転法輪」という本をあげました。友達の話によると、法輪功を練習すれば、病気にかかられても点滴や薬などしなくても治る。病気がない場合体が鍛えられ、練習者はみんな師匠に守られ、最後まで修練すれば「円満」になり、成仏できて天国の極楽世界へ行けます。つまり得点がいっぱいのあるいいことでした。知り合いがそこまで言ったし、最後は「正果」ができると聞いた李会民は考えずに法輪功の練習を始めました。三か月間の練習後、長期間困っていた高血圧や肩関節周囲炎はなんとなく少し治ったように気がしましたので、やはり法輪功の効果だと思い、信じ込みました。

師匠と法輪功へ自分の敬意をアピールするため、李会民は餅販売で稼いだお金を「転法輪」、「法輪大法解義」など練習書類や、師匠の画像などを買ってきました。毎日部屋で真剣に勉強し、座禅を組んでいました。商売、家族と子供のことを全部頭の後ろに捨てました。早く「上次元」「成仏」になるため、彼は周密なスケジュールを作成しました。毎朝の3時から5時は「転法輪」の勉強時間にし、その後は練習所へ練習に行きました。練習が終わった後、部屋に閉じこもんで、「転法輪」の暗記をしたり、写しをしたり、李洪志の「説法」録音を聞いたりしていました。家族は彼の様子を見て、やはり真面目な仕事をしたほうがいいと勧めたが、彼は全く聞かなかったです。練習のために、彼は毎日李洪志が描いた「円満」と「天国世界」に溺れました。

1997年、国が法律に従い、法輪功を取り締まりました。地元にいたほとんどの法輪功練習者は練習をやめたのに、李会民は李洪志が宣伝した「法輪大法」は最高だという思想に左右されたので、国の法律を無視し、あちこちで法輪功のためにクレームを言っていました。村の住人、家族と親戚は法輪功の本質をみろと繰り返して説得しましたが、彼は天国で「黄金の部屋」を住みたくて、頭の中に、「円満」ばかりなので、誰からの説得も効けないでした。逆に、彼はよく周りの住人と親戚や友達に法輪功を宣伝したりしました。

李会民は昼間も夜も練習したり、本を読んだりして、時々夜にこそこそと法輪功チラシを配ったり、貼り付けたりしました。正常の生活リズムが崩れ、ご飯もキチンと食べていなく、体がよく休められず、血圧が高くても病院に行かないでした。こうして、2005年の下半期になると、李在民の体はますます崩れつつ、痩せり続けました。歩くと、揺れたり、転んだり、吐き気したくなったりしました。家族は彼の長期間練習に対し怒ったとはいえ、彼の健康を心配し、よく病院へいって薬をもらいなさいと勧めましたが、彼は断然と断って言いました:「師匠はこう言いました。練習者は病気になる場合、師匠が罪業をけしてくださいます。罪業をなくしてから、もっと高い次元へ行けます。円満になると、いっぱい機能を持った得道者になり、仏様になれます」。こうやって彼は練習を一層頑張って、練習で自分の病気を治ろうと思いました。体調がきつくても、病院に行かないし、薬も飲まないままでした。家族はしょうがないでした。

2006年2月2日の夜、家でこそこそと練習していた李会民は急に倒れました。家族は慌てて車で彼を病院まで送りました。医者さんは検査して、高血圧による脳幹出血だと判断しました。医者さんは全力を尽くして救命をしましたが、李在民は2006年2月5日でなくなりました。その年は53歳でした。

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