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何海香:私は藩全英が診療を拒否して死亡したことを目撃証言

2011-09-16 ソース:Kaiwind 作者:何海香

私は何海香と申し、女性、漢族、1957年7月9日生まれ、高校卒であり、河北省邯郸市丛台区丛台路甲31号に住んでいる。1997年8月、邯郸市丛台区丛台路法輪功修練点指導員の藩全英に勧められ、体によいかなあと思ったから法輪功を修練し始めた。今、もう真相を知った私は、自分の経歴と藩全英が診療を拒否して死亡したことをkaiwindホームページを通して発表させてもらいたい。

藩全英は女性、漢族、1945年8月生まれ、小学卒であり、同住宅団地に住んでいる。1995年6月、定年した藩全英は、暇があり、他人の勧めで法輪功を修練し始めた。年をとった藩は、経験豊富で知識が広く、記憶力も強いから当地の修練者の中で精進者であった。しかし、1999年3月、ずっと「藩姉」と呼ばれていた藩全英は我々に「藩姉」と呼ばないで「上」から新たな呼び方があるから「藩指導員」と呼んでほしいと伝えた。状況が詳しく分からなかった我々は、羨ましながらこころよく彼女の言ったとおりにし、彼女は喜んだ。

次は2001年7月のことであった。この藩指導員はこっそりと自分を含める一部の法輪功修練者がそろそろ「圓満成就」を実現することを告げてくれた。このことを聞き、私はうれしながら羨ましくてたまらなかった。自分の目で「圓満成就」の実現する場面を見るために、私はわざわざ娘に学校を一日休ませ、法輪功の法力をみせようと行かせた。しかし、朝から晩まで一日中待っていたのに、星と月も出てきたが、圓満する気配はぜんぜんなかった。彼女たちは、周りで行ったり来たりして、心の中にはドキドキしながらイライラしていた。夜はだんだん明けた。藩指導員の「圓満成就」の夢はとうとう泡になった。それにしても、彼女はすぐ実現できない理由を見出した。自分自身の努力はまだ足らず、功法はまだ精進ではないと思い込んだ。そして、彼女は「これから、すべての時間を利用し、修練しなきゃ、三、四年間を通してきっと円満になれる」と表した。

時間の経つにつれて、とうとう2006年になった。「圓満成就」は実現しなかったが、藩全英は、頑固に自分の話を守っていた。11月18日に、私は藩の家へ遊びに行った。彼女は客間でちょっと休もうと言い渡し、お手洗いに行った。でも、20分もたったが、まだ出なかった。「どうしました?何にあっか?」と聞くと、彼女は「まあ。大丈夫」と言葉を濁た。藩は普段さっぱりした人間であるから、こんな話を聞くとちよっと不祥事があるかと思い、私はお手洗いに入った。すると、血だらけのトイレットペーパーを持っている彼女を見た。この年だから、生理がくるわけもない。私の驚いた顔を見て、もう隠せないと覚悟した彼女は実情を言い出した。大便は血づけるのが五月間もあった。夫は病院に診療をうけたらと何度も勧め、彼女はぜんぜん耳を貸さなかった。最後に夫は医者を家に誘ったが、彼女は医者を家から追い出し、一切の診察を拒否した。夫は、最初のむなしい気持ちから絶望になってしまって、仕方なく彼女に勝手にさせるしかなかった。藩全英は、心から李洪志の言うことを信じ込み、師父が別空間で自分を守ってくれると私に伝えてくれた。そして、師父は「大法から利益を獲得することしか考えず、大法に力を貢献したくない人は神の眼には最も悪い生命だ」、「思想レベルが一歩上がるならであれば、自身の悪い業が消えるわけだ。それに、苦痛を経験しなければならない。自身の業力を取り除くことを通じ、圓満成就の段階に近づく」と述べた。だから「消業」するために、心性を高めるために、神の眼の中の悪い生命にならないために、今現在ちょっと苦痛を経験してもぜんぜん怖くないという。

2007年4月21日、突然藩全英の夫から電話をかけてくれた。藩全英は全身に激痛して家で叫んでいる。医者の治療を拒むから、彼一人はつらくてたまらなく、助けてほしいという。藩の家に着いたと、藩全英が普通の弱いおばあさんのように隅に縮め、ぐいぐいと力一杯、腹を揉み込んだ。汗が止まらないように落ちでいる。この状況を見て、藩の病痛を思い、私は急に李洪志の「法身保護」論理に疑うようになった。私は急いで邯郸市中心病院の外科医者である黄さん(藩全英の親戚)と連絡をとり、接診を準備させた。藩全英はもう何時間もがいたので、反発する力がなかった。我たちは藩を車の中に運び、病院に送った。診断結果によると、藩全英は直腸癌にかかり、癌細胞がすでに拡散し、肺には一番多いのである。彼女の身体機能がすごく衰弱していた。医者はせいぜい四ヶ月生き残られると告げてくれた。藩全英は病院で治療しないと決意したから、医者が告知の義務を行い、薬を出した後、やむを得ず、彼女を病院から離れさせた。

2007年7月12日、再び藩全英の夫からの電話をもらった。彼は「早く来い、藩全英は痙攣して、口も曲がってしまった」と言った。私はすぐ家を出て、藩全英の家へ走り、着いた時、藩全英は死んだばかりであった。となりの二人の子供は泣いてばかりしていた。かわいそうな藩全英は、幻の円満を追及するために、李洪志が捏造した嘘の中で12年間を経ったのに、最後に待っても李洪志からの法身保護をもらえなかった。

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