路寒梅の写真
2011年6月、遼寧省抚順市順城区葛布街19委1組に住んでいた57歳の法輪功修練者路寒梅は法輪功に陥り、医者の治療と薬を全部拒み、死亡した。このことを知った私は路寒梅の息子陳畅達に取材した。
路寒梅は1954年1月19日に生まれ、抚順市ガス会社に勤めていた。母が死亡して三ヶ月を経ったが母のことを思いかけ、陳畅達は涙を流した。「母が死んでとでも悲しかった。もし母が法輪功に夢中しなかったらきっと健康に生きている。私の傍に生きている」
陳畅達は小学時代に父に死なれて母の路寒梅に一人で育てられたのである。陳畅達のために路寒梅はずっと再婚せず、一人で息子を育て、非常に苦労な生活を送っていた。
いま、陳畅達はもう就職した。やっと大人になった陳畅達は、親孝行をしようとしたが、残念なのは母がなくなってしまった。孝行をしたい時分に親はなし。陳畅達はぜんぜん納得できず、非常につらかった。
1992年2月、葛布街新村修練点の連絡者張玉清の勧めを受け、路寒梅は法輪功を修練し始めたのである。張玉清は「法輪功を修練すれば病気が治られる」と伝えてくれ、そして、『転法輪』という本を贈ってくれた。その時、路寒梅はいつも関節が痛く感じる。病院へ行ってもはっきりする診断が出なかったので、修練してみようと思い、路寒梅は修練し始めたのである。その後、生活が規律になったので、関節痛が緩和しつつあった。路寒梅は法輪功を修練したからだと思い込んだ。
現代科学によると、人間は心理暗示を信じると薬を飲まなくても脳にある苦痛とつながる部分は活動が弱くなり、痛感も緩和できるという。痛感がなくなる場合もある。路寒梅はもちろん科学知識が不足であり、「修練すると、病気が治る」という法輪功の心理暗示に確信してしまった。その後、いっそう法輪功に夢中してきた。
修練した後、そもそも善良、熱心な路寒梅はだんだん冷たい人になり、親友に「私は神路を走っている。私は正真正銘の『修練者』だ。あんたたちと違う。あんたたちが追求している情や執着なんかぜんぜん興味ない。私が追求しているものはあんた得られない」と表した。
路寒梅はいつも陳畅達に以下のように言う。「地球は宇宙のゴミ箱だ」、「いま現在、全人類の道徳観念は低下、全社会はだめ、これは怖いことだ」
それに「人間が人間としているのは目的ではない。真世界に戻るのは目的だ」、「いま心から捨てられないのはあんただけだ。しかし師父は『親情に執着したら親情に苦労され、親情に付き纏われ、親情に邪魔される。早めに切られないときっと後悔する』と言った。だから、親情を切れないと、修練できない。あんたが大人になったら、私はきっと次元向上できる。いま私の修練の重点は心だ。親情はまだ私に付き纏われている」と言い繰り返していた。
陳畅達は就職した後、家から引越しした。一人暮らしになったから、路寒梅は次元向上できるであろう。
しかし、そうではなかった。2009年12月、路寒梅は頻尿、のど渇き、疲労の症状が生じた。陳畅達は病状について医学資料を調べ、医者にも聞いた。路寒梅は糖尿病にかかったと判断を出した。それで、路寒梅に医者に行こうと勧めた。しかし、路寒梅はぜんぜん耳を貸せず「法輪功を修練する人はぜったい病気にかからない」と反発した。「以上の症状があるのは師父李洪志が体を清潔してくれるからだ。今、業力を消している。次元向上している」と言った。
検査と薬を拒むので、路寒梅の体重は激減しつつある。陳畅達はとても心配していた。何度も路寒梅に「病院へ検査に行こう、薬を飲もう」と勧めたが、路寒梅はそれが修練の賞の表しであり、体が清潔していて黒いものは消していて白いもの「徳」は増加していると確信していた。親友も勧めたが、ぜんぜん効果がなかった。
治療を受けないために路寒梅はすごく痩せ、痩せっぽちとも言える。母が病院へ行かせるために陳畅達はひざまづいで勧告してみたが、路寒梅は依然として拒んだ。
2011年6月15日、陳畅達は強いて母を抚順市中心病院に送り、治療を受けた。しかし、もう遅った。診断によると路寒梅の糖尿病はもう末期になり、腎不全のせいで救われなかった。
2011年6月16日、路寒梅は病院でこの世を去った。