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倪友梅は罪業を消すため、借り家でなくなった

2011-09-23 ソース:Kaiwind 作者:傅紹玺(口述) 謝安(整理)

傅紹玺といい、男性、今年75歳。湖北省荊州市公安県油江住宅区幸福村一巷35番地に住んでいる。うちは大きいな部屋を持っているため、普段は一部分の空き部屋を賃貸して、そのお金で生活する。

2010年10月のある日、同じ街に糧食油販売をした田徳桂の紹介で、倪友梅はうちの空き部屋を借りた。私は二階にある部屋二軒を彼女に貸した。賃料は1年間で2600元だった。

彼女が引っ越したばかりの時から、おかしく思った。ちゃんと主人と息子を持ったくせに、どうして一人で部屋を借りたのか。私は理解できなかった。その後、彼女とおしゃべりをしたうちに、主人の名は袁付といい、元々建築材料会社の運転手だった。会社は制度改革をしてから、定年されて家に戻った。普段、倪友梅は法輪功に対し、積極的にし過ぎて、自分が家で練習するところか、よく練習者を家に連れて一緒に練習したり、法を学んだりしていた。主人は我慢できなかったので、しょうがなくて、元々会社から配った部屋を安売りして、武漢で家を買って、息子と一緒に住むことになった。

武漢に行った倪友梅は法輪功を忘れられず、常に電話で練習者と交流して、毎日法輪功に溺れていた。夫妻関係が悪くなり、家庭関係もますます緊張になった。主人と娘はいつも練習をやめようと助言したが、溺れた彼女は家族からも助言を聞き入れず、毎日朝早くから座禅を組んで練習したりして、大騒ぎだった。最後、倪友梅は主動的に実家である公安県に戻ると言い出した。疲れた主人と息子はしょうがなく納得し、彼女を公安県に送って、部屋を借りてやった。

倪友梅はうちの借りた時、単純で神秘な生活をしていた。入った早々、窓を紙で封じた。毎日家に閉じこもって呟いた。時々、おばあさん二三人が訪問してきた。来たらすぐドアを閉じて、何をやったのかわからなかった。私は好奇心があって、賃貸人に対する関心もあって、おしゃべりをしに行ったが、ドアは中からロックされて、用事があると言って、私を部屋に入れようとしなかった。龍徳珍は倪友梅のところに何回も来たことを見たので、彼女たちは家に閉じこもって、法輪功の練習をしていたことがわかった。龍徳珍は河道局に勤めたごろからよく練習したことが私は知ったから。

倪友梅はうちを借りてから、なかなか外と接触はしなかった。時々一日中食事を一回だけで、我慢できなくなったら、饅頭と漬物を買ってきて食べた。毎日練習をしてから寝て、人に見えないぐらいに痩せてきた。私の妻段友玉は彼女を心配してきいた:病気なのか。県にある人民病院へ診てもらったほうがいいと勧めたが、彼女は厳しく言った:病気は「業力を消す」ことだ。師匠が与えてくれた試練だ。薬を飲んで、点滴を受けると、師匠に敬虔しない行動になり、罰にあたる。わたしは「正念」を発したら、師匠の「法身」がきてくれて、病気を退治してくれて、自然に元気になる。余計なことしないでください。時々わたしは彼女に助言をすると、逆に法輪功の練習を誘われ、法輪功のメリットを説得された。「天国へ飛ぶ」「円満になる」「一人だけ練習すれば、全家族が恵まれる」などといわれてきた。

2010年12月になると、倪友梅は練習にますます力を入れた。いつも師匠の画像に対して座禅を組んだり、「正念」を発したり、「転法輪」とパンフレットを読んだりした。あのときから、倪友梅の顔色が少し黄色になってきて、足にはむくんだことに気づいた。彼女はどんどん痩せてきて、最後はベッドから起きれなくなった。それにしても、倪友梅は忘れずに座禅を組んだり、「正念」を発したりして、ほかの練習者から支えて起こしてもらって、練習を続けた。

しばらくしたら、倪友梅の顔色は一層悪くなった。足のむくみがひどくなり、体がもっと痩せた。早く病院へいこうと私は催促した。命は一番大事だので、練習をやめて、早く治療したほうがいいと勧めたが、彼女はどうしてもいやだった。夫に病気になったこと内緒にしてくださいと頼まれた。私は仕方なく、裏で知り合った龍徳珍から彼女の夫の連絡方法を聞いて、早く見舞いに来てくださいと連絡した。彼女の夫と息子が来て、病院で治療をうけようと要求したが、彼女は命を懸けて断った。毎日ベッドで練習を続けた。

彼女の夫と息子が着てから三日間、つまり2010年12月29日午後2時過ぎて3時未満のとき、倪友梅がだめになりそうなので、夫と息子はすぐ車を呼んで病院へ運んだ。しかし、彼女は途中で呼吸を絶った。2011年1月28日法輪功サイトは倪友梅が迫害されて死なせたことを載せたが、それは事実に合わないうそだ。

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