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李志明はこう他界した(写真付)

2012-02-27 ソース:Kaiwind 作者:王博

李志明の生前写真

「娘よ、目を覚めよう。このまま死んではいけないよ」病院のベットの前で、ある老人はあまりにも悲しんだため倒れた。ベットの上で、若い女の子は死んでしまった。自分の子供に死なれた場面は現場にいたすべての人を泣かせた。

亡くなった女性は李志明といい、1963年3月に生まれ、黒竜江省にある国営農場に住んでいた。

李志明は元々幸せな家庭を持っていた。愛してくれた夫と利口な娘がいて、自分はビジネス会社で販売員をやっていた。その後、会社は体制改革が行われて、彼女は場所を借りて文法具の販売を始め、収入はなかなか厚かった。生活は平凡で、忙しくて、幸せが溢れていた。しかし、法輪功の練習が始まってからすべては変わった。

2001年6月のある日、李志明はいつも通り店を出し、営業前の準備をしていた。あるおばさんは神秘そうな顔で話しかけてきた。最近ある不思議な気功を練習している。その気功なら体が鍛えられるし、家族の平安と幸せも守られると言われた。普段の営業生活で李志明は毎日非常に疲れたと感じていた。そして彼女にとって、最もの希望は家族の平安と幸せなので、そのおばさんに従い、法輪功の練習を始めた。

始めた頃、暇なときしか法輪功の練習をしなかった。自分の生活を影響していなかったが、その後、ビジネスが何かの原因でうまくいけなかったり、トラブルが起きたりして、たくさんの余裕ができたので、大量の時間と精力を法輪功の練習に払うようになった。徐々に、李志明は法輪功の屁理屈に引き込まれてしまった。

2002年、家族は李志明の変化について文句が出した。しかし、彼女は気にしていなかった。それは「家族の関」だ、乗り越えるべきだと思っていた。李志明は商売をほっとき、家庭、親友との連絡を一切断絶した。彼女はすべての時間を法輪功の本と経文の勉強に扱った。家で法輪功を練習する以外、出かけて宣伝することも大事にしていた。「功力を向上」と「上次元になる」は全部だった。法輪功と関連するものであれば、迷わず全部購入し、宝物のような扱いだった。夫は何回も忠告して効果がなかったため、2002年10月に彼女と離婚し、娘を連れて山東省へ行った。

あの時、李志明は法輪功に徹底的に制御された。離婚はただの家族の関を乗り越えただけだと思った。師匠は言った:「家族の愛情に執着すると、必ずこれに困り、纏わされ、邪魔される。一生は苦しめられる。年を過ぎると、後悔しても手遅れだ。」こうして、彼女は法輪功にますます溺れた。

夫が離れたことについて、李志明は嬉しかった。自分がまた高い次元に昇ったと思ったから。家族の愛情、夫の愛情を捨てた彼女は自分の功力が大幅に進歩し、円満に近付いたと思った。彼女はよく密かにほかの練習者を家まで誘って、家を秘密な練習基地にした。

年取った父親は何を言っても、娘は法輪功から抜けられなかった。ある日、李志明が出かけたきっかけを利用して、父親は家に貯まった八十数冊ぐらいの法輪功本籍及び大量な反動チラシを全部裂いた。李志明は激怒した。彼女にとって、法輪功の本籍は自分の命より大切にしただから。父親は彼女にとって魔になってしまった。彼女は狂ったように、父親と大喧嘩し、家の家具を全部打ち壊し、父親と縁を絶とうとした。

2004年、李志明は卵巣がんにかかった。親戚と友達から病院で治療してもらおうと勧めたが、李洪志の消業理論に信じ込んだ李志明は、これは与えられた試練だと思っていた。彼女は病院へ行くことを断って、一切の薬も拒絶した。年配の父親は怒っても、泣いても、彼女は動揺しなかった。

卵巣がんは早いうちに治療をすれば、90%の人は無事に生きられる。父親の強い要求を受けて、親戚は李志明を強引に病院まで送らせた。しかし、彼女はどうしても治療を嫌がり、親戚、友人と医者を師匠が言われた大法を壊そうとした悪い勢力とされ、大法に邪魔する悪魔とされた。彼女は師匠の法身に助けてもらえることを固く信じて、きっとこのゴミ箱みたいな世界から脱出してもらい、美しい天国へ連れてもらうと思った。李志明は無理やりに退院をし、毎日は法輪功を練習する以外に何もしなかった。

危篤になった間も、法輪功の練習は続いていた。師匠が約束した最後まで助けてくれることを期待し、師匠の無数な法身は魔法をかけて、病気を治してくれることを希望していた。父親は娘が自分の体を苦しんでいたことに我慢できず、もう一度娘を強引に入院させられた。しかし、検査の結果は、がんの細胞は完全に拡散し、治療の価値はなくなったということだった。それに彼女自身は治療を受けず、精神的な抵抗とプレッシャーは逆に病状を重くさせる可能性もあると言われた。父親は死ぬほど悲しかった。李志明はそれが師匠の奇跡だと思った。法身に守られたから、凡人の邪魔がなくなった。自分は間もなく円満になると思った。

二ヵ月間未満の間、李志明は李洪志と法輪功から少しも助けられず、病状はぎゃくに重くなった。2005年10月1日に、ただ42歳の若さで死んでしまった。

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