呉保霞は女性、1966年10月生まれ、河北省景県景州鎮徐庄村の農民であった。法輪功の邪説に陥り、いわゆる「次元向上」、「圓満成就」などのものに夢中し、1999年10月17日に農薬を飲み自殺した。生年33歳であった。
もともと呉保霞は幸せな三人家族を持ち、夫の張立傑と責任田を10ムー稼いだ。そして、農閑の時になると夫は出稼ぎ、彼女は家で子供を育るのであった。
1994年6月、呉保霞は法輪功を修練するのは体によいだけではなく「次元向上」、「圓満成就」することもできるといううわさを聞き、とりわけ病気になってもお金がかからず注射をせず薬を飲まずにすむことに深い興味を持ってきたのである。それで、法輪功を修練し始まり、ちょうど失眠の持病も改善したから、法輪功は効果があると思った。その時から、もっと法輪功に夢中になった。
「次元向上」するために、彼女は『転法輪』、李洪志が出版したテープ、李洪志の画像などを買った。毎日本を読んだり、暗誦したり法輪功を修練し、家事にぜんぜん興味を持たなくなった。夫が「圓満成就」のことばかり考えていた妻に法輪功の邪説を信じないで普通の生活に戻ろうと何度も勧めたが、妻の呉はぜんぜん耳を貸せず「一人が修練、家族が収益、私が神様になったらきっとあんたと子供を天国につれてね」と言い返した。夫は怒ってたまらなかったのに、まったく仕方がなかった。
1998年初、夫の張立傑は呉がいつも一人で沈黙にぼんやりしていて、親戚と友達とも連絡せず話しかけられても返事しなく、食事もあまりしないことに気づけた。夫は病院に行こうと勧めたが、彼女は「薬で治療するのは病を体の中に抑制するにすぎない。我々の修練者は師父が守られているから何の病気もない。あんたたちには分からない」と言ってくれた。仕方なく張立傑は強いて親戚と一緒に彼女を病院に送らせた。医者の診断によると、呉は精神抑郁症にかかり、入院治療し、薬を飲まなければならないと要求した。しかし、彼女は一切の治療を拒み、家族は『転法輪』、テープと画像を全部捨てたが、依然として「座禅」し、修練し続けた。
1999年初、呉保霞の行動はいっそうおかしくなり、誰にあっても体の中には法輪があり、師父がすでに自分に天眼を開いてください、全宇宙も黄色に見られると言った。その上、いつも空を指しながら「もうすぐ出て行く」と言ったのである。中秋節に近づく頃、彼女は「師父が言ってくれた。この間私が天に昇るわけだ」と表した。その後、また「重陽節の日にきっと天に昇られる」と夫に表した。1999年10月17日、ちょうど重陽節の日である。その夜、呉保霞は夫と子供が熟睡するところ、農薬を飲み自殺した。