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黄濤:「門徒会」は母親を殺した(写真付)

2012-03-19 ソース:Kaiwind 作者:口述:黄濤  整理:安君



胡言香の生きた時の写真


    黄濤といい、今年28歳。四川省筠連県巡司鎮紅星村三組に住んでいる。家は盆周山区に属し、稲の田んぼ、お茶の園を持っている。父親は生きた時、農事のない時、町へ出稼ぎに行った。母親胡言香は家で家事をし、豚と鶏を飼っていた。

    私が7歳の時、父親は病気で亡くなった。家計の重みは全部母親の肩にかかった。貧しさと寂しさに囲まれた母親は家庭のために、毎日家事と農事両方どもやっていた。私と弟に払った注意は少なくなってきたので、私は内面的な性格になった。

    2001年、私は中学校から卒業した。母に言わずに同じ村の若者同士と一緒に浙江省にある靴工場で働いた。学歴は低いため、接着、塗装など重い仕事しかできなかった。薄い給料は自分の生活だけ維持できた。長期間有毒の環境にいたため、体は怠くなり、呼吸もしずらくなった。2004年1月、これ以上働けないため、病気の体で実家に帰った。

    県にある病院に診てもらって、肺嚢胞だと確診された。治療には1万元以上の費用がかかる。お金がないから、一般的な薬を買って帰った。まずいことで、母親は同時に糖尿病と高血圧と確診され、我々にとっては泣き面にハチだった。

    二人ども病気にかかったため、浙江省から持ってきた2千元はすぐになくなった。家の中に何もなかった。中学校に通った弟はやむを得ず学校をやめて出稼ぎになった。私と一年間付き合った彼女も「蒸発」のように私の傍から消えた。

    2004年5月、農事で大忙しい時期だった。私は家で簡単な家事しかできなかった。農事と重い家事は病気のある母親に頼るしかなかった。同じ村に住んだおばさん数人も手伝ってきた。熱心なおばさんたちは昼間に母親を手伝って、夜に話し合ってあげたので、当時は非常に感激した。

    ある日の夜中、小さな話声で目が覚めた。ドアを開けると、母親とおばさんたちは赤い十字を書いた白い旗を飾った壁に向かって床に膝ますいたのを見た。口の中にわけのわからないことを呟いた。あるおばさんは言った:彼女たちは全員「三贖キリスト」を信仰している。私の母親も信仰した。「門徒会」に入会して「主」を信じて、毎日「祈り」続けると、薬と点滴が要らずに病気が治る。「主を信じれば、いつも守ってくれる」「主を信じた人は天国へ行く。信じらない人は地獄へ行く」「主を信じれば、生命糧が食べられる」などメリットをいっぱい言ってきた。

    あれ以来、母親は「門徒会」の要求に従い、寝室の壁に赤い十字を書いた白い旗を飾り、毎日朝晩はそれに向かって祈り始めた。血圧を抑える薬と糖尿の薬はほっといた。

    母親は自分だけではなく、私に「三贖キリスト」を信仰しろと要求した。私は断った。そして、母親は医者さんから私に出された薬を止めた。私はいくら願っても、ぜんぜん聞き入れなかった。

    2005年6月、病状が重くなった私はショックを起こした。やさしい隣人と親戚を県の病院まで送ってもらった。目を覚めた時見たのは母親ではかく、隣人と親戚だった。私は完全に絶望した。隣人と親戚が集めてくれたお金は簡単の治療しかできなかったため、翌日は家に帰った。

    2005年7月23日、私の病状は深刻になった。母親に薬を買いたいのでお金をくださいと頼んだら、全くくれなかった。逆に私は話を聞かなく、「三贖キリスト」を信仰していないからこそ病気が重くなったと母親に言われた。私と母親は喧嘩になった。急に、母親はてんびん棒を持ってきて私の体にある魔を避けるためと言って、私を叩き始めた。私は完全に絶望し、暴走して、母親からてんびん棒を奪った時、母親を推して、母親の頭が壁にあたって、脳損害および脳内高血圧によって即死だった。

    刑務所にいる日々、私は自分の手で母親を殺したことに非常に悔しんでいた。しかし、「門徒会」を信仰しない限り、母親はてんびん棒を使って私を叩くことはない、わたしは母親こともなかったのに。「門徒会」はわが家を崩して、私を地獄に送らせた。

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