賀立明生前の写真
賀立明は女、1946年10月生まれ、中学卒、元々は湖北省荆州市沙市区解放路街道大橋団地に住んでいた。2004年5月16日、賀立明は荆州市コンポーネント工場付属の住宅区のある平屋で死亡した。死亡の理由は?
1995年、賀立明は荆州市第一人民病院で診査をうけ、高血圧だと診断された。その後、彼女はお医者さんの指導のもとで、定期的に身体検査を受け、降圧薬を時間通りにのみ、血圧を正常値の範囲内にコントロールしていた。
1998年、賀立明は友達の紹介を通じ法輪功に触れ、法輪功の「業消し」、「病気治し」を信じた。はじめのとき、賀立明は毎日家事を済ませてから修練する。暮らしが規律的になったので、体の具合がよくなった。一時期続けると、体がだいぶ元気になったと感じた彼女は修練にいっそう熱狂になり、李洪志の「業消し」や「円満」の学説に陥り込まれ、「修練すれば病気が治る、病気があっても薬いらず」を信じ込んだ。「業消し、円満、レベルアップ」のために、彼女はたくさんの時間を修練に投じた。料理、洗濯などの家事をすべて夫に任せた。
1999年7月、中国が法輪功を取り締まった後、親友はみんなやめようと勧めたが、彼女はぜんぜん耳を貸せず、いっそう夢中になった。毎日座禅を組んだり、修練したりばかりしている彼女は李洪志の経文を繰り返して暗誦し、早く円満に達して天に昇って仙になる夢を見ていた。
これからの数年間、賀立明の体の具合がいっそう悪くなった。しびれ、耳鳴り、難聴、視力障害などの症状が出て、体もだんだん痩せてしまった。
2003年11月のある日、座禅をしているうちに、彼女は血圧が高くなり、頭が激痛し、めまいに襲われ、結局倒れて、意識不明になり、全身的なけいれんが起きた。家族と隣人は急いで彼女を市第一人民病院に送った。3級の重症高血圧であり、入院治療が必要だとお医者さんは診断した。
全力の治療を経て、眼が覚めた賀立明は自分が病院のベッドで横になって点滴を受けているに気付いた。彼女は大声で、「これは師父の試練だ。私の業力が重過ぎるから、消しなければならない。師父はきっと業をけして病気を治してくれるから、私を心配しない、注射なんて薬なんていらない」と叫んだ。彼女は針を抜き、帰宅してから李洪志の写真前で座禅をしたり修練をしたりし、診査や薬飲みを拒否していた。
2004年旧正月の後、彼女は業を消し、円満に達するために、荆州市コンポーネント工場付属の住宅区のある平屋を借り、外からの「邪魔」を排除し、よりよく修練に専念するようになった。
2004年5月16日の午後、大家さんは賀立明が一日中出ていなく、ノックしても返事がないことに気になり、ドアをこじあけた。座禅のままでベッドでじっと座っている賀立明の姿を見た。近づくと、息がすでに絶えたことを発見した。通報を受けてきた警察は遺物を整理するときに、法輪功の書籍、非法宣伝物のパンフレット及びDVDがみつかった。法医の鑑定によると、脳出血で急死したのである。年はただ58歳であった。