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父親を瞑目させるよう、弟は仏教に帰依(写真付)

2012-01-06 ソース:Kaiwind 作者:楊松

筆者と出家した弟

楊松を申し、1969年8月生まれ、重慶市第九人民病院の医者である。弟は楊万敏と申し、1971年11月生まれ、高校卒で、幸せな生活を送っていた。しかし、幸せな生活は法輪功で崩れ、弟も仏門に入った。

1998年3月、弟は法輪功を修練し始め、すぐ夢中になってしまった。そのせいで、現実の「名?利?情」を全部捨て、朝から晩までいわゆる「師父」のことを考えばかりしていた。もともと彼には張娟という婚約者がいた。張さんは容姿端麗だし親孝行もした。両親は張娟のことを気に入て、結婚の用意を積極的にしていた。婚期は10月であり、両親はマンションだけではなくテレビ、冷蔵庫、洗濯機なども買った。そして、2万元の結納金を払い、隣人と親友に招待状も配った。

1998年10月、婚期がきた。親友たちは相次ぎ現場に着いたが、弟は誰とも相談せずほかの修練者と一緒に「弘法」に行った。張娟は涙を流しながら孤独に立つしかできなかった。怒りを抑えきれない張娟の両親はすぐ娘を家につれて帰った。いろいろ工夫した結婚式はこれで中途半端に終わった。仕方なく、私と両親は弟が作った残局を飲んだ。その後、ずっと弟の消息がなく、父親は高血圧の病状がいっそう悪化し、入院して一ヶ月の治療を受けた。

弟が帰ったのはすでに1999年の正月であった。

1999年7月、政府は法輪功を取り締まった。我々は法輪功の真相を知り、弟の家出は法輪功のせいだと分かった。両親は何度も法輪功をやめようと弟を勧めたが、弟は受け入れたふりをしてこっそり法輪功を修練し続けた。

2000年5月、弟は法輪功を修練している時、父親は弟の『転法輪』を奪り、本を引き裂いた。弟は非常に怒って急に父を部屋のそとに押した。力が強すぎるから、父の頭がドアの上の釘にぶつかり、倒れてしまった……血だらけの様子を見ると弟は驚いた。しかし、彼はやはり「天国に昇った」などぶつぶつ言う。母がこの事情を発見し、急いで「120」をかけ、父を病院に送った。しかし、失血が多すぎるのであの夜に亡くなった。

弟は過失殺人罪で5年の懲役刑を受けた。私の家族も幸せを失った。私は母とつらい生活を過ごし、収入を増えるため、病院の掃除さえ兼職したことがある。

2005年初、弟は家に帰った。弟は自分の誤りに後悔でたまらなかった。父の墓の前には弟は「李洪志のせいで私は父を殺す罪人になって、両親にも家族にもすまない」と語った。

2006年8月、弟は自分の罪を救うために私の勧めを聞かず出家してしまった。「兄、このような方式で天国の父を瞑目させたい」という。

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